青山学院大・佐藤一世 出雲駅伝エース区間で得た収穫と課題
10月10日に行われた第33回出雲全日本大学選抜駅伝競争で2位に終わった青山学院大学。3区を走り、大学駅伝3レース目にして初のエース区間を担った佐藤一世(2年、八千代松陰)にレース後の思いなどを聞いた。
エース区間で積極的に先頭に立つ
率直な感想を聞くと「1年目は全日本、箱根と走らさせて頂いて、そこで得た経験を今回の出雲駅伝に出すことができました。自分では満足していませんが、区間3位で最低限の走りはできました。本来は区間賞を取り、チームの戦い方としては自分の3区で先頭に立つのがチームのプランでした。区間3位で、襷を渡す順位も3番で、自分のところでチームに勢いをつけることができませんでした。それが自分の課題だと思います」と話す。
襷(たすき)を主将の飯田貴之(4年、八千代松陰)から受けると、前には國學院大の藤木宏太(4年、北海道栄)、順天堂大の野村優作(3年、田辺工)、早稲田大の太田直希(4年、浜松日体)、東京国際大の丹所健(4年、湘南工科大付)の4人がいた。いずれも10000mの自己ベストが佐藤より早いタイムを持つ選手だ。優勝争いをする上で、他校の選手のタイムなどもチェックしていたという佐藤。「前にいる選手は自分より持ちタイムが良いということは理解していましたが、トラックよりロードで走る駅伝の方が強いというのが自分の持ち味なので、相手が自分より持ちタイムが良いからといって怯えることなく、攻めの走りをできました」。後ろから優勝候補筆頭の駒澤大学の花尾恭輔(2年、鎮西学院)がスタートしたが、後ろのことは一切気にかけることなく前を見て自分の走りに徹した。
襷を受け、入りの1kmを2分40秒と速いペースで入った。「自分は一人で走るよりも、集団で走る方が楽に走れたことがこれまでの駅伝で多かったです。まず前の4人の後ろにつくことで風の抵抗などを抑えられるので、早い段階で後ろにつきたいと思って入りの1kmを早く入りました」と振り返る。
1km過ぎで先頭にたった佐藤。「チームの目標が自分のところで先頭に立つことでした。ペースが落ち着いたということもあり、最後に引き離すというより早めに後続を引き離す方が少しずつ差が生まれると思ったので、前に出ようと思い走りました」。後半にペースを上げるというより、前半から突っ込んで粘る走りが自分の特徴と分析する。
仕掛けに反応できず「力不足」
しかし、丹所が仕掛けた際に佐藤は反応することができなかった。そのことについて聞くと長い沈黙が続き、理由がすぐ見つからないことから自分自身の力不足だったとも分析をした。
今大会はテレビ中継で沿道の旗が大きくなびいているのが把握できるほど風が強く吹きつけ、当日の出雲市の気温は30度超えと悪条件下でのレースとなった。「気温に関しては一週間前から高くなるということは把握していて、対策することができました。それは皆同じ条件だし、特に気にはしていませんでした」。3日ほど前から水分を多く取り、走る前に身体の深部体温を下げるために付き添いのチームメイトが用意してくれた水の中に手を入れる、氷を首の後ろに当てるという対策を行っていた。
レース中終始キツイ表情をしているように思えたのでそのことについて聞くと「最初の入りの1kmが早く入りすぎてしまったことで息が上がるのが早くなってしまい、それ以降の走りでは現在走っているペースでいっぱいいっぱいでした」と語った。
レース後、原晋監督から声をかけられた。「よく粘ったと言われました。でも自分のところで先頭に立つというのがチームの戦略でもあったので、先頭で渡せなかったことが課題だ、とも言われました」。4区の若林宏樹(1年、洛南)へ襷を渡す際に、キツく苦しかったのでわずかにとしか覚えていないが「がんばれ」と声をかけてルーキーの背中を押した。
高校時代は3年生で迎えた全国高等学校駅伝競争大会(都大路)で、各校のエースが集う1区で日本人歴代最高タイムで走り区間賞を獲得している。高校時代から名を馳せてきた佐藤がついに大学駅伝の舞台でもエース区間を走る選手になった。これから青山学院大学のエースとして、多くの駅伝で優勝へ導く走りを期待してやまない。