サッカー

特集:天皇杯 JFA 第99回全日本サッカー選手権大会

筑波大出身のJ2岡山・中野誠也「天皇杯は大学サッカーに希望をもたらす」

2017年の天皇杯、アビスパ福岡戦で躍動する中野さん(右、写真は提供・筑波大学新聞)

サッカーの天皇杯は7月3日と10日に2回戦があり、ここからJ1、J2のチームも出てきます。天皇杯の醍醐味(だいごみ)の一つが、大学のチームがJリーグのクラブを「食う」番狂わせです。3日に6試合、10日に2試合、大学がJのクラブに挑むゲームがあります。4years.ではプロに挑む大学へのエールも込めて、さまざまな記事をお届けします。第四弾は筑波大学在学時にJリーグの2クラブを破った経験があり、いまはJ2のファジアーノ岡山に所属する中野誠也さん(23)に、当時の思いなどについて聞きました。

2017年、筑波大のJクラブ2連破の立役者

中野さんは筑波大4年生だった2017年、第97回天皇杯日本サッカー選手権大会1回戦でY.S.C.C.横浜に勝ったあと、2回戦でベガルタ仙台、3回戦でアビスパ福岡と、Jリーグチームから立て続けに勝利を手にした。中野さん自身はこの3試合で、合計5ゴールを決めた。

「いけるぞ、という雰囲気になったのは間違いなくベガルタ戦からです。試合開始早々に点が取れましたが、前半のうちに追いつかれ、後半5分で勝ちこされて、『やっぱプロって違うのか……』ってところで、また追いついて、勝ち越して。守って、守って、その末に勝てたってのじゃなく、3点取れたことで、チームとして自信がついたと感じました」

ベガルタ仙台戦では、後半20分の同点弾を中野さんが決め、28分の勝ち越しゴールを現在の4年生である三笘薫が決めた。

3回戦のアビスパ福岡戦の直前は、中2日で5試合を戦う大会「アミノバイタルカップ」があった。この連戦を、筑波大はメンバーを大きく入れ替えながら総合力で勝負した。「想定外の要素を踏まえた上で、小井土(正亮)監督には、アビスパ戦を含む、6戦勝利の構想があったんだと思います」と振り返る。

当時のことを思い出し、笑顔で語ってくれた中野選手(撮影:尾原千明)

筑波大の強み「パフォーマンス局」

中野さんが2年生になったときに就任した小井土監督は、部員たちがプレーにとどまらず、サッカーに関わるさまざまな分野で、それぞれが持つ特性を伸ばすシステムをつくり上げた。それは「パフォーマンス局」と名付けられ、いくつかの部門があった。たとえば、分析に興味がある部員は、対戦相手の試合に出かけて映像を録り、スカウティングビデオを制作。フィジカルトレーニングに興味がある部員は、よりよいパフォーマンスを出すための1週間のメニューを考案する。ほかに「アナライズ班」や「フィットネス班」、「メンタル班」などがあり、希望者が自主的に各部に入って活動する。これらを通して部員が話し合うことで、試合に出場する選手、しない選手がサポートし合う関係もできあがっていった。

2017年の天皇杯4回戦では大宮アルディージャと対戦。ここで破れ、3試合連続のジャイアントキリングはならなかった(C)JFA

「これも筑波の強みだと思います。大学サッカーの場合は、現地に行かなければ映像が拾えないから、分析部隊は筑波の試合は見ないで、ほかの試合会場に出かけてました。それを10分間程度の映像に編集して、相手選手の特徴を紙媒体にもまとめてくれた。そういうことができるって本当にすごいし、尊敬してます」

ジャイアントキリング「狙う側」は面白い

中野さんは2017年までは大学生として、18年はジュビロ磐田の選手として、天皇杯の「大学vs Jクラブ」を経験した。大学4年生のとき、ベガルタ仙台に勝ってアビスパ福岡戦が近づくと、大学のグラウンドに多くの記者が集まった。普段からは考えられない光景に、大学サッカーへの注目度が高まっていることを自覚した。「監督も僕らも、筑波としてというよりも『大学サッカーはここまでできるぞ』という姿を見せたいと思ってました」

2ゴールを決めて勝利したアビスパ福岡戦では、相手の差し迫った心理状態が伝わってきたという。「プロの方が負けたときの精神的なダメージや、周囲からの圧力はきついと思います。僕も去年、中京大学に苦しみました。『失うものがない』という表現が適切かどうかは分かりませんが、思いきって立ち向かえる大学生、ジャイアントキリングを狙う側にとって、天皇杯は面白い大会だと思います」

そしてこう続ける。「実力差があると、勝つ可能性がほとんどない競技もあるじゃないですか。でもサッカーは違う。もちろん、10回やれば上のチームが8、9回は勝つ可能性がある。でも、そうじゃない『1回』が出ちゃうことがある。それがサッカーの面白さだと思います。天皇杯は、大学生である僕らでもプロと対戦できるという意味で、夢を与えてくれました」

プレーヤーとしての幅を広げた大学生活

もともと中野さんはジュビロ磐田のU-15、U-18でプレーし、高校年代ではプリンスリーグ東海の得点王にも輝いた。しかしジュビロのトップチーム入りはかなわず、筑波大への進学を決めた。「筑波には先輩もいたし、筑波のパスサッカーにあこがれてました」と中野さん。「とにかく大学が勝負」と心に決めた。しかし1年生の2014年11月、筑波大蹴球部は、その長い歴史の中で初めて関東2部リーグに降格。1年で1部に戻るという目標を掲げ、翌年のリーグ戦は苦しみながらも最終節で1部復帰を決めた。3年生のときはインカレで優勝。そして4年生のときに天皇杯での躍進とリーグ優勝をなし遂げた。個人的にはユニバーシアード台北大会にも出場した。「どん底から始まって上にまでいけたのは、何かの物語かと思うくらいの展開でした」と語る。

ドン底から始まって栄光へ。まるで漫画のようなストーリーだ(撮影・尾原千明)

Jクラブの育成組織から大学に進学してサッカーを続けたことは、プレーヤーとしての幅を広げた。ボールの出し手にも受け手にもなる中野さんにとって、周囲とのコミュニケーションは重要だ。言わなくてもわかってくれる選手が周囲にいてくれた中学、高校時代から、ゼロになって大学で再スタート。この経験は、育成型期限付き移籍という形で今年5月9日から加入したファジアーノ岡山でも生かされている。

5月に加入したファジアーノ岡山では、初ゴールも決めた。写真右は大学時代、関東サッカーリーグで戦った武田将平(撮影:尾原千明)

「天皇杯は大学生にとってはもちろん、J2、J3や地域リーグの選手にとっても、同じように自分たちをアピールすることができる、価値と希望がある大会だと思います」(尾原千明)

この記事をシェア

Their Stories大学別・競技別に読む