アメフト

特集:関学アメフト・鳥内監督ラストイヤー

関学・鳥内秀晃監督退任に寄せて 次男の將希さん「卒業してから感じた偉大さ」

2012年の甲子園ボウルに勝ったあと(左から長男の貴央さん、鳥内監督、次男の將希さん、写真は本人提供)

アメフトの日本一を決めるライスボウルが13日にあり、学生代表の関西学院大は14-38で社会人Xリーグ代表の富士通に敗れました、今シーズン限りでの退任を表明していた関学の鳥内秀晃監督(61)にとって、ラストゲームとなりました。監督生活は1992年の就任から28シーズン。関学の監督としては異例の長さでした。その間、3人の息子たちはみな、父のもとでアメフトに取り組み、卒業していきました。4years.は三兄弟と妻の美香さんに、監督退任に寄せた手記をお願いしました。第二弾は次男の將希さん(28)です。

最後の試合で、4年間でたった一回怒られた

親父へ 

28年間、お疲れさまでした。僕もファイターズで4年間やって、部員としても間近で見てきました。あの組織で28年間やってきた親父はすごいと思う。引退してからもOBの人やいろんな人としゃべると、親父の偉大さを感じた。実は面倒見のいいオッサンやったんやとも思いました。毎年、目的と目標が違う中で勝ち負けにこだわって、人を見る力もある。そんな親父を尊敬してますよ。 

小さいころの思い出は、アメフトボールの投げ方を教えてもらったことかな。小学校で教えようとして、手伝ってくれたよな。僕が野球で高3のときに甲子園に出たとき、2回戦を見に来てくれました。負けたあと、甲子園の控え室で取材を受けてたら、いるはずのない親父が入ってきた。「え? 何してんの?」って思ったわ。中まで入ってきて「おっ、お疲れさん」って言ってくれたなあ。 

將希さんが出場した2009年夏の甲子園2回戦をバックネット裏で観戦する鳥内監督(撮影・朝日新聞社)

ファイターズの4年間でたった一回怒られた日のことは忘れません。4回生の最後のライスボウルやったな。オービックにやられてて、DB(ディフェンスバック)で出てた僕も、ふがいないプレーをしてたんです。ハーフタイムに親父が控室の僕のとこまで来て「何してんねん。何やあのタックル? そんなもんのために、いままでやってきたんか」って言ったよな。言われたんが悔しくて。ほんま悔しかったわ。 

2014年のライスボウルで奮闘する將希さん(37番、撮影・朝日新聞社)

常に勝ち続けないといけない伝統校の監督はしんどいと思います。今シーズンもまた、後輩たちを男にした。毎年続けるのはすごいことですね。 

ほんとにお疲れさまでした。ほんで、これから何すんの?

                                     鳥内將希

將希さんは現在、アメリカで働いている(写真は本人提供)

 とりうち・まさき 鳥内家の次男。野球部だった関西学院高等部3年生の夏、甲子園に出場。2回戦で、優勝した中京大中京(愛知)に4-5でサヨナラ負けした。大学からアメフトを始め、DBとして3度の学生日本一を経験。4回生のときは副将だった。現在は大手商社に勤務し、アメリカ在住。