28年間おつかれさまでした 関学アメフト鳥内秀晃監督フォトギャラリー
/21
珍しいサングラス姿。自転車用でイタリア製という。「紫外線があかんねん。俺がかけな、スタッフ誰もかけんやろ」(2019年6月9日、神戸・王子スタジアム)
最後の数年、試合前には決まってイカ焼きを食べていた。試合会場で販売しているものだが、自分では買わない。ずっとおごってくれた恩人を指さす(2019年9月1日、神戸・王子スタジアム)
自身最後の関西学生リーグ初戦。試合直前、いつも以上に険しい顔つきだった。ただ、暑かっただけかしれない(2019年9月1日、神戸・王子スタジアム)
秋の関西学生リーグ初戦に快勝し、報道陣に囲まれる。リーグ戦序盤はまだ余裕があり、囲み取材でも笑顔が漏れる(2019年9月1日、神戸・王子スタジアム)
可愛いベストに水色のシャツ。このスタイルは珍しい(2019年9月21日、大阪・万博記念競技場)
リーグ第4戦の神戸大戦は17-15の辛勝だった。選手たちに向けて厳しい言葉を発した(2019年9月29日、神戸・王子スタジアム)
前節で立命を下した関大に勝ったあと、リーグ最終戦の立命戦については多くを語らなかった(2019年10月27日、神戸・王子スタジアム)
リーグ最終戦の立命戦の直前、主将の寺岡と珍しくサシで話していた(2019年11月10日、大阪・万博記念競技場)
リーグ最終戦で黒星をつけられた立命との再戦を前に、選手たちに「負けは全部俺が背負うから心配すな」。4回生たちは、この言葉に涙した(2019年12月1日、大阪・万博記念競技場)
立命にリベンジした翌日、甲子園ボウルの記者会見に出席。グラウンドに出ると、懐かしむように練り歩いていた(2019年12月2日、阪神甲子園球場)
報道陣有志による61歳を祝う会で。この店には毎晩のように通ってきた(2019年12月2日、大阪市内)
ビッグゲーム前には4回生全員と前泊。そこからバスで試合会場まで移動。会場に入る前に全員と握手を交わす=2019年12月15日、阪神甲子園球場
甲子園ボウルの試合2時間前。関学のグッズ販売ブースに早稲田の高岡監督の姿が。この日、特別先行販売されていた鳥内監督の著書『どんな男になんねん』を買いに来たのだった。「試合までに読めるから」と鳥内監督(2019年12月15日、阪神甲子園球場)
甲子園ボウルに勝ったあと、学生たちに呼ばれて記念写真の輪に入った。選手たちの笑顔を見て、「この瞬間のためにやってたんや」。学生たちと監督の笑顔がひとつになった(2019年12月15日、阪神甲子園球場)
甲子園ボウルのあと、妻の美香さん、三男の裕之さんと記念撮影(2019年12月15日、阪神甲子園球場)
28年間の監督生活のラストゲーム。ライスボウルの試合前練習を眺める背中は、いつもと変わらないように見えた(2020年1月3日、東京ドーム)
試合開始から終了まで、サイドラインでの表情は変わらなかった(2020年1月3日、東京ドーム)
教え子である有馬隼人氏から、異例の敗者監督インタビューを受けた。その目は潤んでいた(2020年1月3日、東京ドーム)
最後のハドル。「俺は終わるけど、ファイターズは永遠に続いていかなあかん」と、学生たちに語りかけた。最後に「いままでありがとう」と言った(2020年1月3日、東京ドーム)
退任記者会見で自身の28年間を語った。支えてくれた人を問われ、「嫁はん。そう言うときますわ」(2020年1月8日、関西学院会館)
退任記者会見が終わった後、関学のシンボルである中央芝生で記念撮影。「忙しいねん」と、早足で大学をあとにした(2020年1月8日、関西学院大学上ケ原キャンパス)
日本アメフト界の名物監督がフィールドを去りました。鳥内秀晃さん(61)。1986年から関西学院大学ファイターズのコーチを務め、92年から今シーズンまでずっと監督でした。ラストイヤーのほとんどの試合で鳥内監督を撮ってきた大学4回生のたっての願いで、このフォトギャラリーを掲載することに決めました。笑いあり、笑いあり、ちょっとだけ涙ありの21枚を、ぜひご覧ください。鳥内監督、おつかれさまでした。ありがとうございました。(篠原大輔)