関学アメフト部を4年間追いかけた学生記者から、鳥内秀晃監督の退任に寄せて
関西学院大学ファイターズの鳥内秀晃監督(61)が、1月3日のライスボウルで28年間の監督人生にピリオドを打った。この4年間、学生記者として、ライターとしてチームを追い続けてきた関学の4回生が監督への思いをつづりました。
プロのみなさんと同じように接してくれた
鳥内監督へ
ライスボウルが終わり、退任の記者会見からも数日が経ちましたが、本当に最後だと思うと寂しいです。次のシーズンも試合会場に行けば、いつもと同じたたずまいでサイドラインにいらっしゃるような気がします。そして試合後の囲み取材でボヤき、報道陣を笑わせてるんじゃないかと思ってしまいます。
4years.を読んで下さっているみなさん、私は関学の4回生です。最初の3年間は「関学スポーツ」の学生記者として、この1年は「4years.」のライターとしてファイターズを取材してきました。鳥内監督は私が学生だからといって区別することなく、プロの記者のみなさんと接するときと何ら変わらず受け答えしてくれました。
こわいイメージが変わったロングインタビュー
途中からは囲み取材が楽しみになりましたが、1回生のころは違いました。「こわいオッサン」というイメージが強すぎて、囲み取材に入るのも避けてました。いつもプロの記者のみなさんの輪の外で、監督の声を拾うので精一杯でした。
イメージが変わったのは2回生のとき、1時間半のロングインタビューをしてからです。最近になって当時の取材ノートを見返しました。私はここで鳥内イズムを教わったと思います。もちろん、紙面に掲載するインタビューでまじめな話もしたのですが、好きな食べ物についての質問に対して「ミルフィーユ。イチゴのミルフィーユ(笑)」と笑いをとったり、「ようけ聞くなぁ。俺の本書いてくれよ(笑)」と冗談を言ったり。あの取材を通して人を笑わせたり、驚かせたりするのが大好きなエンターテイナーだと思ったのです。
「お前はどう思う?」
取材をすると、意見を求められることも多々ありました。日大との反則タックル問題があった2018年には、指導理念やアメフトの魅力を語ってもらうインタビューを申し込みました。問題の直後でしたが、監督は快く応じてくださり、私の質問に対して一つひとつ丁寧に答えてくださいました。ときに私に「どう思う?」と意見を求めてくれるのです。監督の取材を通して、取材者として成長させてもらったと思ってます。
今シーズンで退任するということは、昨年2月の甲子園ボウル祝勝会で聞いて驚きました。私は、その祝勝会のあとの囲み取材もこっそり聞いていました。会場を出る監督を追いかけ、声をかけました。「いままでお世話になりました。僕、(3回生で)最後なんですよ」と。お礼を伝えたつもりだったのですが、監督は「最後、もう1年やるやろ?」と言って手を上げて去っていきました。その背中をよく覚えています。最後の年は4years.でライターをやらせてもらおうとぼんやり思ってたんですけど、強くそう思ったのは監督のあの言葉があったからです。
私の学生最後の年に監督の魅力を少しでも世の中に伝えようと思い、いろんなことをお願いしました。少し無茶なお願いもあったかもしれません。西日本代表決定戦の前日から当日まで監督と4回生に密着させてもらい、ルポという形で記事にさせてもらいました。ファイターズのOBでもない私が本当に立ち会えるのかどうか不安でした。アメフトは情報のスポーツでもあります。部外へ情報が漏れることを避け、普段は練習を見ることもできません。でも、どうしても読者に伝えたかったので直談判すると「ええよ」と即答でしたね。前泊先のホテルでのミーティングで4回生を叱咤(しった)した後、監督は私を自室に招き入れてくれました。そこで2時間ぐらい話したと思います。監督の現役時代の話や今シーズンのこと、私の家族の話や恋愛の話まで。忘れることのできない一日になりました。
自分に問い続ける「どんな男になんねん」
ある食事の席で、ファイターズOBの方が監督に「なんでこの子にここまでしてあげんの?」と聞きました。すると「こいつ、ほんまなぁ。しつこいんよ〜」と、やさしい顔で言われました。ライターとして最高の褒め言葉をいただいたと思ってます。
監督への取材は、聞き手としても書き手としても腕が試されますし、鍛えられます。私は取材者としてのイロハを教えてもらいました。また、取材者としてではなく、一人の男として向き合ってもらいました。ファイターズの4回生と同じように、男にしてもらったと思ってます。「どんな男になんねん」。春になって社会人になってからも、そう心に問いかけながら、記者として努力し続けます。鳥内監督、4年間ありがとうございました。 松尾誠悟