バレー

「関大の守護神」リベロの山本愛梨沙はまた新たなスタートラインに立つ

笑顔でメンバーたちに迎えられる山本(左)

「関大の守護神」といえばリベロの山本愛梨沙(4年、大阪国際滝井)だ。強打を軽くセッターの手元に運び、仲間が弾いたボールも打ちやすいトスに変える。持ち前の反射神経や瞬発力をふんだんに使い、ボールが落ちるその瞬間まで追い続けた。

また、カバーリングを得意とする山本は、チームメートのレシーブのフォームからボールが飛ぶ位置を予測して走り出す。味方がレシーブをサイドに大きく弾いたときには、ベンチスタッフは慣れたように椅子をどかし、山本が通る道を作った。

レシーブ体系の指示を出すのもリベロの仕事。相手スパイカーの打ち方や、対戦相手の特性を瞬時に判断し、最善の策を取ってきた。さらに、チームがピンチのときには守備のファインプレーで流れを変える。そんな関大の守り神もついに引退のときを迎えた。

驚きの成長で真のリベロへ進化

「1回生のときはガチの生意気だった」。先輩に対しても臆さずに発言し、プレー中の指示も出していた。自分のやりたいバレーができなければ、嫌な顔をすることもあった。そんな山本も「後輩が入ってきて自分自身が変わった」と振り返る。

果敢に飛び込んでボールを上げる山本

上下関係が厳しかった高校時代とは違い、縦のつながりもより強くなった。「後輩は絶対に先輩を見てる」。他の代と関わることが多くなった分、後輩にとって自分はどういう存在にならなければいけないかを考えるようになった。そして、自らの行動を見直すようになる。

「自分自身大人になったなって」。周りの意見を受け入れて積極的に取り入れるようになり、同期や後輩からも頼られる立場になっていった。そして最高学年になると、副将に就き、共にコートに入る後輩のメンタルケアや、落ち込んでいる選手を鼓舞するような声掛けなどを意識的に行うようにした。

緊張した場面では後ろから山本が後輩スパイカーの背中をぽんとたたく温かい1コマも見られた。「関大に来てこんなにも成長できるとは思わなかった」。技術だけでなく、人間としてコートに立つにふさわしいリベロへと進化した。

生の声をすぐさま反映

関大は学生中心のチーム。日々の練習や相手チームの分析、練習後のケアやミーティングなど、ほとんどのことを自分たちで決める。山本は、試合中コートとベンチを行き来するリベロの特性を利用して、ベンチにコートの中の様子を伝える役割をしていた。

「外の見方と実際中に入っている人たちの見方にはやっぱりちょっと差がある」。昨シーズンの試合中、戦略としてのメンバーチェンジを多用したが、交代のタイミングも山本やコートの声を重視した。

いつ替えるべきか、誰に替えるべきか、いまこの瞬間を戦う選手たちの生の声をすぐさま反映し、ゲームを組み立てる関大の戦い方は有効的だった。関西1部秋季リーグでは9勝1敗で準優勝と結果にも表れた。そして同リーグで山本は敢闘賞を受賞した。その後の大阪府学生大会では優勝も果たし、自信と実力を携えて最後の大会、全日本インカレに臨んだ。

期待して挑んだ最後の大会

「全国ベスト8」。関大がいまだ踏み入れたことのない領域だ。だが、史上初の西日本インカレ3位、わずか1敗で終えた秋季リーグなど、自信はつけてきた。今のチームなら壁は越えられるのではないかと期待に胸を躍らせた。

1回戦、広島文化学園大を下すと、2回戦では東海地区1位の岐阜協立大と相対す。第2セットを落とすも、次のセットで再び流れを取り戻し、熱戦を制した。着々と目標に駒を進めた。

そして、ベスト8を懸けた3回戦対順天堂大戦。出だしは好調だった。対策通りに、関大攻撃陣のコンビが機能。しかし、セット終盤になりじりじりと差を詰められる。

全日本インカレ3回戦の後部員全員で撮影に応じる

速い攻撃に対応が遅れ、セットを落とした。「1セット目取れなかったのが大きかった」。第2セットも流れを変えれず。第3セットで取り返すも、覆すことはできなかった。セットカウント1-3で最後の試合が終わり、一瞬にして夢が絶たれた。

新しい道のスタートラインへ

「終わったっていう実感がなさすぎる」。つい数時間前までは、次の日も仲間と共にコートに立つことを信じて疑わなかった。大学の4年間、そして小学生からずっと続けてきた競技人生に幕が下りる。目にはこみ上げるものがあった。

「いままで辞めたいと思うことはたくさんあった。でも、バレーをやってきたからいまの自分がある」。10年以上バレーと向き合ってきた山本にとって、引退はゴールではなく、新しい道のスタートラインに立つということ。バレーで培った精神は一生ものの財産となった。