筑波大学大学院・梶原悠未 文武両道を貫く自転車世界チャンピオン
今年2月にドイツ・ベルリンで開催された世界選手権自転車競技大会の女子オムニアムで優勝を果たした梶原悠未(筑波大学大学院1年)。33年ぶりの日本人世界王者になるとともに、日本人女子としては初の頂点に立った梶原に、これまでたどってきた道のりを電話取材で聞いた。
授業の予定を優先に練習時間を組む
自転車競技は長い歴史を持つ。オリンピックでは第1回の1896年(明治29年)アテネ大会から、今も正式種目であるロードレースとトラックレースが採用されている。
梶原が世界王者になった女子オムニアムはトラック競技の1つ。スクラッチ(7.5㎞)、テンポ・レース(7.5㎞)、エリミネーション(生き残り制のレース)、ポイント・レース(20㎞)の4種目をこの順番で1日のうちにこなさなければならない過酷な競技だ。スピード、持久力、駆け引きなど、様々な能力が求められることから、陸上の十種競技にも例えられる。2012年ロンドン大会からは、オリンピックの正式種目にもなっている。
梶原は今春、筑波大学大学院に進学した。新型コロナウイルスの影響で学校に行けない中、現在は自転車競技のメッカである伊豆・修善寺で過ごしている。ここは昨年9月より活動拠点としているところでもある。オンラインによる授業を週に20コマ受け、その合間に練習に励む忙しい毎日だ。たとえば授業の合間が45分あれば、その時間を練習に充てている。まさに分刻みのスケジュールだが、本人からするといたって普通で、文武をきっちり両立させるスタイルは大学時代から変わっていない。筑波大に入学してからは部活にも入らず、自分でスケジュールを管理してきた。
「大学でもまず授業の予定を入れ込み、空き時間から練習時間を割り出していました。一方で、冬場は暖かい時間帯に練習するなど、授業を優先しつつ、季節によって練習時間を変えるなど、季節や気候条件も考慮しました」
練習のメニューや計画を立てるのが楽しい
文武両道を実践する基盤は小学時代に築かれたようだ。梶原は水泳、ピアノ、書道、バレエなど、5つの習い事をしていた。「学校から帰ると大急ぎで宿題を済ませて書道に行き、先生の合格をもらってからプールへ、という日もありましたね」。とはいえ、たくさんの習い事をしている子供は、梶原の年代なら珍しくなかっただろう。特筆すべきはその全てをこなしながら、学業の成績が優秀で、習い事の1つである水泳も全国レベルだったことだ。
梶原の母・有里さんは「子供の頃に1つ終わったら切り替えて次のことに集中する“クセづけ”をさせてきました。それがいまにつながっているところはあると思います」と教えてくれた。有里さんはマネージャーとして梶原を支えている。その母からは、子供の頃から「夢や目標を持ち続けるのが大切」と言われてきたという。
梶原は練習内容も自分で組み立てている。主体的に練習する姿勢は自転車を始めた高校時代に培われた。梶原が通っていた筑波大学坂戸高校の自転車競技部は自主性を重んじていて、上意下達的な指導はなかったという。「朝練はありましたが強制ではなかったですし、高校2年からは自分でメニューを考えていました」と振り返る。だから指導者がいなくても、それがマイナスに働くことはなかった。
「トレーニングメニューを考案し、計画を立てる作業はとても楽しく、私の大好きな時間です。計画やメニューを高いレベルで実行し、フィードバックを得た上で課題を分析し、研究するのも好きですね。大学ではこれらの過程を楽しむことと、授業で学んだことを即座に活かせることで、自転車競技の知識も深まったと思います」
世界王者への道のりは長かった
梶原は中学までは水泳の自由形でオリンピックを目指していた。だが3年時に全国大会出場を逃してしまう。そんな中、高校入学とともに出会ったのが自転車だった。「その時は自分に適性があるかどうかはわからなかったので、自分にもう1つ新たな競技が加わると、ワクワクしました」。水泳で培った心肺機能や体幹部の筋力が活かされたのだろう。梶原はすぐに自転車で頭角を現す。ペダルを回し始めて10カ月後には、高校選抜大会で3種目を制覇。これを境にナショナルチームの指定強化選手になり、3年時には全日本選手権で日本一になるばかりか、アジアジュニア選手権ではロード、トラックを合わせた5冠を達成した。
始めた時は高校までと考えていた自転車。実際、高校では自転車に専念していたわけではなく、並行してスイミングプールにも通っていた。しかし大学に入ると、自転車の存在が、梶原の中でより大きなものになっていく。「1年の時に自転車をメインにやっていこうと決めました」。それとともに進化も加速し、2年時にはワールドカップのオムニアムで初優勝。4年になった昨シーズンは、ワールドカップのオムニアムで2連勝を遂げる。その勢いで世界選手権に臨み、日本人女子としては初めてマイヨ・アルカンシェルを与えられた。マイヨ・アルカンシェルは5大陸を表すストライプがあしらわれた、世界チャンピオンだけが袖を通せるジャージである。
自転車を始めてから7年。梶原は「世界チャンピオンまでの道のりは……長かったですね」と話す。そして「世界には自転車を始めて数か月で世界一になった人もいるので」と言葉をつないだ。梶原の道のりはまだ続く。2月の世界選手権で優勝したことで代表初選出を確実とし、日本勢初の金メダルの期待がかかっていた東京オリンピック・パラリンピックは来年に延期になった。それでもその目はしっかりと前を見据えている。
「オリンピックで金メダルを取ることをモチベーションに、多くの方に夢や希望、感動を与えられる選手になりたいですね。自転車競技をもっと広く知ってほしいので、積極的に発信もしていくつもりです」
賢いアスリートになるのが目標
高いレベルでの文武両道を実践し続けている梶原は、「賢いアスリート」になることも目標だ。筑波大体育専門学群では、スポーツ観戦論やスポーツ統計学を学んだ。4年時の卒業研究のテーマは「自転車競技のエリミネーションレース技能における達成度評価」。エリミネーションレースに出場している24人の選手の動画を半周ごとにチェックし、統計学の方法に基づいて分析した。
エリミネーションレースとは、端的に言うと「生き残りを競うレース」だ。オムニアムの種目の1つでもある。トラック2周ごとに最後尾で通過した選手が1名ずつ除外(エリミネート)され、2名の選手が残ると、最後の1周で早くフィニッシュラインを通過(ゴール)した選手が1位となる。持久力、スプリント力に加え、集団の中での位置取りや、ハンドルさばきなどの力量も必要とされる。
「これによってわかりやすく言うと、評価基準表を作りました。エリミネーションレースに用いられている技術を50項目抽出し、その1つ1つに世界基準からの能力値をつけたのです」
梶原の話を聞いていると、自転車は知性が求められる競技だと感じる。大学時代に日々の練習や授業、あるいは研究で競技に結びつく知性を育んだことも、世界一をたぐり寄せた要因の1つかもしれない。
新型コロナウイルスの影響で、大学体育会の学生も大会や試合が中止・延期になるばかりか、練習も思うようにできないのが現状だ。梶原は「やれることを見つけて、今しかできないことに取り組んでください」とエールを送る。ただ、こうも思っている。自分が頑張る姿、その姿こそが最大のエールになると。