野球

大東文化大野球部バッテリー 首都2部リーグから挑んだ運命のドラフト会議

濱田は昨年の1部での経験から、もっと強い相手と戦いたいとプロを志すようになった

大東文化大野球部は1972年の首都大学野球連盟春季リーグ戦で1度優勝を果たしているものの、最近は長い低迷期が続き2部暮らしを続けていた。しかし昨年、前主将の石原与一(現・宮崎梅田学園)のもと学生主体野球への変革に挑戦し、見事2部優勝&1部リーグへの昇格をつかみ取った。

自身初の1部リーグで好成績を残した2人

その中で立役者となったのが、当時3年生ながらバッテリーとして活躍したエースの江村伊吹(4年、北越)と女房役の濵田貴徳(4年、倉敷古城池)だ。テンポよい投球と緩急をつけた変化球で打者を翻弄する江村と、その江村を完璧にリードする強肩巧打の濵田。堅い守りからチャンスで1点を取る野球で、勝利を積み重ねていった。

続く秋のリーグ戦で、2人にとって初めてとなる1部リーグに挑戦。江村は8試合を投げ防御率2.06の活躍、濵田もチームトップの打率.281を記録し首位打者争いに加わるなど、2部上がりのチームながら主力選手として堂々たる好成績を残した。

昨年は3年生ながらチームの主力として堂々たる成績を残した江村

しかし1部リーグの強豪チームの壁は厚く、最終戦の帝京大戦でサヨナラ負けを喫し1部リーグ最下位が決定。入れ替え戦でも桜美林大に競り負け、夢の1部リーグへの挑戦はわずか半期で幕を閉じた。

強い相手との対戦が大きな転機に

残念な結果に終わってしまったものの、2人はこの秋季リーグでの強豪校との対戦を通じて刺激を受け、再び強い相手と戦いたいと思うようになりプロ野球への志望を考えるようになった。その後4年生が引退し最上級生となった2人は、次の春季リーグで再び1部リーグに昇格し、秋季リーグで1部リーグ優勝を果たすというチームとしての目標を掲げ、練習に人一倍打ち込んでいた。

しかし、そんな中、新型コロナウイルス感染症が猛威を振るい、試合はおろか、一時は普段の練習すらもできなくなってしまった。春季リーグ戦は延期が発表され、その後中止が決定した。その後対策を十分に施したうえでの限られた条件下で練習ができるようになったものの、大東大では感染症対策の観点から対外試合は7月まで一切できない状況が続いた。

いつもより準備が足りなかったかもしれない秋季リーグだが、選手たちは「野球を楽しんで」プレーしているように見えた

そこからしばらくして学外施設での対外試合は許可が出されたものの、野球部では1年生と上級生がまったく連携を深められていないという理由から対外試合は行わなかった。しかし、部内で紅白戦を多く行うことでチーム内での連携を深め関係性が向上した。

対外試合を行わなかったことによって失ったものもきっとあったとは思うが、これが大東大の学生を主体とした野球の真髄であった。

リーグ戦再開後に迎えた運命の日

そして、昇降格こそないものの秋季リーグ戦の開催が決定し、選手たちはようやく自分たちのプレーを見せる場がやってきた。しかし、実戦不足から打ち込まれてしまう試合もあり優勝することはおろか、Wグループの2位に終わり、最終戦となる3位決定戦で獨協大に敗れて4位に終わった。

結果は4位と、2部リーグ優勝を果たした昨年と比べると残念な結果に終わってしまったように見えるかもしれないが、心なしか選手たちは昨年以上に野球を楽しんでいるように見えた。そして迎えた運命のドラフト会議の日。

2人から「あまり期待はしないでください(笑)」とは事前に言われていたのだが、前述のようにどんな時も努力を続けてきた2人のためにできることはやっておきたいと思い、ドラフト特集をスポーツ大東編集部のネット記事に掲載し当日を迎えた。

コロナ禍のためドラフト会議当日は記者会見等は行われず、江村は寮でチームメイトとともに中継の様子を見ていた(写真は本人提供)

今年は新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、アピールをする機会が格段に少なかったこともあり、他の多くの有力選手を押しのけて2人の名前が呼ばれることは最後までなかった。

「もう一度プロを目指して」

しかし、2人の顔は晴れやかだった。そして2人はそれぞれ、江村がバイタルネット硬式野球部、濵田がBCリーグ信濃グランセローズへの入団が決まった。

2人は「あっという間の4年間でした。指名がかからなかったことは悔しいですが、野球を続けるからにはもう一度プロを目指して頑張ります」と口を揃えて意気込んでいた。

ドラフト会議の数日後、監物靖浩監督に話を伺うと「2人はこの4年間で特にたくさんの刺激を受けてもまれてきた選手。特にこの1年間は、本当にプロに行きたいという思いが伝わってきて、一番成長した2人だと思う。ただ、まあプロはそんなに簡単なものじゃないから、社会人リーグや独立リーグでしっかり実力をつけてからまた挑戦してくれれば」と監督らしくエールを送った。

首都2部リーグから再び指名される日まで

一方同じ首都大学野球連盟の2部リーグからは、最終戦で対戦した獨協大の並木秀尊(4年、市川口)が東京ヤクルトから5位指名でプロ入りを果たした。並木はインタビューで「江村投手はもともと苦手意識があったのですが、首都リーグで戦って切磋琢磨して、お互いに成長することができたと思います」と、大東大との対戦で得たことを振り返っていた。

プロ入りを決めた獨協大の並木は、会見で江村との対戦を振り返った

これについて監物監督は「2人も対戦して、きっといろいろな刺激を受けたと思う。また、彼が活躍することで首都2部リーグにも注目が集まるかもしれない。選手たちにとってもそれはチャンスだと思うので、今の環境で選手たちがしっかりと力を出し切れるようにしていきたい」と語った。

ドラフト会議で名前が呼ばれプロ野球選手になることは、すべての球児たちの夢である。これから先、大東大の選手たちがその舞台に立つ瞬間がきっとくるであろう、今はそれが待ち遠しい。