ラグビー

特集:駆け抜けた4years.2021

青山学院大主将・西野稜祐 「青学でラグビーがしたい」駆け抜けたラグビー人生

2020年10月4日、下馬評を覆し存在感をアピールした青学大

秋風が吹く10月4日、関東大学対抗戦初戦、vs早稲田大。その試合が1年生の私にとって初めての取材だった。

ラグビーワールドカップを少し見たことがあるくらい、そんなラグビーど素人の私に稲妻が走った。前年度の大学王者・早稲田大に対し、果敢に体をぶつけミスを誘う姿に胸を打たれ、12月の最終戦が終わるころにはすっかり青学ラグビーのファンになっていた。

中でも私が目を引かれたのは、常に声を出し力強いプレーでチームを引っ張った主将・西野稜祐(4年、東京)だ。1年生のころから最前線で戦ってきた西野のラグビー人生はどのようなものだったのだろう。取材から見えた西野の裏側に迫る。

ラグビーとの出会い、そして受験に失敗も……

4歳のころ父の勧めでラグビースクールに通い始めた西野。当初はWTBをやっていたが、小学校3年生くらいから徐々に今のポジションに近いSOやCTBをやるように。そこで西野が中学の進学先として第一志望に挙げていたのは、なんと青山学院中等部。しかし受験に失敗し、地元・多摩市の青陵中学校に進学。中学ラグビー部の門を叩くも部員はたったの3人、大会出場もままならない状況だった。

そんな西野にとって運命の出会いが訪れる。中学1年生の最初の大会で、一緒に合同チームを組んだのが青山学院中等部だった。そこで後に大学4年間共にプレーすることになる齋藤裕大(4年、青山学院)や荒井海斗(4年、青山学院)と出会い、初めて一緒にラグビーをした。「俺、中等部落ちたんだよね、いつか一緒にラグビーしようね」こんな言葉を交わしたという。

花園を目指し強豪・東京高校へ

高校は花園を狙える高いレベルを求め、東京高校に進学。3年のときに春の全国選抜大会で3位、国民体育大会で準優勝、花園はベスト8と好成績を残した。しかしその裏で、練習はかなりハードだった。「365日中362日は練習していた」と言うように、練習量が半端でなかった。「途中から慣れました」と本人は笑って振り返る。

そして高校でも青学との不思議な縁は続く。都大会で青山学院高等部と対戦。そのときには西野自身青山学院大学への進学が決まっており、「青学に進学決まったよ」と話した。特に齋藤とはよく連絡を取っており、大学入学後ラグビーを続けるか迷っていた齋藤を「一緒にプレーしよう」と誘った。6年越しの絆に、本人も「めちゃめちゃ激アツですよね」と語気を強める。

巡りめぐって青学へ

そして18歳の春、遠回りながら憧れの青山学院大学に入学。1、2年では寮生活を経験し、濃い同期や先輩、後輩と切磋琢磨していたようだ。

入学式での1枚。フレッシュ感が漂う西野(一番左)(写真は本人提供)

また西野が在籍した社会情報学部は、文系ながら統計やデータ分析などかなり理系寄りの科目が多く、なんと1年目に取得できたのはたったの28単位(青学の卒業要件は124)。必修科目も多く、土日しか練習に参加できない期間もあった中で、「大学入ってから人生で一番勉強を頑張った」と苦労しながらも両立した。

主将・西野誕生

大学3年のシーズンでは積極的にチームの動かし方にも関わった。そこで大きく精神的に成長した手応えもあり、11月末の学年ミーティングで主将に立候補。シーズンが終わり、オフ明けの2月から1年間主将の大役を背負った。

ホームである緑ヶ丘グラウンドで円陣を組む青学大

まさかの緊急事態宣言

しかし今年は全てがイレギュラーだった。2月に発足した新チームが軌道に乗り始めたころに新型コロナウイルスの流行に伴う緊急事態宣言が発令、青学ラグビー部も活動自粛を余儀なくされた。

活動拠点の緑ヶ丘グラウンドだけでなく、近所のジムも閉鎖されてしまったため、自分でできることを探しながらとにかく体力と筋力を落とさないようにトレーニングを重ねた。それだけでなく、主将として、自粛明けに活動できていなかった分をどのように埋めるか、部員の士気をどのようにコントロールするかなど常に考えを巡らせていた。

そして自粛が明けると、チームとしては対抗戦までの2回の練習試合(対山梨学院大、法政大)で出た課題をクリアするとともに「ディフェンス」の面を早稲田大戦で出し切るという方向性を決めて練習に励んだ。また西野自身、アタックもディフェンスも質の高いプレーをするとともに、「僕はただやるだけではいけないですから」とチームコントロールも意識した。

いよいよ関東大学対抗戦開幕、4年間の集大成

そして迎えた対抗戦初戦。対する早稲田大には前年の対抗戦で0-92、その前の年は0-123といずれも大敗を喫している。さすがにラグビー初心者の私でも「早稲田はとても強い」というのは知っていたので、正直厳しい展開になるだろうなというのが戦前の本音だった。

「(この早稲田大戦が)4年間通して見ても一番楽しかった。あれだけのいい舞台であれだけのパフォーマンスができたのはとてもよかった」

秩父宮にどよめきが起こった。課題に挙げていたディフェンスから相手のペナルティを誘い、確実に3本のPGを沈めた。またボールへの反応、密集のスピードはかなり磨かれており、最後こそ21-47とスコアは開いたものの、一時は21-26と1トライ差まで食らいついた。私だけでなく、多くのラグビーファンの心をつかんだ一戦だっただろう。

ディフェンスだけでなく果敢なアタックも光った(写真は青学ラグビー部提供)

しかしその後の試合は厳しい展開が続いた。「あそこから自分たちのパフォーマンスのレベルを下げてしまった。上げていくことができなかったことが反省」と西野が言うように、その後は全敗、ライバルに挙げていた日本体育大にも26-32と逆転負けしてしまう。

そして12月5日、最終戦で立教大と対戦し惜しくも17-22で敗戦し幕を閉じた。「ああ終わったなって」しかし西野には悔しさよりも協力的に頑張ってくれ、支えてくれた同期や後輩への感謝が押し寄せたという。

対立教大、激しい展開の中でフルに体を張り続けた

「負けはしたけど、早稲田戦にしろ例年とは全てが違い、学ぶことがたくさんあった1年だった」と主将としての1年を振り返った。

特に組織を動かす難しさという点を痛感したという。しかし自分の強みである発信力を生かし、常に自分の考えを素直にはっきり共有することを欠かさなかった。厳しいことやきついこともバンバン言った。

実際、SHの山同光(さんどうらいと、2年、國學院大學久我山)は、「チームで1番体を張り、常に最前線で戦っていた。誰にでも素直に物事をしっかり伝えられて、ラグビーにおいて全員から信頼されていた」と話す。「笑顔できついことを言ったりするが、なぜか恨めなくて毎日愛のムチをいただいていました(笑)」と、厳しさの裏にある部員への愛はしっかり伝わっていたようだ。

西野と山同(右)。練習後には必ずプロテインとマッサージをしていたそう(山同曰く”半強制的に”)(写真は山同提供)

熱い思いは引き継がれる

そんな西野主将の後を継ぐのは、SOの桑田宗一郎(3年、桐蔭学園)。1年からずっと試合に出続けており、ラグビー部への貢献度はとても高い選手だ。「しっかりしていて真面目だが、物静かなのでチームを動かす立場上、自分の考えていることを発信するという点は克服して頑張ってほしい。今年は特に青学のこれから目指すべきところが顕著に出たシーズンだったと思うので、それを理解してチームにうまく還元してほしい」と西野はエールを送る。

思わずこちらも微笑んでしまうような笑みで部員への愛を語った西野

結果だけ見れば全敗に終わってしまった。しかしこのコロナ渦でチームを導き続けた姿は私たちに多くの感動を与えるとともに、後輩たちにとっても大きな存在だっただろう。

大学卒業後は一線から退き一般企業に就職予定。「4歳から続けたラグビーで勉強したことを忘れることなく、会社の業務にも生かし続け、いち早く会社の戦力になることが目標」と語る。

取材終了後、最後に今だから言える話を尋ねてみた。すると「対面では絶対言えないんですけど」と照れながら、「立場上自分は結構部員に対して厳しかったんですね。それでも4年生の同期はとてもよく頑張ってくれたかな。それが結果には現れなかったけど、その姿は下の代にもつながると思うのでとても感謝している。後輩もきっと自分のことがめちゃめちゃ怖かったと思うけど、自分は後輩が大好きなので感謝もあるしこれからも頑張ってほしい」とはにかみながら答えてくれた。