東洋大学が箱根駅伝9位 鉄紺に起きた緊急事態を全員で乗り越え、20年連続シード権
第101回箱根駅伝
1月2・3日@東京・大手町~箱根・芦ノ湖間往復の217.1km
総合優勝 青山学院大学 10時間41分19秒(大会新)
2位 駒澤大学 10時間44分07秒
3位 國學院大學 10時間50分47秒
4位 早稲田大学 10時間50分57秒
5位 中央大学 10時間52分49秒
6位 城西大学 10時間53分09秒
7位 創価大学 10時間53分35秒
8位 東京国際大学 10時間54分55秒
9位 東洋大学 10時間54分56秒
10位 帝京大学 10時間54分58秒
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11位 順天堂大学 10時間55分05秒
1月2日、3日の第101回箱根駅伝で、東洋大学が9位に入った。ともに4年生の石田洸介(東農大二)や梅崎蓮(宇和島東)を欠きながら、最終区間で四つ巴(どもえ)となったラストスパート勝負を制した。箱根本番が迫る中で起きた緊急事態を全員で乗り越え、継続中としては最長を更新する20年連続のシード権を獲得した。
酒井俊幸監督「4人代えは、私も初めて」
往路のスタート直前、1月2日午前7時半ごろに発表された当日変更は、チームに起きた不測の事態を物語っていた。1区は石田から同学年の小林亮太(4年、豊川)、2区は主将でエースの梅崎から緒方澪那斗(3年、市立船橋)、3区は増田涼太(4年、広島皆実)からルーキーの迎暖人(1年、拓大一)、5区山登りは松井海斗(1年、埼玉栄)から同じくルーキーの宮崎優(1年、東洋大牛久)に変更された。
酒井俊幸監督によると、12月に入ってからまず石田がアキレス腱(けん)を痛め「思うような練習ができなかったので、今回は厳しいかな」と変更を決めた。梅崎の起用を見送ったのはスタート前日、1月1日の朝だったという。「走るべき選手なんですが、こちらも突発性のアキレス腱痛が出てしまい、本人も『2区を走りきれるか不安』だと。『場合によっては途中でリタイアもあり得る』と」。この時点で1~3区のメンバーを入れ替えて臨むことになった。
当初5区にエントリーされていた松井は「起用する方向でした」と酒井監督。ただ、1~3区を変更したことで「混戦になるだろう」という読みがあり、松井は「手術をした後に急ピッチで仕上げてきた」ことから、レースの後半にやや不安を抱えていた。「4人代えは、私も初めてです。2区のエースを交換したのも初めてでした」
小林亮太「下級生の強さが証明された」
年末ごろに1区出走が決まったという小林の右ひざには、テーピングが巻かれていた。ただ、スタート後に集団を飛び出した中央大学の吉居駿恭(3年、仙台育英)と関東学生連合の片川祐大(亜細亜大学4年、報徳学園)に続く、3番手集団の先頭を引くシーンもあった。
酒井監督は「彼も故障明けで、急きょの1区。その中で集団を引っ張るのは、なかなか勇気がいるんですけど、ああいう走りをしてくれたことが、2区以降の選手にも伝わったと思います」と言えば、小林は「集団を引っ張ることにワクワク感がありましたし、自分の役割を果たすという覚悟もありました」。区間11位で、初めて「花の2区」を任された緒方に襷(たすき)をつないだ。
緒方は区間20位と苦しい走りになり、順位は19位に。ただ、ここからじわじわと順位を上げていった。迎が区間8位で順位を三つ上げると、前回10区で区間賞を獲得し、今回は4区を託された岸本遼太郎(3年、高知農業)が青山学院大学の太田蒼生(4年、大牟田)、國學院大學の青木瑠郁(3年、健大高崎)に次ぐ区間3位の好走。一気にシード圏内の9位まで押し上げ、酒井監督も「あそこで順位を上げてくれたのが大きかった」と評価した。宮崎も区間9位と粘り、順位をキープして往路フィニッシュ。小林は「しっかり盛り返せたところは、下級生の強さが証明されたということだと思います」と誇った。
四つ巴の2番手で薄根大河がフィニッシュ
復路に入ってからも、シード権を巡る争いは続いた。そしてアンカー区間が近づくにつれて、それは激しくなった。
復路スタートの6区西村真周(3年、自由ケ丘)は3年連続で山下りを任されているだけあり、区間9位でまとめた。しかし7区の内堀勇(1年、巨摩)が東京国際大学や順天堂大学、帝京大学、日本体育大学にかわされ12位に。8区に入った時点で8~12位の差は1分09秒。東洋大は平塚中継所で襷を受けた網本佳悟(3年、松浦)が区間2位の走りで9位に上げ、9区吉田周(4年、広島国際学院)も順位を一つ上げた。
日本体育大学がシード権争いからこぼれ落ち、アンカーの薄根大河(2年、学法石川)が8位でスタートした時点で、11位の東京国際大とは32秒差。4チームが8位集団を形成する展開となった。
酒井監督は、あえて薄根に最初の1kmを速く入らせたという。「他校の状況を見ようと思ったんです。東洋が一番先にスタートして(1km)2分52秒ぐらいで。でも、すぐ他の3校が追いついてきたので、『これはみんな攻めてくるな』と。シード権に対する覚悟を感じました」
中でも帝京大のアンカーを務めた小林咲冴(しょうご、1年、樹徳)には、特にシードに対する執着心を感じたと振り返る。「私の声かけに対して、彼が一番反応するんです。『あまり自重していると後ろが追いついてくるよ』と言ったら、スッと前に出たり。まだ未知数だと思うのですが、意欲的でしたね」
薄根は昨年5月の関東インカレ1部ハーフマラソンで4位入賞を果たした実力の持ち主だが、ラストスパートには自信がなかった。終始「怖い」と感じながらレースを進め、ラスト1kmで東京国際大の大村良紀(3年、浜松商業)が仕掛けると、薄根もついていった。9位でフィニッシュし、2006年の第82回大会から続くシードの座を守り抜いた。
酒井監督が薄根の思いを代弁した。「あそこまで行くとなかなか仕掛けきれないので、最後までしっかり(足を)ためるということになるのですが、ああいう展開になると恐怖心が出てきます。でも、それ以上に『チームのため』というところが、彼の背中を押したのかなと思いました」。そして、ここにも梅崎を起用できない影響があったと振り返った。「本当なら網本を10区に回したかった。でも、8区で起用せざるを得なかった」
出雲・全日本から巻き返した”四つの力”と”四本柱”
今季の駅伝シーズン、東洋大は出雲11位、全日本13位と苦しんできた中、箱根駅伝で巻き返してきた。1区を走った小林は、出雲や全日本で出た課題に取り組んできたことが、今回の結果につながったと分析している。「監督は『体力・本番力・ハート・信じ抜く力』という〝四つの力〟のことをおっしゃっていて、加えて『有酸素運動・フィジカル・ケア・栄養』の〝四本柱〟だと。出雲と全日本を経て、これらを一人ひとりが行えたことで、最低限まとめられたのかなと思います」
気象条件などの違いもあるが、今大会で東洋大が残した10時間54分56秒の総合成績は、前回大会だと4位に相当する。酒井監督は「優勝タイムのレベルも高いですが、いっときの3番ぐらいのタイムまで、シード権争いのレベルも上がってきた」と高速化する箱根駅伝を総括しつつ、ホッとした表情を浮かべた。