東洋大・石田洸介 競技から離れて湧いた「走りたい」思い、復活の1歩を刻んだレース
第103回 関東学生陸上競技対校選手権大会 男子1部10000m決勝
5月9日@国立競技場(東京)
優勝 ジェームス・ムトゥク(山梨学院大3年)28分02秒29
2位 平林樹(城西大4年)28分03秒13
3位 ヴィクター・キムタイ(城西大3年)28分04秒93
4位 溜池一太(中央大3年)28分07秒82
5位 花岡寿哉(東海大3年)28分08秒26
6位 石田洸介(東洋大4年)28分08秒29
7位 小林亮太(東洋大4年)28分12秒77
8位 玉目陸(順天堂大1年)28分13秒67
5月9日の関東インカレ男子1部10000m決勝で東洋大学の石田洸介(4年、東農大二)が日本選手4番手に入り、6位入賞を果たした。積極的なレースを見せて、自己ベストを更新する28分08秒29でフィニッシュ。残された学生生活を悔いなく走り切る。鉄紺のユニホームを身にまとった最上級生からは、そんな気迫が感じられた。
「今出せる力は出し切れた」
序盤の1000m通過までは、前から10番手前後の位置をキープした。1600mを過ぎたあたりで留学生が先頭に立ったが、ハイペースとまではいかず、先頭の2000m通過は5分38秒。石田は「留学生がどう出るかなというところでハイペースで行ってくれたらいいなと思ったんですけど、そうではなくて」。仕掛けどころを判断するのが難しい中でレースは進んだ。3000mを過ぎ、徐々に集団が縦長になっていく。
5000m時点では7人ほどの4位集団を石田自らが引っ張った。その後、前方の選手を吸収していき、残り4周で大きな2位集団に。勝負の行方は最後の直線に持ち込まれた。結果的に最後の直線で2人にかわされ、6位となったが、表情からは充実感が漂った。「最近は本当に精神的にもきつかったので……。今、自分の出せる力を全部出し切ろうと思って走りました。今出せる力は出し切れたと思います」
かつて「スーパールーキー」と呼ばれていた時代から考えると、ここまで苦しんだ姿は想像できなかったかもしれない。中学のときに1500m、3000m、5000mの3種目で中学新記録をマーク。高校でも3年時に5000mで13分36秒89を出して高校新記録をたたき出し、数カ月後に13分34秒74まで更新。数々の大記録をひっさげて大学の門をたたいた。
箱根駅伝で惨敗し「トラウマができてしまった」
入学直後はその片鱗(へんりん)を見せた。1年生で迎えた出雲駅伝5区(6.4km)では18分55秒で区間賞を獲得。続く全日本大学駅伝の4区(11.8km)は持ち前のスピードと粘りを見せて区間賞を勝ち取った。箱根駅伝での好走も期待されたが、甘くはなかった。
初の箱根路となった2年時にエースが集う2区(23.1km)を任されたが、区間19位と惨敗し「箱根にトラウマができてしまった」と心身ともにボロボロになってしまった。このときの箱根から数カ月後の昨年5月ごろ、酒井俊幸監督や両親と話し合った。実家の福岡に帰り、陸上から離れることを決めた。「自分の中で限界が来てしまって。無気力というか……。走ることから離れるのが一番いいかなと思いました」
自宅では競技者ではなく、1人の学生として生活した。ペットの猫と遊んだり、興味のある動画を見たり。父や母とたわいのない話をして過ごした。少しずつ心が軽くなっていった。そして、約5カ月後。「走りたい」という気持ちが湧いてきた。石田は「時間が解決してくれました。自分に優しくというか、陸上がすべてではないという気持ちになれたのが、良かったのかなと思います。ふと、戻っても大丈夫かなと感じました」。
支えてくれたすべての人たちに恩返しを
この日のレース前に酒井監督からは「いけるところまでいこう。自分を信じて頑張ろう」と声をかけられたという。走り終えた後、苦しい期間を支えてくれた人たちへの感謝の言葉があふれ出た。「こうして戻ってこられて、ようやく監督やスタッフの方々、自分の近くで支えてくれた両親へ、自分としては誇れる結果をひとつ残せたんじゃないかなと思います」
石田自身、これはあくまで復活へ向けた「1歩目」という意識だ。レース後、明確なタイムや順位といった目標は口にしなかった。とにかくチームに貢献するための走りを続けること。東洋大は昨季、全日本大学駅伝でシード(8位以内)落ちするなど、苦しい戦いが続いた。石田の復調は何よりも大きな戦力になる。駅伝シーズンを見据えて言った。
「最後は4年生らしい姿を後輩に背中で示したい。なにより自分が陸上から離れたときに支えてくれた家族や見守ってくれた監督、同期、スタッフの方々に恩返しできる結果を残したい」