東洋大ボクシング部主将・豊嶋海優 支えてくれる人の暖かさに後押しされプロの道へ
コロナ禍の1年間、伝統ある東洋大学ボクシング部を率いたのは豊嶋海優(とよしま・かいゆう、4年、横浜総合)だ。人生の岐路に立ち、ボクシングへの思いを再確認した彼の4年間に迫る。
チームを結束させた「けじめ」
2017年に東洋大に入学すると、すぐにチームの暖かさを肌で感じた。小林彩澄マネージャー(3年)が「チームの色をそのまま表している」と語るのは、大会で一目置かれる東洋大の応援だ。どんな会場もホームに染め上げるその声援は、日頃の団結の象徴である。
そんなチームの主将となった豊嶋。目標に掲げたのは、優れたチームワークの維持と礼儀正しさの向上だ。常に気を張っていると楽しくないと、プライベートと練習のけじめを徹底しチームを統制。前主将の木村蓮太朗(現プロボクサー)の後任というプレッシャーをもポジティブに捉え、東洋大らしいチームづくりで飛躍の1年を目指した。
豊嶋を強くした「最悪の試合」
一時は練習に行かなくなるほど最悪の試合だったという、2年次の関東リーグ戦。相手は中学生のころから試合をしていたという拓殖大学の重岡優大選手(現プロボクサー)だった。
6回目となるライバルとの試合だったが、思うような動きができず惜しくも敗退してしまう。これにより精神的に大きなダメージを負った豊嶋だが、エネルギーのベクトルが急転換。「強くなりたい、負けたくない」という確固たる野心が芽生えた。感覚だけに頼ることなく、自分のボクシングを詳細に分析することをはじめた。この試合が、のちに主将となる豊嶋のターニングポイントとなった。
学生から社会人へ
自身の気持ちと現実を何度も照らし合わせた1年。意気揚揚とボクシングと向き合うころに、自粛生活は訪れた。異例の体制でチームをまとめながらも、将来に目を向けて競技の進退を熟考。すぐに継続を決断できない理由は、3年次の国体後の心境にあった。初戦敗退と、以前ならば納得できない結果だ。しかし、自分のボクシングができたその試合に、豊嶋が悔しさを感じることはなかった。
また、アルバイトの収入がなくなったことも懸念材料の一つだった。貯金を切り崩して送る生活は先が短く、コロナ禍が長引き経済的にも不安が残る。ボクシングを続けるべきか、自身が納得する道を模索する。そんな中で最後に背中を後押ししたのは、支えてくれる人の暖かさだった。「周りに色々相談して、応援してくれる方たくさんいて」と、ついに決意を固めた。大学ラストイヤーは表舞台での活動が制限され陰ながらチームを支えた主将は、周囲の支持を受けてプロのリングに立つ。