モーグル

愛知工業大競技スキー部・柳本理乃 一度離れて知った「モーグルの奥深さ」

北京オリンピック代表入りを目指す柳本。モーグルの「奥深さ」に気づき成長した

来年に迫った北京冬季オリンピックのフリースタイルスキー・女子モーグル日本代表を目指す、愛知工業大の柳本理乃(3年、清林館)。不完全燃焼に終わった昨シーズンの悔しさを胸に、代表枠を争うライバルに負けじと、安定感とスピードを磨いている。

けがでぽっかりと心に穴が開く

「約30秒という短い競技時間の中で、いかに『エア』『スピード』『ターン』の3つをミスなく、一連の動きでできるか。それが醍醐味であり、難しさだと思います」

愛知工業大の柳本理乃はモーグルについてこう語る。モーグル歴はすでに14年。モーグルをしていた両親の影響で、物心がついた時にはスキー板を履き、小学1年からコブ斜面を滑っていた。ただ、始めてからしばらくは、モーグルはどこまでも楽しいもので、その奥深さはわからなかったという。

モーグルが何たるかを知ったのは、愛知・清林館高に在学していた高校2年の時だ。きっかけはけがだった。2年生に進級したばかりの4月、柳本は大会前の練習で左ヒザを負傷する。全治4カ月の大けがだった。

「その日は雪のコンディションが悪かったんです。エアをした直後の着地で引っ掛かり、前に倒れてしまいました。経験したことがない違和感を左ヒザに感じながらも、そのまま滑ったんですが、時間が経つにつれて痛くなってしまって……」

「モーグルは楽しい」から続けていた柳本。高2のときのけがが選手としての転機となった

それまで生活の中心にあったモーグルができなくなったことで、柳本の心にぽっかりと大きな穴が開く。けがへの恐怖心も手伝い、モーグルをやめよう、という気持ちが芽生えた。「リハビリを経て体は順調に回復していましたが、メンタルの方は時間がかかりましたね」。

「しっかり目標設定をして、そこに向かっていくタイプ。とことん打ち込んでいたものが突然できなくなり、虚無感に襲われたのでしょう」。愛知工業大の競技スキー部で柳本を指導する西裕之監督は、当時の様子をこう察する。愛知工業大の選手時代、全日本学生アルペンチャンピオン大会で5位になった西監督は、2003年より母校の監督になった。

再開を黙って待ってくれていた両親

支えてくれたのは、大会に出ていた小学生の頃からサポートしてきた両親だった。柳本は中学時代、部活には所属せず、「エア」の動きにつながるからとトランポリンスクールに通っていたが、これも両親の勧めだった。

「父も母も『やめたいのであればやめてもいいよ。少し高校生生活を楽しんでみれば』と言ってからは、一切何も言いませんでした。再開するのを黙って待っていてくれた感じです」

本格的に競技に復帰したのはその年の8月。またモーグルをやりたいという気持ちになった柳本は、オーストラリア遠征に参加した。ところが、筋力が落ちていたため、ケガをする前の時と同じようには滑ることができなかった。

持ち味のエアだけでなく、けがをしたことによってスピート、ターンも磨かなければと思うようになった

「モーグルって難しい……」。子供の頃からただただ楽しいものと思っていたモーグルから、初めて現実を突きつけられた。これを境に柳本はより高い意識で競技に向き合うようになり、アスリートへと脱皮していく。

もともと柳本はトランポリンで培った「エア」を持ち味にしていた。だが、それだけでは上を目指せない。「『スピード』『ターン』を合わせた3つが揃っていなければダメだと、けがが教えてくれたような気がします」

少ないチャンスをものにし、W杯で世界5位に

愛知工業大に進んだのは、モーグル元日本代表の四方元幾(しかた・もとき)の影響だ。年齢的には6歳上の四方は、柳本にとって憧れの選手であり、子供の頃から愛知県のクラブチームで一緒に滑った幼なじみでもある。愛知工業大卒業後も、豊田合成で競技を続けていた。「四方さんから愛知工業大なら学業との両立もできると勧められ、入学を決めました」

大学1年時にナショナルチーム入りした柳本は、競技スキー部以外でも活動がある関係で授業に出られない時もあるが、課題をしっかりこなすなどして、経営学部での単位を順調に取得している。

学業と競技の両立を目指し、愛知工業大学に進んだ。トレーニング環境も申し分ない

少数精鋭で構成している競技スキー部での全体練習は週に3回。スキー板を履くのは冬場のシーズンの時だけで、それ以外は筋力、心肺機能、俊敏性を高めるフィジカルトレーニングが中心だという。メニューはなかなかハードなようで、柳本は「大学構内には坂道や階段など、追い込むには絶好の場所があるんです」と笑う。走り込みのおかげで下半身が強化され、それはもちろん競技にも生かされている。

柳本が一躍脚光を浴びたのは、昨年2月に秋田・田沢湖で行われたワールドカップだ。高校3年時からワールドカップに出場していた柳本は、ここで5位入賞を果たした。西監督は「大学1年からナショナルチームにはいましたが、選手層が厚く、なかなか海外の大会には連れて行ってもらえていなかった中、よく国内の大会でチャンスをものにした」と話す。日本のモーグルの競技人口はアルペンよりは少ないものの、男女ともにレベルは高いという。

まずは日本人代表枠に入る

ランクAの強化指定選手として臨んだ2020-2021シーズンは不完全燃焼に終わった。コロナの影響で試合数は少なく、世界選手権とワールドカップと合わせて8戦行われるはずが4戦に。シーズン総合成績は25位(日本人女子では6位)だった。

「ところどころでミスが出てしまいました。最初から最後まで安定した滑りができないと…それとスピードですね」。柳本は反省と課題についてこう口にする。

オリンピックに出たい、出るからにはメダルを獲りたい。柳本の挑戦は続く

現状では、2022年の冬季北京オリンピックのモーグル女子代表枠に入るのは厳しい状況である。だが西監督は「チャンスは十分にある」と見ている。「現段階では候補6名中で一番下ですが、上位との差は縮まっていると感じています。今年12月のワールドカップ初戦までにこの差を埋めたいと、私も思っています」

柳本も「もちろんオリンピックには出たいですし、出るからにはメダルを獲りたい」と静かに闘志を燃やしている。

現役真っただ中にいる柳本だが、将来のことを考える時も。「最近、競技を始めたばかりの子供に関わることが増え、競技を引退したら、手助けをしたいと思うようになりました」

ただし、これはまだ先の話。一度距離を置いてその奥深さを知ったモーグルで、子供たちが憧れる輝きを放つつもりだ。