ラグビー

北大「チーム伊藤」、全国舞台に刻んだ一歩

北大を引っ張ってきた伊藤主将(左)

全国大学選手権1回戦

11月24日@福岡・ミクニワールドスタジアム北九州
福岡工業大(九州学生1位)108-0 北海道大(東北・北海道)

まったく歯が立たなかった。北の大地のラガーマンは、遠く福岡で涙を流した。
北海道大学ラグビー部が創部95年目で初めて踏んだ全国の舞台。大学選手権1回戦の相手は、26回目の出場となる福岡工業大だった。北大は花園経験者が2人いるものの、FW8人の平均体重は84kgと一般の高校生チーム並み。トンガ人留学生が2人いる相手に108点を奪われた。そして無得点に終わった。

観客席に一礼したあと、北大主将のSO伊藤智将(ともまさ、4年、横須賀)はしばらく頭を上げられなかった。「いろんな思いがこみ上げてきました。4年間やってきたことが。応援してもらったのに、期待に応えられませんでした」。記者会見のあとの通路で伊藤を呼び止めると、時折言葉に詰まりながら、そう言った。誠実そのものの表情と語り口、トレーニングをやり抜いてきた体。「チーム伊藤」がここまで来た理由が、それだけで分かった気がした。

11月4日、大学選手権の東北・北海道代表決定戦。北大は過去5年続けて負けてきたこの一戦で、東北学院大を21-17で下した。創部95年目にして初の全国大会出場が決まった。北海道勢の出場も初めてだった。「僕は1年から試合に出させてもらいました。1年のときは1点差で負けて、そこから本気でやってきました。2年、3年と負けるたびに『ここを直せば』『ここが足りない』ってずっとやってきて、やっと勝てました。喜びました。あんなに喜んだことって、これまでにないと思います」。伊藤が20日前の歓喜を振り返る。

体格差は大きく、108点を奪われた

神奈川県横須賀市の出身。小学校のときにタグラグビーを始め、中学時代は横須賀市ラグビースクールで力を蓄えた。横須賀高では2年のときが最強チーム。伊藤はSOとして花園予選の神奈川県ベスト4進出を経験した。主将を務めた高3のときはベスト16だった。家族旅行や修学旅行で訪れた北海道での暮らしにあこがれ、1浪して北大工学部機械知能工学科へ進んだ。

ラグビーを続ける気持ちは強くなかったが、勧誘されて練習を見に行くと、血が騒いだ。前述のように、1年のときに1点差で大学選手権出場を逃し、心に火が付いた。そこからはラグビーにどっぷりの3年間を過ごした。
伊藤は2年の最初からアルバイトを始めた。札幌駅前のホテルの朝食会場が職場だ。ビュッフェスタイルの料理を補充し、目玉焼きの調理もする。繁忙期は週4回、朝5時半から10時まで働く。これをいまも続けている。そんな話を聞きながら、誠実な働きぶりが目に浮かぶような気がした。

「学生主体」に誇り

入学前はあこがれだった雪の中での暮らしは、実際には大変だった。何しろ11月中旬から翌年3月の中旬まで、外で練習ができない。冬は人工芝の屋内練習場で基礎練習の日々。雪が溶け次第、グラウンドに飛び出していく。
いまは選手49人にマネージャーが5人という所帯。北大ラグビー部は伝統的に学生主体だ。監督もいない。練習メニューや試合のメンバー、戦い方に至るまで、学生たちが決めていく。練習は1日2時間で週4回と少ない。分析スタッフの2人が対戦校を調べつくし、受験時代から得意の「傾向と対策」を持って戦うのだ。今回も九州在住のOBから相手の3試合分の映像を譲り受けて分析したが、実際にやってみると映像以上の迫力だった。でも、伊藤は言った。「自分たちで何もかもやってきたんで、そこには誇りを持ってます」

さいごまであきらめず、ボールを追った

また書くが、0-108。ほとんど敵陣に入れない完敗だった。伊藤はまた泣きそうになるのをこらえながら、こう話した。「泣いてる選手もたくさんいました。悔しいって言える点差でもないかもしれません。でも後輩たちには、この悔しさを忘れないでいてほしい。今日がスタートなんです」。伊藤は来春、北大の大学院に進む。「コーチをするかもしれません」と言った。いや、やるでしょ。間違いなく最高のコーチになれる。

最初の一歩がなければ、何も始まらない。「チーム伊藤」が確かに刻んだ一歩の先にどんな未来があるのか。がんばれ、北大ラグビー部。

大敗を受け止める北大の選手たち