ラグビー

特集:第56回全国大学ラグビー選手権

京産大の5回生フッカ-宮崎達也は誓う「日本一で大西先生の花道飾る」 15日に日大戦

かつてSHだった宮崎はフッカーながらパスもうまい(撮影・安本夏望)

ラグビー全国大学選手権 3回戦

1215日@埼玉県営熊谷
京都産業大(関西大学Aリーグ4位)vs 日大(関東大学リーグ戦12位)

ラグビーの大学選手権は1215日の3回戦から、関東と関西の大学が登場する。埼玉と大阪で4試合があり、勝った4チームがシードの4チームを合わせてベスト8進出となる。

69歳の大西監督が今シーズン限りで退任 

埼玉では1973年就任の大西健監督(69)が今シーズン限りで退任する京都産業大が、日大とぶつかる。スクラムが強い京産大のFW1列を支えるのは、全国的に見ても最も小さなFWのひとりである身長162cmの宮崎達也(4年、伏見工)だ。 

関西大学Aリーグ最終戦となった天理大との試合でも、スクラム、モールといったセットプレーでプレッシャーをかけ、宮崎はトライも奪った。「天理大はセットプレーに自信を持ってるチームでしたけど、そこで崩したりトライを取れたりできました」と宮崎が言うように、前半は7-17と善戦した。だが後半は接点で押し込まれて後手に回り、12-50の完敗。43敗の関西4位で大学選手権に進出した。 

「大西先生がラストイヤーということは、リーグ戦が始まる前から意識してました。リーグ戦優勝を目標にやってきたんですけど、できなかったので、大学選手権で優勝して日本一になって、大西先生を胴上げするのが目標です」。宮崎はそう言いきった。

今シーズン限りで退任する京産大の大西監督(撮影・安本夏望)

もともとはSHSOだった

 宮崎は器用だ。フッカーながらパスやステップもうまい。小学3年生のとき、南京都ラグビースクールで競技を始めた。もともとはスクラムハーフやスタンドオフだった。中1で体重が70kgと周りの選手よりも大きかった宮崎は「中学生になるとグラウンドが広くなるので」と、フッカーに転向した。

 高校は地元の伏見工(現・京都工学院)に進む。2学年上の代にワールドカップでも活躍したSOCTB松田力也(現パナソニック)がいた。宮崎たちの代では、京都府予選決勝で京都成章に負けて、花園には行けなかった。

「フィールドでのプレーやパスはFWの中でもできる方だと思ってたんですけど、スクラムとかラインアウトのセットプレーは全然ダメだったので、そこが鍛えられると思って」と、スクラムに力を入れている京産大に進学した。

宮崎(左端)は主将の伊藤(右端)より25cmほど小さい(撮影・斉藤健仁)

 そして大西監督や、元日本代表のPRだった田倉政憲コーチからみっちり指導を受け、いまでは、スクラムワークは宮崎の武器の一つになった。「大学の練習で、スクラムの考え方も変わって、自信になりました」 

大学選手権初戦の相手は、同じくスクラムが武器の日大だ。セットプレーの攻防が大きな焦点となるのは、宮崎も十分承知だ。「日大もスクラムにプライドを持ってるチームなので、こだわってくると思う。ちょっとでも引けば好きなようにやられてしまうので、スクラム、モールは全部圧倒する、勝ちにいくという気持ちでやりたい」と意気込んでいる。

小さくても戦えるように技を磨き、体を鍛えた

 宮崎は関西で言うところの「5回生」だ。単位が足りずに留年したため、5年目の大学生活を送っている。「社会人でもトップリーグでラグビーを続けたい」という目標をかなえるため、もう1年、学生生活を送ることに決めた。そして今年、大西監督のサポートもあって、来シーズンからトップリーグのチームでプレーすることになった。

リーグ最終戦で天理大に大敗し、悔しそうな宮崎(中央手前)

 大学のFWでは最も低い部類の162cmという身長に関して宮崎は「接点やスクラムもモールも、相手より低くプレーできる」と、プラスにとらえている。ただ、接点でのコンタクトについては「普通にプレーしていたらどんな相手にも勝てない」と、スキルアップやフィジカルトレーニングに精を出してきた。大学に入ったときの体重は95kgだったが、いったん85kgまで落として、再び筋肉で95kgまで増やした。ベンチプレスは130kgまで挙げられるようになった。 

大西監督は「大学選手権でもう1度天理と対戦したい」と口にしている。当たるとすれば大学選手権の準決勝だ。部員の誰よりも大西監督の指導を受けてきた宮崎だけに、花道を飾りたいとの思いは人一倍ある。まずは監督のもとで積み上げた5年分の努力と思いを、日大にぶつける。