東海大・館澤亨次 帰ってきた主将、持ち前の安定感でチームを連覇に導けるか
東海大に、あの男が帰ってきた。「黄金世代」をけん引してきた主将の館澤亨次(4年、埼玉栄)だ。けがで苦しんだ期間を糧とし、箱根駅伝連覇を目指すチームに太い芯を通す。
頼もしく感じているチームの成長
今年の東海大は層が厚いと言われている。11月の全日本大学駅伝では「黄金世代」と称される4年生の中心である館澤、關颯人(佐久長聖)、阪口竜平(洛南)、鬼塚翔太(大牟田)の4人が走れなかったにもかかわらず、16年ぶり2度目の優勝を飾った。箱根のメンバー争いもし烈を極めた。10000mのベストタイムがチーム3位の關と、過去3年連続で箱根の6区を担い、2年連続区間2位の中島怜利(4年、倉敷)がエントリー漏れ。「誰が走っても箱根の連覇ができるのでは」という声も聞こえてくるほど、個々のレベルは高い。
館澤はそんなチームを、主将として頼もしく感じているという。自身はけがの回復が遅れたため、3年生までフル出場だった学生三大駅伝は、出雲、全日本と2大会連続で欠場。全日本では初めて、サポートする側に回った。
「3年生は臆することなく4年生を突き上げてきますし、それを見て1、2年生も上級生を食ってやろうと挑んでくる。こうした後輩たちの姿勢が、チームを成長させた気がします」
けがの回復が遅れ、全日本の出場も見送った
大学3年生までは順風満帆だった館澤だったが、今年は苦しんだ。けがが判明したのは8月に入ってからだが、4月の段階で右足のハムストリングスを痛めていた。その影響でトラックシーズンは本来の走りができず、5月の関東インカレの男子1500mでも3連覇を逃した。けがの判明後は治療に専念したが、回復が遅れ、10月上旬の段階では出場する予定だった全日本大学駅伝も見送った。
本格的に走れなかった約3カ月半は苦しかったに違いない。なにしろ陸上を始めた小学4年生のころ以来、1週間以上走れなかったことがないのだから。それでもこの長くつらい期間はプラスになったという。
「ケアの大切さもわかりましたし、チームを外から見られました。それとフォームの修正も。JISS(国立スポーツ科学センター)でのトレーニングで、トレーナーから背筋を使って走るクセがあるとの指摘を受け、腹筋を鍛えたことでフォームが改善されました」
「最低でも」区間2位か3位は確保する
けがが治ったあとで初めて長い距離を走ったのは、全日本の翌週(11月10日)にあった世田谷ハーフ。痛みを感じることなく、1km4分のペースで走りきると、11月17日の上尾ハーフでは1km3分40秒台にペース設定。実際は3分半まで上げ、1時間14分でゴールした。「3分半でも余裕だったので、自信になりました」と館澤。復帰までには時間を要したが、復帰後は箱根に向けて順調に推移している。12月18日の合同取材の時点では「回復度合いは70%くらい」と言っていたが、館澤のことだ。残り約2週間で限りなく100に近づけてくるだろう。
館澤は自らの強みを「安定感」だと心得ている。「東洋の相澤晃(4年、学法石川)のような爆発力はありませんが、好調でなくても、常に及第点の走りができると思ってます」。もちろん狙うは区間賞だが、「最低でも」2位か3位は確保するつもりだ。
区間については「2区を走ってみたい」という気持ちはあるが、強いこだわりはない。苦手な区間もない。1年生のときから5区、8区、4区と、毎年違う区間を走ってきた。「どこの区間を任されようと結果を出すだけです」と、淡々と話す。
卒業後はDeNAに入社予定で、1500mに専念する意向を持っている。加えて同社は昨年駅伝から撤退したため、館澤はこの箱根が最後の駅伝になる可能性が高い。
けががいい経験になった――。すべて終わったときに笑顔でそう言えるよう、締めくくりにふさわしい走りで連覇に貢献してみせる。