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特集:関学アメフト・鳥内監督ラストイヤー

関学・鳥内秀晃監督退任に寄せて 妻の美香さん「正義感が強くて、まっすぐな人」

おととしの12月、還暦祝いで報道陣から60番の赤いユニフォームを贈られた鳥内監督と美香さん(撮影・篠原大輔)

アメフトの日本一を決めるライスボウルが13日にあり、学生代表の関西学院大は14-38で社会人Xリーグ代表の富士通に敗れました、今シーズン限りでの退任を表明していた関学の鳥内秀晃監督(61)にとって、ラストゲームとなりました。監督生活は1992年の就任から28シーズン。関学の監督としては異例の長さでした。その間、3人の息子たちはみな、父のもとでアメフトに取り組み、卒業していきました。4years.は家族のみなさんに、監督退任に寄せた手記をお願いしました。最後は妻の美香さん(55)です。

まさか28年間も

長い間お疲れさまでした。家の製麺業の仕事もあるし、まさか28年も監督をやるとは思ってませんでした。子どもたちが3人とも関学でアメリカンやって、父親がやってきたことが身をもって分かったと思うし、それはよかったなあと思います。基本的に私には何も相談しない人やから、監督をやめることも、決まってから聞きました。いつもそうなんです。何でも私が最後に知るんです。

最後のシーズンもライスボウルまでいけて、ほんとによかった。立命に負けて甲子園ボウルにいけなかったり、甲子園ボウルで負けたりすると、そのあとずっと暗いから。あれ、こっちは結構気を遣うんですよ。「おもんない、おもんない」って言いますもんね。

私たちには共通の知人がいて、その人のつてでお見合いしました。大学を出て、アメリカにフットボールの勉強に行って帰ってきて2年目ぐらいでしたっけ? 朝は家の仕事を手伝って、午後は関学のアメリカンのコーチをしてるって聞いてました。私はアメフトのアの字も知りませんでしたけど……。よく「第一印象が怖い」っていう人がいるんですけど、私はそんな感じしなかったです。飾らないし、自然と話ができるところがいいなと思いました。普段はしょうもないウソばっかりつくけど、根本的に優しいしまじめだから、人をだましたりはしないと直感しました。

4時半に起きて配達、2時間寝て大学へ

1年半ぐらいして結婚しました。休みは旅行に行くでもなく、ごはんを一緒に食べに行くぐらいで。30歳で結婚して33歳で監督になりましたよね。最初のころは、ほんまに大変やったと思います。コーチの方も少なくて、ほとんど一人でやってたみたいで。アメリカンのことは家には持ち帰らない人ですけど、イライラする気持ちが態度に出てましたから。

4時半に起きて、商品の配達。終わってから2時間ぐらい寝て、自分で起きてくる。それから朝ごはんを食べて、10時には大学へ向かう生活でしたね。

春も秋もシーズンに入ってしまうと、月曜のオフ以外は土日がほとんどつぶれるから、息子たちの学校の行事にはほとんど欠席。母子家庭状態でした。コーチの人数が増えてくると、みなさんのために「春のシーズンは日曜をオフにするねん」って。そういう優しいところがあるんです。

ハワイで思った「さすがやな」

三男が私のおなかにいたとき、家族でハワイへ行きましたね。3人目を産んだら、もうハワイなんて無理やろなと思って。そしたら向こうで夜中におなかが痛くなってしまって……。家族4人で救急車に乗りました。そのとき、英語で向こうの人に全部説明してくれて。ほんまに助けられたし、「さすがやな」と思いました。

試合のときのコメントなんかを読むと、みなさんを笑わせるようなこと言ってますけど、家では全然面白くない。寡黙ですから。毎晩のように通うお店が近所にあって、そこでお酒を飲んでワイワイやるのが唯一のストレス発散なんですよね。あのお店があったから、こんなに長く監督もやってこられたんでしょう。ほんとに感謝です。

12年前の大みそかに、お父さん(編集部注:鳥内昭人=元関学アメフト監督、享年80)が亡くなりました。それまで店のことはほとんどお父さんがやってくれてたから、一気にやることが増えましたね。監督との両立で、ものすごく疲れてるのが分かりました。髪の毛が減り始めたのも、あのときからですよね。それでもやってこられたのは、番頭さんがいてくれたから。あの人がいなかったら、もしかしたら監督は続けていられなかったんじゃないですか? ほんとにいろんな方の支えがあっての28年でしたね。

平郡君のことで「やめなあかんやろ」

監督として一番つらかったんは、平郡(へぐり)君が亡くなったことですよね。(編集部注:20038月の夏合宿中、4回生で中心選手だった平郡雷太さんが急性心不全で死去)あのときは喪に服してチームを離れて、ずっと家にいました。当然私には何も言いませんでしたけど、「責任とって監督がやめなあかんやろ」って、誰かと電話で話してるのが聞こえました。「つらいやろな」と思いながら、私には普通に接することしかできませんでした。

いまでも毎月、平郡君のご自宅を訪ねては仏壇に手を合わせて、ご両親としゃべってきますよね。関学アメリカンの同期のマネージャーで、早くに事故で亡くなられた北平(雅也)さんのお墓参りにも行って、お母さんとしゃべってくるんですよね。お墓参りだけじゃなく、そうやってコミュニケーションを大事にするのが、いいなと思ってました。

ほんとに正義感の強い、まっすぐな人です。誰かが困ってたら、すぐ「俺が話しに行ったるわ」とか、「そういうことやったら詳しいヤツおるから聞いといたるわ」とかいうのは、しょっちゅうですよね。

去年の2月に長男の結婚式がありました。長男が大学からアメフトを始めたのは、高3のときにお父さん(昭人さん)に「やってみろ」って言われたからなんです。そしたら、その年の大みそかに亡くなってしまった。披露宴の最後のあいさつで長男がそのことに触れました。「おじいちゃんにアメフトしてる姿を見てほしかったし、ここにもいてほしかった」って。そしたら泣いてましたよね。ビックリしました。長男も泣いたから、つられたんですかね。

得意の「ウソに決まってるやろ」

これから、どうするんですか? 店をたたんでいく準備はあると思うんですけど、どんな毎日を過ごすのか想像つきません。でも、あんまり家にはいないんじゃないですか?

たまにごはんを食べに行ったりしたらしゃべるから、そのときに軽くだまされるんです。意外なこととか私が聞いたことないことを言うから、思わず「えっ?」って言うじゃないですか。そしたら「ウソに決まってるやろ。何年一緒におんねん。まだ分からんのか」って。

これからも多分、そんなことばっかりですよね? 分かってますよ。
                                   鳥内美香