陸上・駅伝

特集:東京オリンピック・パラリンピック

東洋大・池田向希に見た確かな成長、神戸で決められなかった競歩20km代表を能美で

池田(3番)はこの日本選手権では東京オリンピックを決められなかった(すべて撮影・寺田辰朗)

第103回日本選手権 男子20km競歩

2月16日@兵庫・六甲アイランド甲南大学西側コース
1位 山西利和(愛知製鋼) 1時間17分36秒
2位 池田向希(東洋大)  1時間19分7秒
3位 高橋英輝(富士通)  1時間19分53秒

東京オリンピックの代表選考を兼ねた日本選手権20km競歩は216日、神戸市内であり、東洋大3年の池田向希(浜松日体)は、1時間197秒で2位だった。昨年は5連覇した高橋英輝(富士通)に1秒競り負け、今年は2019年世界陸上金メダリストの山西利和(愛知製鋼)に1分31秒の大差をつけられた。3年続けて学生トップの成績を残したが、実業団勢に“日本一”のタイトルは阻まれ続けている。 

レース後の池田は、「率直に悔しいです。やりたかったレースができなかった」と、無念を口にした。だが課題としてきた歩型に関しては、この大会でも上位選手に警告が多く出たなか、1枚だけにとどめた(3枚出されるとペナルティゾーンで2分待機、4枚出されると失格)。酒井瑞穂コーチと取り組んできた歩型改良が、成果として現れつつある。

すでに代表に決まっている山西が優勝したため、今大会でのオリンピック代表内定選手は出ず、残り2枠の代表決定は3月の全日本競歩能美(のみ)大会に持ち越された。

オープン参加のスウェーデンの選手(中央)に引っ張られ、序盤からペースが上がった

山西のスパートにつけなかった

金メダリストが動いたのは11kmだった。高橋、山西、池田の優勝候補3人の集団で、3分50秒台だった1kmごとのスプリットタイムを、山西が一気に3分40秒へと上げたのだ。高橋はしばらくして追いついたが、池田は離され続けた。

「追いつこうと頑張りましたが、気持ちの面で焦りが出てしまいました。それが原因で脚にきてしまった。山西さんが上げてくることは予測していたのですが、思ってた以上にハイペースで、長い距離のスパートでした」 

呼吸にはまだ少し余裕があったが、脚がまったく動いてくれなくなった。16km付近では野田明宏(自衛隊体育学校)に追いつかれ、最後には40秒以上の差になっていた。

「ラストも上げることができず、終盤は一気にペースが落ちてしまいました。どんなレースになっても落ち着いて歩き、リラックスしてレースができるようにならないと勝てません」 

山西に振り切られたが、自分でも確かな成長を感じてはいる

終盤は2年前の大学1年生のときと同じ4位フィニッシュを覚悟して歩いていた。だが高橋が19km手前でペナルティゾーンに入ったため、一つ順位を上げて3位でフィニッシュ。野田にも最後の直線で3枚目の警告が出て、フィニッシュ後に2分が加算された。これで池田が2位に繰り上がった。 

池田としては「レース的には(4位と)負けてました」と受け取っているが、警告枚数が少なかったことで2位を確保した。代表に決まっている山西を除けば、最高順位に入ったのだ。

フォーム改善への取り組み

池田は自己記録の1時間17分25秒を出した昨年3月の能美でも、警告を受けていた。警告が出ると自分からペースを上げて仕掛けられなくなる。1人で歩いているときの方が警告を出されやすい傾向があるため、集団の中で歩いてラスト勝負に持ち込むなど、勝ちパターンが限られてくる。

その点において2人の金メダリスト、20km競歩の山西と50km競歩の鈴木雄介(富士通)は歩型に絶対的な自信を持つ。世界陸上でも山西は残り7kmからのスパートでリードを広げ、鈴木は最初から先頭に立って逃げ切った。池田は世界陸上で6位に入賞したが、山西との違いを痛感した。

池田は昨年の能美大会以降も歩型改善に取り組んでいたが、ドーハから帰国後にその課題をさらに突き詰めた。技術的な動きの部分を、酒井コーチは次のように説明する。

「(支持脚が離地したあと)足の位置が高くなると警告を取られますが、いまは低い位置で前に出せるようになりました。そのためには臀部、ハムストリング(大もも裏側)、背中など、支える部位の筋力が必要です。それに肩甲骨や骨盤、足首などの柔軟性が加われば、低い軌道で足を振り出せて、警告を取られません。世界陸上は暑さによる疲れで上半身が固まってしまって、前に出られませんでした」 

それでも、10月の世界陸上では警告ゼロで、(失格にはならない)注意が1枚出されただけだった。池田の成長はその時点でも明確だった。 

今大会は高橋や野田に限らず、警告が極めて多く出た。オフィシャルデータで公表されないので確認できる範囲になるが、出場者の45%にあたる35人に警告が出た。今村文男五輪強化コーチはその要因として、序盤の世界記録ペースに、各選手が対応できなかった可能性を指摘した。

昨年までの2kmだったコースが、今年から国際大会に多い1kmのコースに変更された。審判がチェックする回数も増えたことも、警告が増えた一因と言われている。東京オリンピックでも審判を務める国際審判員が、今大会は5人招聘されていた。 

そんな大会でも池田は、警告を最後に1枚出されただけにとどめた。歩型に定評がある山西と同じ枚数である。「毎日のようにコーチと練習動画を見て、いいときと現状を比較して、悪いところを確認しています」と、歩型を意識したトレーニングを続けてきた。「今日、ハイペースのなかのジャッジで歩型を評価していただけたのは、国際大会に向けてプラスです。今後、歩型を生かせるレースができればと思ってます」 

11kmでギアチェンジした山西につけず、その後は苦しい表情に

代表を決められなかったのは、池田にとっては紛れもない敗北だった。それでも次に向けての手応えも、確実に感じられたレースになった。

能美で日本代表をつかむために

五輪代表の残り2枠は、3月の全日本競歩能美大会を待つことになった。派遣設定記録の1時間200秒を突破している選手は、能美で優勝すれば代表に決まる。最後の3人目は今大会(日本選手権)2位の池田と3位の高橋、能美大会の2、3位の中から、レース内容や歩型などを含めてトータルで判断される。 

能美大会に出場しなくても代表入りの可能性はあるが、池田は「自力でつかみたい」と能美を歩く。「今回の反省を生かし、どんなに速いペースになっても落ち着いて、自分の歩きをしたいです」 

その歩きをするために参考となるのは、50km競歩で一足先に五輪代表入りを決めた川野将虎(東洋大3年、御殿場南)の存在だろう。同じ静岡県出身で同学年。寮でも同部屋で仲がいい。 

その川野が代表を決めたのは、日本新記録で優勝した10月末の全日本競歩高畠大会。池田が10月の世界陸上から帰国し、「自分に何が足りないのか」を考えていたタイミングだった。「川野は新しいことにどんどん挑戦して結果を出しました。レース展開も自分から仕掛けられるようになったし、新しい練習、嫌な練習にも取り組みます。それに対して自分には固定概念がありました」 

池田が新たに取り組んだのは、スタミナとメンタルの強化だった。スタミナ強化のために、苦手だった長い距離の練習も始めた。「ロングストロー(ストローは走りでいうジョグ)が苦手でしたが、川野から集中の仕方を教えてもらいました。自分の課題を修正することを意識したりして、一瞬で(集中モードに)入り込むことで短く感じられるようになったんです」 

メンタル面については「普段の練習からレースをイメージして、緊張感をもって歩くようにした」と話す。 

昨年の世界競歩チーム選手権で優勝するなど、国際大会の実績は池田が一歩先をいっていた。自身の競技スタイルにそれなりの自信も持っていた。自信を持つこと自体は悪いことではないが、池田はさらにワンランク上に行くため、自分の型を1度破ろうとしたのだ。 

日本選手権で代表入りはできなかったが、脚を動かせない状態でも歩型が崩れなかったのは、レースをつねにイメージしてきた成果だったのかもしれない。スタミナ強化をしていなかったら、終盤でさらに大きく失速して、2位を確保できなかった可能性もある。池田が代表入りを逃したのは、山西が強かったためと見るべきだろう。

池田は苦しい表情で3番目にゴールした

東洋大から20kmに3大会連続の五輪代表を 

ロンドンの西塔(さいとう)拓己(現・愛知製鋼、今大会で引退)、リオの松永大介(現・富士通)と、東洋大の学生が2大会連続で20km競歩のオリンピック代表に入ってきた。「自分と川野で、西塔さん、松永さんに続こうと1、2年生のころからずっと言ってきました。川野が先に決めてくれて、あとは自分が20kmで頑張るだけです」 

東洋大は箱根駅伝では10位とシード権ぎりぎりの苦戦をしたが、同学年で長距離ブロック新キャプテンとなった大森龍之介、副キャプテンの西山和弥らとは一緒に練習して仲もいい。「伝統のある長距離ブロックで活動できるのは、東洋大の強みです。普段から僕らも刺激をもらってますし、競歩が(五輪代表入りなど)結果を出すことで、長距離部員たちの刺激にもなればいいですね」 

池田は東洋大チームの力も背に、20km競歩でのオリンピック3大会連続代表入りに能美で挑戦する。