拳法

「最強関大」を復活させた大将・岡本敦美が最後に流した安堵の涙

昨シーズン最後の大会を優勝で締めくくった関大拳法部。大将・岡本(中央)

関西大拳法部女子が8連覇を逃した全日本学生選手権大会(以下、全日団体)から1年。再び全国の頂点へ戻ってきた。この1年、勝利のときも、敗北のときもその中心にいた選手が1人いる。エースの岡本敦美(4年、藤ノ花女子)だ。昨シーズンの団体戦では全て大将を務め、個人としても全日本学生個人選手権大会(以下、全日個人)で優勝を果たすなど関大の強さの象徴として躍動した。

「拳法をやりたい」という思い

岡本が日本拳法を始めたのは4歳のときだった。「最初はすごいやめたかった」と語る。しかし、決してコートから去ることはなかった。関大に進学後は、1年時に「全日団体でメンバーに入る」と目標を立て練習に邁進(まいしん)し、成長を続けた。だが、ここで岡本をアクシデントが襲う。

全日団体メンバー入り目前に左肩を脱臼。「チームの士気を下げるなら、メンバーを外れて治すことに専念しよう」と手術を決断し、2年時の6月までリハビリの日々が続いた。その間、「拳法をやりたい」という募る思いが、岡本の原動力となっていた。

全日団体で連覇が途切れ、岡本(右から2番目)らは悔しさを滲ませた

その年の9月にあった総合選手権大会で準優勝し復活を果たすと、全日団体にも出場。3年時には関大の西日本団体6連覇に貢献し、最優秀選手賞に輝く。全日個人でも準優勝を果たすなど、着々と力をつけていった。しかし、この年の最後の大会となった全日団体でチームは8連覇を逃した。「最強関大」の牙城を崩し歓喜に沸く立命館大を、岡本らは悔し涙と共にただ見つめるしかなかった。

「自分が勝てなかったから……」

さらに迎えたラストイヤーは、苦難の連続だった。新チーム初の団体戦である4月の西日本学生選手権大会では7連覇を懸け臨んだ。トーナメントを勝ち進み、たどり着いた決勝戦で対峙(たいじ)したのは、またしても立命大だった。1-0で回ってきた大将戦。コートに立ったのは岡本だった。

しかし、ここで勝利を挙げられず勝負の行方は代表戦へもつれ込む。食い下がり連覇を決めたかった関大だが、勢いに乗る相手に押され、まさかの敗戦。前年度の全日団体に続き、西日本でも連覇が止まった。試合後に岡本は「自分が勝てなかったから……」と涙を飲んだ。

6月の全国大学選抜選手権大会でも、決勝で立命大と戦った。先鋒と中堅が1勝1敗で、またも勝負の行方は大将・岡本に委ねられる。だが、ここでも積極的に攻撃を仕掛けてくる相手に屈し、準優勝に終わった。

4年生としてのプライド

岡本は、「この時期が一番苦しかった」と振り返る。必ずと言っていいほど勝負所で回ってくる大将を任され、周りの期待と勝たなければならないプレッシャーがのしかかり、なかなか思うような結果を残せず苦しい時期を過ごした。だが、その中でも「最終目標は全日団体で優勝すること」と決して立ち止まることはなかった。

そんな岡本に復調の兆しが見え始めたのは9月だった。総合選手権大会で2年ぶりに表彰台に上ると、西日本学生個人選手権大会で準優勝。10月の全日個人では、「前に出ることを意識して」と、攻めの姿勢を貫き決勝戦まで駒を進めた。優勝まで、あと1勝。

全日個人で優勝を果たし、尾藤はるな(2年、藤ノ花女子)と抱擁を交わす岡本(手前)

決勝では、相手に先制を許したが、試合終了間際に取り返し延長戦へもつれ込む。「最後は本当に意地で」。1本を取れば優勝が決まる状況で、4年生としてのプライドが光った。普段あまり出すことがないという、胴膝蹴りを出したとき、審判の旗が上がり優勝を決めた。最後の個人戦でタイトルを獲得した瞬間だった。

18年の競技人生に終止符

残す大会は最終目標の全日団体。「自信と勝つイメージを持って挑めた」。積み重ねた練習と、学生最後の大会に懸ける覚悟が岡本の調子を上げていた。この大会でも岡本は大将戦で戦い続けた。1度も負けることなく決勝へ。今年度を締めくくる決戦の相手は、やはり立命大だった。

全日団体決勝、立命大戦で優勝を決めた岡本

先鋒戦は相手に軍配が上がる。中堅が粘り白星を挙げ、1勝1敗で岡本につなぐ。最後の最後まで、岡本の勝敗がチームの勝敗に直結した。序盤、鋭い面突きを決めて先制に成功。その後、どちらも様子を見合う展開が続く。その中で岡本は、相手が体勢を崩しかけた一瞬の隙を見逃さなかった。渾身(こんしん)の突きを決め、勝利を挙げた。

人生のほとんどの間続けてきた日本拳法。岡本は18年の競技人生にこの大会で終止符を打つと決めていた。優勝を決めた瞬間、拳を突き上げ、目にはこみ上げるものがあった。誰もが認めるエースが最後の大会で流したのは、喜びと安堵(あんど)の涙だった。