同志社大柔道部主将・望月雄介からの金言「後悔のない大学生活を」
全日本学生柔道連盟は8月12日、千葉市で開催を予定していた全日本学生柔道体重別選手権大会並びに尼崎市で開催を予定していた全日本学生柔道体重別団体優勝大会の中止を発表。この大会で引退予定だった現4年生と来年の幹部に話を聞いた。
主将を務める望月雄介(4年、修猷館)の柔道人生は長い。4歳で兄の影響で柔道を始め、小学生にして身長170cm超と体格に恵まれ、試合では負け知らずであった。しかし中学生になると試合で勝ち進むことが難しくなり、礼儀や指導など、真の柔道の厳しさを学ぶこととなった。
逆境からの追い上げは後輩にも影響
高校では自主性が特色の進学校に身を置き、勉強と柔道の両立をする中で、自分にとって軸となるものは柔道だと実感。3年間でかなわなかった全国の舞台を目指し、同志社大学柔道部の門を叩いた。
初めは個人戦はもちろん、団体戦のメンバーにも入れず、大学柔道のレベルの高さを痛感した。その悔しさから高校時代に培った自主性を武器にこつこつと練習に励み、2年生では団体メンバーに選出。3年生の夏からは主将を任された。この主将の逆境からの追い上げは、後輩にも影響を与えた。
5歳から柔道を始めた村上大樹(4年、田辺)は高校までの成績は主要な大会などで2回戦敗退と決して強いとはいえない戦績だった。しかしハイレベルな柔道に挑戦したいと同志社の柔道部に入部。「1年生の間は、練習についていくことに必死で結果を残すことまで考えられなかった」と当初を後悔する日々が続いたが、かつて自分と同じ境遇だった望月が全国大会に出場するその姿を見て自分を鼓舞した。
そして3年生で迎えた関西学生柔道体重別選手権大会。結果はベスト16と全国大会には一歩届かなかったが、尊敬する先輩から教わった技が勝利の決定打となった。入学当初は柔道部で一番弱かったが、筋力トレーニングや個人練習を重ね頭角を現し、努力は裏切らないことを自分の力で証明した。
家族の支えと亡くなった兄の存在
「家族の支えが大きかった」とは望月。母親は年に数回、地元の福岡からはるばる試合会場まで応援に駆けつけている。自分が頑張っている姿を家族に見せ、結果を残すことが自分にできる最大の恩返しであると語った。
また望月が18年間柔道を続けてきた大きな理由の一つに、若くして亡くなったもう一人の兄の存在があるという。
試合で思うような結果が出ず、行き詰まり、苦しいかったとき諦めなかったのは兄の分までやりきるという思いがあったからだ。柔道着のズボンには兄の名前である「龍介」の刺繍を入れ、一心同体で戦ってきた。そのおかげもあってか、これまで大きなけがを負うことなく柔道を続けることができている。望月の中にはいつも亡くなった兄の存在があり、支えになった。
コロナ禍でも怠らなかった個人練習
新型コロナウイルスの影響が2月頃から徐々に広がり、3月には練習場での練習が全てなくなった。各々が個人での練習に取り組む中で、今年度主務を務めている中村悠二(3年、同志社香里)は自宅が近い後輩とタイヤ引きやロープでのトレーニング、懸垂などを行い、改めて仲間のありがたみを感じたという。
そんな努力とは裏腹に、日を追うごとに状況が悪化。次第に大会の雲行きも怪しくなっていった。依然として全体練習も行えず、部員同士で顔を合わせることもめったにできなかったが、主将をはじめ部員はモチベーション維持を怠らなかった。
4年生にとってラストイヤーとなる今年、部の目標であった全日本出場に向け万全の準備を整え中途半端に終わりたくないと決意をし、個人練習に励んだ。
結果的に8月12日に連盟の発表で全日本の開催中止が正式に決定したが、選手はすでに前を向いている。2年時からメンバーに選ばれ、次期主将を務める鴨崎大海(3年、修猷館)は「一番環境のよい3年生という年に試合に出場することができず残念だが、腐らない」と語る。
「後悔のない大学生活を送ってほしい」
また現主将の望月は、この経験は人生の糧になるとポジティブにとらえていた。全日本は中止になったが、現状開催予定の関西学生選手権大会に照準を合わせ、日々鍛錬を積み重ね始めている。
「試合がなくなったからといって、自分たちの分まで背負う必要はない。後悔のない大学生活を」。同志社大と柔道部の共通点は自主性を重んじること。柔道だけにまっすぐにならず、勉強も遊びも全力で取り組み、後悔のない大学生活を送ってほしいと主将はまっすぐな目で語った。
柔道人生に幕を下ろす4年生からの金言は、同志社大柔道部は自主性を育むための大切な場所であることを体現している。