ハンドボール

法政大ハンド部主将・本田悠也 ラストシーズンは「大好きなハンドを楽しみ尽くす」

試合ができることに感謝するハンド部主将・本田悠也

本来ならオリンピックイヤーとなるはずだった今年度は、新型コロナウイルスの影響によりあらゆる学生大会が延期または中止となった。当然4月から開催予定だった関東学生ハンドボール春季リーグも中止となり、8月11日には日本一を決める全日本学生選手権大会(インカレ)の中止も発表され、秋季リーグのみの開催となった。

法政大ハンド部主将の本田悠也(4年、大分)はインカレ中止を受け「一時期は全ての大会が中止になることも覚悟しました。今は試合ができることに感謝し、今できることを全力でやるのみです」と語った。彼はインカレ中止を悲観的に捉えず、ただただ秋季リーグが開催されることへの「喜び」と「感謝」の意を示していた。

唯一無二の武器で世界の舞台も経験

本田がハンドボールを始めたのは小学校時代。友人に誘われたことがきっかけだった。中学に進んだ後もハンドボールを続け、3年次の春には主将としてチームを初の全国制覇に導いた。大分高進学後も主力として活躍し、高校3年次には全国高等学校総合体育大会(インターハイ)で準優勝に輝き、その年の優秀選手賞にも選出された。

華々しい活躍を残し進学先として選んだのは法政大。小学校時代の憧れの先輩であった山本晃大(2020年卒)の背中を追いかけて、関東一部リーグに飛び込んだ。

意表をつく唯一無二の「パス」で身長差をカバー

フィジカル、スピードなど全てが学生トップレベルの関東一部リーグ。中には190cmを超える選手もいる中で、160cm台の彼にとってその身長差がネックとなる。しかし、高身長が有利といわれるハンドボールの世界で結果を出し続けきた彼にはある武器があった。

華麗なフェイントでディフェンスをずらし、意表をつく「パス」である。唯一無二の武器でチームメートを生かすプレーを見せてきた。そしてそのパスを武器に1年次から出場機会を勝ち取り、さらに男子ユース日本代表にも選出され、世界の舞台をも経験した。

2年次からは得意としていたRB(ライトバック)に加え、SB(サイドバック)にも挑戦し、常に成長し続けていた。

ハンドボールを続けられる喜び

チームの主軸として活躍が期待されていた3年目の春。春季リーグも終盤に差し掛かったときに左手首を骨折してしまう。早期復活を目指しチームを離れ、リハビリに専念するもボールを軽く投げられる程度にしか回復しなかった。

左手首の骨折から復活し、憧れの先輩から主将のタスキを受け継いだ本田

担当の医師からは「もう一生治らない」と告げられ、どん底に突き落とされた。学生時代の全てを注ぎ込んできたハンドボールをここで終えるのかと。しかし、諦めずリハビリを続けた。ここまでやってきた、最後までやり抜こうという強い思いが何度も彼を勇気づけた。

その結果、テーピングを巻いた状態である程度強く投げられるようになり、たびたび試合に出場するようになった。「ハンドってやっぱり楽しいですね」と本田はハンドボールを続けられる喜びを噛みしめていた。

そしてチームは秋季リーグ46年ぶりの2位。その後のインカレで27年ぶりにベスト4進出と法大ハンド部の歴史を塗り替え、本田の憧れの先輩であり当時の主将の山本から本田へと、主将のタスキが受け継がれた。

最後の大会に向けて今できること

日本代表のコーチ経験もあるネメシュ・ローランド氏を新監督として迎え、新たな法大ハンド部として発足して間もなく世界中でコロナウイルスが流行。自宅待機を余儀なくされた。

そんな中、本田は今できることから始めようとオンライン上でメンバーを招集し、筋トレ、ミーティングなどから始めた。そしてついにコート上での練習が許可されるも、人数制限によりチームを2つに分けなければならず、全体練習のできない日々が現在も続いている。

大好きなハンドボールを最後まで楽しみ尽くす、本田の最後の雄姿は見逃せない

満足な練習ができない状況ではあるが本田は「チームとして最高の状態とはいえないけど、今できる精一杯のプレーをする。そして楽しむ!」と語った。

最後の大会となる秋季リーグは9月13日から開催される。大好きなハンドボールを最後まで楽しみ尽くす本田の姿が見られるのは、もうすぐだ。