ウエイトリフティング

特集:駆け抜けた4years.2021

関西学院大重量拳部主将・堀田大暉 後輩たちに伝えたかった「最後まで挑戦する姿勢」

大学入学時に出会った重量挙部の4年間で堀田は自主性を身につけた

清々しかった。4年間の集大成となった全日本学生個人選手権大会。堀田大暉(4年、関西学院)はコロナ禍の1年を乗り越え、今大会に招待選手として出場した。

自己ベストの245kgには及ばなかったものの、スナッチで100kg、クリーン&ジャークで125kgとトータル225kgで6位。「チャレンジした結果。後悔はない」。今大会を最後に重量挙部を引退。主将としてチームを引っ張った1年間にも幕を下ろした。

ラグビーで頭角を現した高校時代

「重量挙部に入ってよかった」。そう言い切れるのは、重量挙と出会うまでの時間があるからだ。幼少期からとにかく体を動かすのが好きだった堀田。そして根っからの阪神ファンだった。だが、実際に手にしたのはグラブではなく楕円球。きっかけは、小学4年時から中学2年時まで滞在した香港での生活だ。地域のラグビー教室に参加。「大会に出場することはなかったが、ボール回しなど楽しくやっていた」。海の向こうでラグビーにのめり込んだ。

強豪校でレギュラーを獲得したラグビーだったが……(写真は本人提供)

帰国後、1年間の受験勉強を経て入学した関西学院高等部。恵まれた体格の堀田を周囲が放っておくわけはなかった。入学後すぐのオリエンテーション時、ラグビー部の監督から「もう部活決めたん?」と熱心な誘いを受けた。脳裏に浮かんだのは、香港での楽しかったラグビーの思い出。「絶対しんどいけど、やってみよう」。

しかし、実際の練習の激しさは想像以上だった。あまりの厳しい環境に同期は、1人また1人と減少。「何回も辞めようと思った。でも、辞める勇気がなかった。3年間はやり切ろうと決めていた」。努力を続け徐々に頭角を現すと、2年時よりジュニアリーグで出場機会を得て、3年時にはプロップのレギュラーを獲得した。

しかし強豪校でポジションをつかむも、大学でラグビー部へ入部する選択肢はなかった。頭をよぎるのは「不安」の一文字。FWとしては低い身長、3年間でも苦しかった練習を4年間耐えられるのか。大学で続けられる「自信はなかった」。

主将には自ら立候補

大学入学当初、ラグビーサークルなどを候補に入れるも決め手がない。1人トレーニングセンターで筋トレに励む日々。「重量挙部入らへん?」。後に重量挙部の同期となる松本健佑(4年、関西学院)の一言だった。そこで重量挙部の存在を知った堀田。「重量挙なら、自慢の筋肉を生かして活躍できるかもしれない」。入部を決めるまで時間はかからなかった。

練習に参加すると、まず環境の違いに驚いた。「指導者が週に一度しかいない」。さらには「強制されていないのにめっちゃ練習するやん」。ラグビー部時代の厳しい練習を耐え抜いてきた堀田にとっては、重量挙部の自主性を重視する雰囲気の全てが新鮮だった。そして、それは堀田にとって吉と出た。

「高校時代から1人で筋トレすることは苦ではない」。大学になって見つけた自分に最適な環境で、結果が出るのは早かった。1年時は関西インカレで個人、団体でともに6位入賞し、自己記録はぐんぐんと上昇。「やった分だけ成果が出る。楽しかった」。

2年時も関西6位に入り、自己ベストも伸び続けていた。しかし、チームは1部昇格を逃し2部残留。「悔しかった。自分たちの代では1部昇格を果たしたいと感じるようになった」。ここでチームのためにという自覚が生まれた堀田。

3年時には関西選抜で3位に入り競技面でチームを引っ張ると、今年度は主将に自ら立候補した。「このチームを良くしたい。そして、念願の1部昇格へ」。自身もラストイヤーで、懸ける思いは人一倍だった。だが、新型コロナウイルスの影響でまともに練習ができない時間が続いた。大会の中止が相次ぎ、目標だった1部昇格に挑戦するチャンスすら失われた。モチベーション維持が難しい時期もあったが、主将として部のために自らが率先して練習を続けた。

後輩たちに思いを伝え未知の世界へ

そんな中で迎えた引退試合となる全日本個人。堀田は今大会で貫き通したことがあった。それは「最後まで挑戦する姿勢」。自身の最終戦で、その大切さを後輩たちに伝えたかったのだ。「後輩たちは試合で安全圏を狙う傾向がある。もっと挑戦してほしい」。堀田の攻めた重量設定と気合を目の当たりにした後輩たち。その思いは確実に伝わったはずだ。

大学入学時には持てなかった自信を武器に未知の世界へ飛び込む

4月からは社会人として新たなスタートを切る堀田。ゼネコンで働きながら、ボディビルに挑戦する予定だ。「ずっとトップビルダーのカイ・グリーンに憧れている。彼のような体を目指したい」。挑戦する種目はクラシックフィージーク。筋肉量に加え、筋肉の美しさを求められる競技となる。それゆえ、引退後は、減量も重ねながら着々と準備を進めている。

新たに飛び込む未知の世界。そこに不安はない。「やっていける気しかない。100%の自信がある」。強く言い切った。大学入学時には持てなかった自信が、今なら存在する。堀田はボディビルの世界でも己の筋肉と向き合い続けられるのだろう。重量挙部の4年間で身につけた自主性を武器にして。