陸上・駅伝

特集:第96回箱根駅伝

早稲田・新迫志希 順風満帆でなかった4年間にも悔いなし、最後の箱根に足跡残す

前回の箱根駅伝が新迫(左)にとって初めての箱根路だった(撮影・藤井みさ)

前回の箱根駅伝、早稲田大は12位で13年ぶりにシード権を逃した。そのレースは新迫志希(4年、世羅)にとって初めての箱根駅伝だった。「シード圏を狙える位置で襷(たすき)をもらったのに、追いつけなくて悔しかったです」。最後の箱根駅伝では、早稲田に流れをもたらす走りができるか。

箱根駅伝予選会9位の早稲田、飛び出した太田智樹主将の覚悟

最後の夏は、志願して中国電力の練習に参加

新迫は地元広島の志和中時代から全国的に名前を知られた存在だった。世羅高の2年生、主将だった3年生のときに全国高校駅伝で連覇を経験。早稲田に進んでもその勢いは続いた。1年生のときのホクレン・ディスタンスチャレンジ北見大会の5000mで13分47秒97という自己ベストをたたき出し、同年の日本インカレでも5000mで4位に入った。1年目の全日本大学駅伝では5区を区間2位で走ってトップを守り、チームは準優勝。しかし、それ以降は苦しんだ。箱根駅伝はようやく3年生で走れた。

前回の箱根駅伝で新迫は9区を任された。東京国際大や中央大など4チームとほぼ同時に襷を受け取り、新迫が集団を引っ張る展開となった。もらった12位からシード圏内に入るチャンスだ。レース中もそう意識しながら走ったが、結局12位のままアンカーに渡した。区間9位の走りは「よくも悪くもない」と自己評価。何より、自分の走りでシード権を引き寄せられなかった悔しさが残った。

前回の箱根駅伝、団子状態で8区から9区に襷が渡り、新迫(右から2人目)が集団を引っ張る展開となった(撮影・松永早弥香)

ラストイヤーは箱根駅伝後のアキレス腱(けん)のけがが尾を引き、トラックシーズンは思うように走れなかった。「環境を変えてやってみたい」という考えから、夏合宿の期間はチームを離れ、実業団の中国電力の練習に参加させてもらった。「学生と社会人は考え方もやり方も違う」と、よりシビアに日々競い合う実業団選手たちの姿に刺激を受けた。

今年は箱根駅伝予選会の1週間後に全日本大学駅伝があったため、相楽豊監督は全日本に備えて新迫を予選会のメンバーから外した。その結果、予選会は9位に沈み、何とか本戦出場をつかんだ。結果発表を待っている間、予選会敗退も新迫の脳裏をかすめた。それでも自分は後悔しない練習をしてきたという自信があったため、「そうなったらそれだけのこと」と割り切れていたという。

全日本では自ら長い距離の区間を志望。17.6kmの7区で順位を一つ上げ、5位でアンカーにつないだ。レースを振り返ると、「まだやれることがあったんじゃないか」という思いがあった。後半の粘りを課題として、箱根駅伝に向けた練習に取り組んできた。

最後は同期の太田と襷をつなぎたい

11月23日の10000m記録挑戦会は箱根駅伝への弾みになった。28分55秒78のタイムは高2以来、5年ぶりとなる自己ベスト更新だった。冷たい雨が降る中、同期で主将の太田智樹(浜松日体)が早稲田のメンバーを引っ張った。4000m地点で太田が先頭に立つと、新迫もすぐ後ろに続いた。5000mを過ぎたところで新迫が後退すると、太田が新迫のペースを引っ張り上げた。1年生から一緒に走ってきた太田に対しては思い入れがあり、最後の箱根では太田と襷リレーができれば、という思いもある。

11月の10000m記録挑戦会、先頭に立った太田(6番)に新迫(8番)が続いた(撮影・松永早弥香)

中学、高校と活躍して早稲田の門をたたいたが、この4年間は前述のように順風満帆だったわけではない。それでも、新迫に後悔はない。

「早稲田大学という場所で走れて本当によかったと思います。ここまで走ってこられたのも僕一人の力じゃなくて、相楽さんや駒野さん(駒野亮太・長距離コーチ)、競争部員のみんなや大学の友だちのおかげです。だから最後の箱根は『しっかり走ったぞ』という足跡を残せればいいかなと思ってます」

新迫が最後の箱根で目指すのはチームに流れを持ってくる走りだ。
自分は自分。最後まで新迫らしく、やりきるだけだ。

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