陸上・駅伝

特集:第96回箱根駅伝

東海大・西川雄一朗 主将の代役やりきった副将、2度目の箱根はチームのために

西川(前列左から3人め)が力を尽くしたことによって、東海大はよりレベルの高いチームになった(撮影・藤井みさ)

箱根駅伝2連覇を狙うチームの主将の代わりを担い、チームの意識を高めたのが、東海大の西川雄一朗(4年、須磨学園)だ。常に全体のことを考えてきた男は、最後の箱根でもチームのためになる走りを目指す。

主将の代わりという大役に戸惑った

8月13日から9月9日まで、東海大はアメリカ・アリゾナ州のフラッグスタッフで夏合宿をした。この約4週間、主将の館澤亨次(4年、埼玉栄)はいなかった。合宿前にけがが判明し、長期離脱を余儀なくされたからだ。館澤は「大事な夏合宿に主将がいなかったわけですからね。チームは大変だったと思います」と、申し訳なさそうに振り返る。

この夏合宿から館澤が練習に本格復帰するまでの間、主将の代わりを務めたのが副将の西川だった。須磨学園高(兵庫)では主将を経験してはいたが、監督の考えに従ってチームを引っ張ればよかった高校時代に対し、東海大の主将には主体性が求められる。いきなりまとめ役を任され、当初は戸惑ったという。「まず全体を見なければいけないので、自分の練習に集中できませんでした。キツかったですね」

「やるしかない」と覚悟を決めた(撮影・藤井みさ)

それでも「やるしかない」と覚悟を決めると、少しずつ持ち前のリーダーシップを発揮していった。必要だと思えば、時には強い言葉を発した。とくにチームにふさわしくない行動は厳しくとがめた。一方で、そういうときは必ず自分を顧みた。果たして自分はできているのか、と。無責任に言うだけで満足するリーダーにだけは、なりたくなかった。

リーダーとしての自覚が走りも高める

西川は「リーダーの評価は周りが決める」と考えている。「リーダーは常に見られてますからね。自分では100点満点のつもりでも、周りからすると50点なら、それは50点のリーダーなんです」

人に厳しく言うなら、自分にはもっと厳しく。西川はそれを練習でも貫いた。その結果、9月には5000mで、11月には10000mで自己ベストを更新。主将代行になったことが、競技においても西川のさらなる力を引き出した。

出雲駅伝では1区区間4位。堅実な走りだった(撮影・佐伯航平)

西川の尽力によって、チームはより意識が高い集団になった。その意識が全体に浸透したから、チーム内に駅伝メンバー入りへの激しい競争が生まれ、チームとしての戦力が一段高いレベルまで押し上がった。

館澤は西川への感謝を込めて、こう言った。
「帰ってきたら、主将の僕が何か言わなくてもいいチームになってました」

どんな状況でもチームのためになる走りを

西川は、前回の箱根で往路優勝を逃した原因は自分にあると口にする。初めての箱根で3区を担い、区間7位。「下り基調のところまではよかったんですが、フラットになった途端、上りのように感じてしまって……。スタミナ切れです」。これを機に、西川は考えて走るようになったという。

「最高の結果を求めてただ突っ走るだけでは、チームのためにならないと気づいたんです。毎回万全のコンディションで臨めるわけではない。万全じゃないときに、いかに最低限の走りをするか。当日の状態を見極めながら、どうすればチームに貢献できるか。それを最優先して走るようになりました」

全日本大学駅伝は2区10位だが区間新。確実に自身のレベルもアップしている

今年の出雲駅伝では1区を走り、スローペースの展開を我慢して区間4位。続く全日本大学駅伝ではコンディションに不安があった中、2区で10位だったが、タイムは区間新。トップに23秒差で襷(たすき)をつないだ。

練習では補強運動を大事にしている。「しっかりやるようになってから、少しずつ体が変わり、けがをしなくなりました。効率のいい走りができるようにもなりましたし、疲労回復も早くなってます」と西川。そのことで自信が持てるようにもなったという。

2度目の箱根駅伝では、とくに走りたい区間はない。任された主将代行という大役をやりきったように、任された区間でチームのためにやりきる。

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