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特集:関学アメフト・鳥内監督ラストイヤー

「教えてきたんは、自分で考える力やな」関学・鳥内秀晃監督 退任記者会見(上)

28年間の監督生活を、得意の笑いも交えて振り返った(撮影・安本夏望)

学生フットボール界の名将がフィールドを去る。関西学院大学ファイターズを1992年から監督として率いてきた鳥内秀晃監督(61)が1月8日、兵庫県西宮市の上ケ原キャンパス内で退任の記者会見を開いた。秋の公式戦通算成績は238試合で197勝38敗3分けで勝率は8割3分8厘。4years.では約45分の報道陣とのやりとりを2回に分けて、そのままお伝えします。

「ファイターズは俺の人生みたいなもん」関学・鳥内秀晃監督 退任記者会見(下)

最初は上から目線の指導やった

――28年間の監督生活の中で変えてきたこと、変えてはいけないという信念を貫いたことを教えて下さい。

変化いうのんは、1986年にアメリカから帰りまして、やっぱり最初はね、向こうのコーチ自体が毎プレー声出して教えるやり方なんで、私も帰ったときは上から目線でやりすぎた。その当時は学生自体が高校時代から自分で考えてやってきてる選手が少なかった。それを変えてきた。監督になってからその方針に変えた。私が帰ったときはフルタイムは一人だけ。伊角さんも大学職員で。やはりすべてにおいて上から目線、押しつけでやってたのがありました。まあ監督になってからは指導者が足りないということで、4年生をコーチ役に回すやり方でやってきまして、そういうやり方から教える立場と教えられる立場、こういう中での人間教育が一番大事やと。それはいまにおいてもそやと思ってます。

――指導していく中で、学生に何を教えたんでしょうか。

自分で考える力です。やはり。もともと考えてはいるんですけど、非常に考え方が甘い。言うたことを答えを教えるんじゃなく、気づかせてあげる、引き出してあげる、考えるように促してあげるっていうことをやってます。

最後に中央芝生で記念撮影(撮影・安本夏望)

一回も甲子園に行けんかった4年生には申し訳ない

――悔いが残るシーズンは?

やっぱり負けた年は悔いが残るんです。一番は4年間(甲子園ボウルに)出られなかった(2005年の)4年生には申し訳ないことしたなというのはあります。

――改めて、いまの率直なお気持ちを。

正直、ホッとしてますよ。例年やったら、いまの段階で個人面談始めていってますからね。

――ホッとしている中にも、寂しさはあるんですか?

いや、毎日やることいっぱいあるんでね。(質問者のテレビ局関係者に)地上波で頼みますよ。

――28年間で一番つらかったことを教えて下さい。

やっぱり2003年に平郡を亡くしたことですね。ひとさまの大事な子どもを守ってあげられなかったからね。

――その事故で監督の指導に大きな変化があったんでしょうか。

ガラッと変わりましたよ。安全第一、人の命が大事やいうことで、クラブ自体が変わりました。我々指導者みな変わりました。昨今、夏はすごい暑くて熱中症対策が大変なんですけど、個人個人レベルが違うからね。やると危ないんやったら、やらん方がええって言います。コーチの中には「やらな強なりません」って言うのもおるんですけど、「かめへん」って言います。命が大事やから。

ライスボウルに勝ったんはよかったんちゃう?

――28年間で一番うれしかったのはどんなことですか?

ファイターズ自体がライスボウルでなかなか勝ってなかったんで、一回だけ(2002年)ですけど、やっと勝てたと。あれが一番よかったんちゃいますか? OBも含めてね。

一番うれしかったこととして、2002年のライスボウル制覇を挙げた(撮影・安本夏望)

――やり残したなというのはありますか?

やり残したいうよりも、勝つチャンスがあるのに勝たせてあげられなかった選手がようさんおるんでね。そのへんはやっぱり、いまの自分であれば、もうちょっとうまいことできたのにな、いうのはありますよ。ライスボウルも含めて、うまいことやれば勝てとったいうのがありますね。

――どんな28年でしたか?

忙しいですよ。シーズンが終わった瞬間から来シーズンのこと考えてますからね。家業の方もあるんでね。休んでるヒマなかったですよ。

――もういちど、なぜこのタイミングでやめるのか教えて下さい。

ファイターズに5年、10年、20年とこの先永遠に日本のフットボール界を引っ張っていってほしいという中で、このままやっててもダメなんです。若い子に引き継いでいかないと。自分自身、ちょっと長すぎたいうのはあるんです。だけど、交代する人間には現場をうまいこともらわないと。急に外から来てもできないんで。まあ下が育ってきたし、人数は足らないんですけど、そろそろええんちゃうかなということです。

間違ったことは絶対に受け入れない

――今後何かチャレンジしていくことは何ですか?

だから、まだ休憩なんです。時間いりますよ、いろいろと。もともと講演活動はあるんですよ。でも毎日毎日はないんでね。何も考えてません。

――28年間貫いた信念とは?

信念いうよりもね、なんでしょう、やっぱり間違ったたことを絶対に受け入れない。それだけですね。

――小野(宏)さん(ディレクター)から見て、鳥内さんはどんな方ですか?

(小野)僕がオフェンスコーディネーターで鳥内さんが監督をされてましたから、結構ぶつかるんですよね。でも鳥内さんが一番すごいと思うのは、いまで言うチームファーストですけど、公の精神といいますか。ファイターズが常に真ん中にあって、自分は後ろ側にあるという。これはチーム愛とかいうことじゃなくて、すごい強い使命感があって、このチームをリーダーとして背負っていく「無私」ですね。なんやかんや言いながら、みんな28年間鳥内さんの下でやってきました。ほかのチームでは監督とコーチがぶつかって分裂したりというのもありますけど、28年間ずっとやってきたというのは、鳥内さんの「無私」の姿勢が一番大きいんじゃないかと思います。

――鳥内さんは、いまの小野さんの言葉を受けてどうですか?

そうです(満面の笑み)。ありがとうございます。現場でやっていくのは大変なんですよ。いろんなOBからの期待もあって、ファンの人たちもおられて。勝つためにやってるんですけど、なかなかうまくいかないこともあってね。まあ、いろいろとありましたわ(笑)。

甲子園ボウルでは選手たちに呼ばれ、記念撮影の輪に入った(撮影・北川直樹)

次は「こんな男になった」いう本出しますわ

――どんな男になんねん、と代々の4年生に問いかけてこられましたが、監督自身は今後どんな男になるんですか?

(少し考えて)また「こんな男になった」いう本出しますわ(笑)。いや、あのね、僕がああいう風に問いかけてるんでね、自分自身もちゃんとというか、世間に恥ずかしくない生活をやらなダメだとは思ってます。

――監督自身がこうなりたいという人物像はあるんでしょうか?

ないんですよ。本は読みましたけどね。絶対この人や、いうのはないんです。だけどね、学生たちとしゃべっとって、言うたことに責任を持ってほしい。言うのは簡単やで。目標を設定するのは簡単なんですけど、言うたことをちゃんとやってほしいという中で、「どんな男になんねん」と。口だけの男になんのか? と。彼らが選んだらええんですけど、そういう問いかけでやってます。

――それは監督自身も心がけていることですか?

そうですね。

――それを強く心がけるようになったきっかけはあるんですか?

監督になってなかなか勝てないときにね、3年ぐらいかな、個人面談を始めたんですけど、たくさんの4年生に向けてしゃべっても、なかなか自分のことと受け止めてくれない。11の男の約束が一番楽やと。時間かかるんですけど、毎日朝礼やっていくよりも、11で約束をとった方が、トータルで考えたら得ちゃうかないうのでやってます。
生島さん(、質問どうぞ)。

指導者は子どもがやりたいことさせたらええ

――10代の選手に指導する人たちへのメッセージをおうかがいしたいです。

子どもたちがやりたいことやらしたったらええんです。親のエゴはあかん。子供らはいろんなことに興味持ってると思うんです。それをね、これをやれとか、これが先だとか言うんじゃなくてね、まあ三日坊主でも全然オッケーと僕は思います。指導者が子どもに何をしたいか、どうなりたいかというのをちゃんと聞いてあげて、そのための一番ええ方法を考えてあげたらええんちゃいます? 聞いてあげることです。
吉田君(、質問しなさい)。次に行くとこあるんで、どんどん当てていきますから。

――選手やコーチやOBと接してきた中で、一番自分の心が動いた瞬間を教えて下さい

心が動くいうよりもね、コーチ時代のOBのひとこと、親父のひとことですね。利きましたね。自分自身サボってたわけちゃうんですけどね、負けたときに親父に「もっと真剣にやったれ」言われてね。「やってます」って言うけどね。そうなるともう「見とけ」ちゅうのしかないんでね。

「人生みたいなもの」というファイターズのミニチュアヘルメットを手に(撮影・安本夏望)

――ビッグゲームの前は、必ずそのお父さんに会いにいかれますね。

お墓参りは、ウチ自体が毎月行くんでね。小さいころから。先祖がおるからお前がおる、って言われてましたから。監督になってからリーグ戦のビッグゲーム、甲子園ボウル、ライスボウルの前に行ってます。

――今年の4回生には、ライスボウル前夜にどんな話をしたんですか?

言いましたけどね、最後の最後までね、まあ人数も多いんで、他人事みたいなのもおったんです。幹部には「部屋回ってお願いしてこいよ」と。「お前らだけでは勝たれへん」「勝負できへん」って言いました。はい、田村君。

――いままで戦ってこられた古橋監督や水野監督というライバル監督さんに対して、いまどんな思いですか?

水野さん、やっぱり元気ですよね。まだ現場にいてはって。古橋もものすごいプレッシャーの中でやってるみたいですけど、そういういいチームが、ライバルがあったんで、ファイターズも成長できたと思ってます。感謝してます。

アメフト界は新規ファン開拓を

――今後のアメフト界に望むことを教えて下さい。

まだマイナー競技なんでね。早くテレビ、地上波でやってほしい。BS見る人は興味ある人なんでね。新しいファンを開拓しない限り、なかなか発展していかない。昔はNHKでも地上波でナマでやってました。そのころは九州なんかからでも、選手が「やりたい」言うて来てました。いまはそんなチャンスもないみたいで。あと、フットボール界は安全対策第一にやってます、勉強もやってますという風になっていってほしいですね。

――ファイターズに対しては?

いまね、学校の授業が忙しくて1年生、2年生大変なんです。下級生のときに人間性を成長させてあげたいんですけどね、時間がなかなかとれない。かわいそうやなと。(隣に座る池埜部長=人間福祉学部教授=の方を向いて)先生、頼みますよ。