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特集:東京六大学 2020真夏の春リーグ

「エンジョイベースボール」の精神で 慶應義塾大野球部・堀井哲也新監督(上)

東京六大学 2020真夏の春リーグ
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堀井監督の座右の銘にもなっている「練習ハ不可能ヲ可能ニス」の額の前で(撮影・上原伸一)

2019年12月に慶應義塾大学野球部の第20代監督に就任した堀井哲也監督(58)。社会人野球では三菱自動車岡崎とJR東日本で計23年間監督を務めました。通算で都市対抗優勝1度、準優勝4度の実績がある名将へのインタビュー。前編は選手時代のことや、指導の根幹にあるものについてです。

信用されていないことを糧にレギュラーに

「ホント、大したことのない選手だったんですよ」。堀井監督は自らの学生時代をそう振り返る。高校時代は静岡の県立校、韮山高でプレーした。韮山高の野球部は1897年創部と長い歴史があり、1950年春のセンバツでは全国制覇。1995年には夏の甲子園に初出場している。堀井監督は2年時にレギュラーをつかみ、3年になると一時期三番を打ったが、「最後の夏は外野の守備固めでしたね」。

1980年春に一般入試で慶應に入学し、野球部の門を叩いてからもレギュラーの座は遠かった。3年秋までリーグ戦出場は代打での2回だけ。「下級生の台頭もあったし、4年ではベンチに入れないかな、と半ば諦めてました」。それでも4年春、伝統の慶早戦3回戦で初めてスタメンに起用される。五番・左翼。すると期待に応え、最初の打席で走者一掃の二塁打を放つ。ところが相手投手が左に代わると、次の打席では右の代打を送られた。慶應を2回に渡り計18年指揮し、その間リーグ優勝8回の名将・前田祐吉監督(当時)は、左打者の堀井より、相性が良いとされる左投手対右打者の勝負を選んだ。

一般入試で入学し野球部に入部。悔しさが堀井監督の原動力となった(撮影・上原伸一)

信用されていないのか……リーグ戦が終わると、さらにショックなことが待っていた。前田監督に呼ばれると、こう告げられたという。「秋は2人の下級生との競争になる」と。

「正直、走者一掃の二塁打を打ってもまだレギュラーになれないのか、と思いましたね」

悔しさが闘争心に火をつけた。ラストシーズン、堀井監督はレギュラーを勝ち取り、立教戦ではホームランを放つ。この一発が評価され、名門・三菱自動車川崎(のちの三菱ふそう川崎、2013年に解散)入りをたぐり寄せる。社会人野球の門が開いたのだ。三菱自動車川崎では代打が定位置だったが、都市対抗には4年連続出場。タイムリーヒットも記録している。

想像を絶する取り組みも「エンジョイしていた」

公立の普通の選手が慶應でレギュラーになり、プロ予備軍ともいえる社会人野球に進む。サクセスストーリーの裏では、想像を絶する取り組みがあった。夜中までバットを振り込むのは当たり前。東京六大学のリーグ戦が土日に終わると、平日は授業の合間に東都リーグを観戦し、「同世代の連中がどんなプレーをしているのか、研究をしてました」。そんな日々ではあったが、堀井監督は楽しかったという。

「努力しているとか、修練しているといった高まいな意識はなかったですね。野球選手としてそういう毎日を心底エンジョイしていたので。慶應といえば『エンジョイベースボール』が代名詞ですが、私にとってはひたすら野球に打ち込むことがエンジョイであり、『エンジョイベースボール』だったのです。たぶん僕が同期の中では一番エンジョイしてたんじゃないかな(笑)。好きな言葉の中に、慶應の元塾長である小泉信三先生が残した『練習ハ不可能ヲ可能ニス』という名言があるんですが、これは『エンジョイベースボール』と同義だと思ってます」

昨年12月のオープン戦で選手に声をかける堀井監督(撮影・杉山圭子)

野球をエンジョイする姿勢は慶應の監督になった今も変わっていない。たとえAチームがオフの日でも、Bチームが練習していれば、グラウンドにやって来る。就任以来、休日はなく、朝早くから日没までグラウンドにいる。ただしそれが大変という意識はみじんもない。「だって楽しいじゃないですか。グラウンドにいればいるだけ、選手の変化や成長が見られるんですからね」と笑顔を見せる。

技術を重視して、数多くのプロ選手を輩出

堀井監督が指導者の道を歩み始めたのは、三菱自動車川崎のコーチになった1988年。指導者歴は30年以上に及ぶ。1997年から8年間監督を務めた三菱自動車岡崎では、2001年に都市対抗準優勝を遂げ、19年まで15年間率いたJR東日本では都市対抗優勝1度、準優勝3度と、輝かしい成績もおさめている。経験、実績ともに申し分ないが、“自分は選手としては技術がなかった”ということが常に指導の根底にはあるという。

「だから目の前の選手はみんな上手く見えるんですよ。可能性があるな、と。慶應の選手もそうです。私でもやれたんですから、やり方次第でもっと伸びるはず、伸ばしてあげたいと思いますね」

指導ではメンタル面より、技術面を重視する。「これも私が大した選手でなかったからです」。もちろん、試合では気持ちが大事だ。実際、三菱自動車岡崎時代は、選手の気持ちの強さが結果につながっていた。しかし、精神力だけでは野球は上手くならない。「がむしゃらにやるのではなく、理論的、科学的に正しいやり方で量をこなさなければレベルアップはしないと思ってます」。

2011年の都市対抗野球で優勝し、胴上げされる堀井監督(撮影・池田良)

インターネットもYouTubeもなかった時は、まだVHSだったメジャーリーグの教材ビデオを買い付け、それを選手に見せたこともある。

正しい技術指導に重きを置いた結果、三菱自動車岡崎の監督時代は山口和男(元オリックス)らを、そしてJR東日本の監督を務めた15年間では、2019年秋のドラフトで巨人に2位指名された太田龍まで、実に31名の選手をプロに送り込んだ。

昨秋のドラフトで育成を含む4人の指名選手を出した慶應には、今年も佐藤宏樹投手(4年、大館鳳鳴)や主将の瀬戸西純内野手(4年、慶應義塾)といったドラフト候補がいる。堀井監督は「チームからプロ選手が生まれると、他の選手の野球に対する意識が格段に上がります。波及効果は大きいです」と言う。