同志社大主将・中尾泰星 悔しさを言い表せない結末、後輩たちに託した「日本一」
2020年12月8日、同志社大ラグビー部は新型コロナウイルスの集団感染により、出場を予定していた大学選手権を辞退することを発表。選手権での勇姿を見届けることはかなわなかった。未曽有の脅威と戦うことになった1年間、紺グレの陣頭には「日本一」という目標へひた向きに進む熱い男の姿があった。
同志社大ラグビー部第110代主将を務めたFL中尾泰星(4年、大分舞鶴)。同志社の紺とグレーのジャージ、「紺グレ」を着て勝ちたいという思いが誰よりも強く、練習や試合を問わず先頭で体を張りチームを鼓舞する熱いタイプだ。
「タックルと気持ちはずっと負けたくないっていう思いで何事もやってたし、どれだけ痛くても立って、痛がってる姿が一番カッコ悪いと思ってたから強気のところは譲らなかった」
1年間チームを導いたその姿勢は「自分ももっと頑張らないと」と他の部員をも突き動かした。
夢見た場所で親子2代主将に就任
中尾は同志社大でラグビーをする、と決めていた。父は同志社大ラグビー部の元主将で、幼いときには同ラグビー部の監督を務めていたこともあり、小さいころから夢見た場所だった。
入学後も父の存在は大きく影響する。入学時、同志社大は大学選手権ベスト4の好成績で体格的に恵まれた人が多く試合に出ていた。「こんなとこでレギュラーなれるんかな」。投げやりになりそうなときが何度もあったと話す。しかし、「自分のやることだけ信じてずっと全力でやったらいつかチャンスが巡ってくる」という父の言葉を信じて中尾は前に進み続けた。
そしてチャンスをつかみ、2年生でレギュラーを獲得。3年生ではチームの3年ぶりの大学選手権出場に貢献したが、関東勢に大差で敗れた。「このままじゃあかん」。チームは変革を迫られていた。
主将になることは伊藤ヘッドコーチから伝えられた。自分がキャプテンになっていいのかと迷い、後の副将であるSH人羅奎太郎(4年、東海大仰星)、PR栗原勘之(4年・報徳学園)に相談すると、「キャプテンは誰でもええんや、みんなで支えていくんや」と言われた。中尾はその言葉で、先頭で体を張る自分のスタイルを変えないままキャプテンをやっていこうと決めた。
はかなくも散った「日本一」の夢
ヘッドコーチからは「走り勝って当たり勝っていくようなチームを作る」という話があり、練習も例年よりハードなものとなった。春になり新型コロナウイルスが猛威を振るい、全体での練習ができない中でもモチベーションを保っていたのは、「日本一」というチームの目標だった。
簡単にこの目標に決まったわけではない。関西での優勝も遠のいていたチーム内ではまず関西で勝つことを目指すべきではという意見もあった。しかし中尾は違った。「紺グレのジャージ着て戦うっていうところで、やっぱり日本一を目指さな意味ない」。この言葉は個々の高い意識を保ち、全体練習ができない中でもチームは成長した。
練習再開後はコロナ対策を万全に行いながらハードな練習を行い、着々と準備を進めた。11月、最初で最後の公式戦となる関西大学Aリーグが開幕。同志社は戦うごとに調子を上げていった。「毎試合ちゃんと課題が出る中でそこを修正して理想に近づけていけてた」。優勝決定戦で天理大にこそ敗れたものの、関西リーグを2位で終えた。チームは上向き調子。次の試合で何かつかめるかもしれないと中尾は感じていた。
大学選手権の相手が帝京大と決まった際も屈することはなかった。「帝京を食らうつもりでもう1回チームひとつになって成長できるっていう見えたものがあった」。関東の壁を打ち砕き、「日本一」を獲る。その目標に着実に近づいていた。
しかしその夢ははかなく散る。帝京大戦5日前の12月8日、新型コロナウイルスクラスターの発生により同志社大の大学選手権辞退のニュースが報じられた。悔しさを言い表せないほどの結末。これから挑戦が始まる、その最中で中尾組は幕を閉じた。
再びチャレンジャーとして新天地へ
選手権でのリベンジと「日本一」の目標は後輩たちに託された。中尾組が築いた礎は次の世代が引き継いでいくだろう。「自分たちが定めた目標に対して、我慢するとこは我慢して1つになるところは1つになって戦っていけるか、そうするとおのずと結果はついてくる」。そこにはチーム一丸となって覇権奪還を見せてほしいという思いがあった。
卒業後はトップチャレンジリーグ所属の栗田工業ウォーターガッシュでラグビーを続ける中尾。「悔しかった思いを切らさずにラグビーにぶつけていけるのは大きい」。不完全燃焼で終わってしまった仲間の思いも背負い、再びチャレンジャーとして中尾は全力のプレーで大きな相手に食らいつく。