東海大・佐藤友 注目ルーキーがスタメンデビュー、東山の元主将「緊張していました」
昨年のウインターカップでベスト8入りを果たしたチームのキャプテンを務めた「大型ルーキー」が、東海大学で早速スタメンデビューを果たした。高校時からスコアラー、そしてチームを支える大黒柱としてその名をとどろかせてきた佐藤友(1年、東山)は、初陣ながら既に貫禄さえ感じさせた。昨年の第75回全日本大学バスケットボール選手権(インカレ)で準優勝の東海大学で、どのように成長していくか非常に楽しみな存在だ。
ウインターカップの敗戦から切り替え大学仕様に
昨年のウインターカップ準々決勝、福岡第一高校と対戦した東山高校は第3クオーター(Q)まで10点をリードしていた。しかし第4Qで形勢が逆転し敗戦。佐藤の足は痙攣(けいれん)し、まさに満身創痍(まんしんそうい)、目には大粒の涙があふれた。
そこから約4カ月。東海大にとって初戦となった第73回関東大学バスケットボール選手権の桐蔭横浜大学戦でスタートからコートに立った。
「ウインターカップで負けてから悔しい思いはあったんですけど、大学に向けて切り替えようということで体づくりの部分でご飯をいっぱい食べて体重を増やしたり、脂肪ではなく筋肉量を増やすためにウエイトトレーニングの頻度を増やしたりして、大学バスケにフィットをするようにしていました」。身長は189cm。この4カ月間で体重は80kgから84kgになり、一段と大きくなった体を見ると、1年生だということを忘れてしまいそうになる。
試合では、相手コートから自分で一気に自陣まで持ち込んでシュートを決め、コーナーからの3ポイントも沈めた。高校3年生の時に培ったインサイドでのフィジカルと、本来の強みであるアウトサイドからの得点力を兼ね備えた「オールラウンド」スタイルを大学バスケの場でも発揮。点差が開きベンチに下がってからは、徐々に緊張もほどけ、仲間の好プレーに立ち上がって声をかける様子もあり、チームは115-46で勝利した。
「あまり高校時代は緊張するようなタイプではなかったのですが、大学初めての試合であり、大学4年生は最後のスプリングトーナメントということで、入りはすごく緊張していました。自分の思うようなプレーができたのでそこは良かったかなと思います。最初から試合に絡めたのはすごくうれしいことですし、こういったチャンスを無駄にせず、自分の糧にしたいです」と丁寧な言葉遣いで話す姿は、堂々としたプレーとはまた違った印象が残った。
自分の短所を補いたい思いから東海大へ
高校時代は1年目からウインターカップでアウトサイドを中心に得点を稼ぎ、「1年生スコアラー」として脚光を浴びた。ただ、2年目からはインサイドを主戦場に、チームを支える立場に回った。
現在は高校時代以上に強い先輩が多くいることで、佐藤は「高校時代との立場の違いというのはあまり意識はしていませんでしたが、自分のやりたいことを自由にさせてもらっているので、先輩方には感謝しています。自分の役割であるリバウンドと点を取りに行くことは続けていきたいです」と話す。
東海大を選んだのは「自分の足りない体づくりの部分に関して専門的な知識があった大学だったことと、自分の短所であるチームディフェンスの部分を学びたいという思い」から。もともと東海大への進学を希望していたそう。陸川章監督は「入野貴幸コーチがよく知っていました。そこで(自分と)同じ新潟県出身ということもあり見ていた感じです。高校3年生にかけてプレースタイルがどんどん良くなっていったなという印象がありました」と振り返る。
昨年から東海大の指導に加わった入野コーチは、それまで東海大諏訪高校で監督を務めており、最近ではU18日本代表チームでもコーチを務めている。「高校時代から練習試合をさせてもらったり、代表活動で監督をされていたりして、非常によくしてもらっていました」と佐藤は言う。
「今は失敗を恐れずハッスルしてプレーしてほしい」
陸川監督は佐藤について「1年生なんですけどベテランチック。よくバスケが分かっていて、かゆいところに手が届くプレーをしてくれるので、頼もしいし、ありがたいですね。外からのシュートが安定してくると、もっとオールラウンダーになれると思います。だけど、それは時間をかけてね。今は失敗を恐れずハッスルしてプレーしてほしいです」と評価している。
中学時代には学校の部活を退部し、「自分がより成長できる環境を選びたかった」という思いからBリーグの新潟アルビレックスBBU15で競技をしていた佐藤。将来はプロ選手になることを目指しながら、東海大での成長を誓う。