鎌倉学園3年生ふたり、都大路に「ありがとう」
全国高校駅伝
12月23日@京都市西京極陸上競技場付設駅伝コース(7区間42.195km)
男子16位 鎌倉学園(神奈川) 2時間7分38秒(出場47チーム)
京都の冬の風物詩である全国高校駅伝が12月23日に開かれ、男子で初出場した鎌倉学園(神奈川)は16位と健闘した。部員13人という小所帯で、3年生は主将の河崎元紀と吉村颯斗だけ。ふたりは3年間の思いを込め、都大路を駆けた。
県2位が13度のチームが初出場
鎌倉学園の主力は2年生だ。2年前の全国中学駅伝で2位になった横浜市立領家中から児玉真輝らの主力が入学してきた。児玉は今年10月に5000mで神奈川県の高校記録を更新する14分3秒21をマーク。11月の県大会でも1区を任され、2位に49秒差をつける区間賞。過去に県2位が13度もあったチームを勢いづけ、2区以降のメンバーも懸命の走りでたすきをつなぎ、初優勝を飾った。
そしてレース当日。陸上部のOBたちは「13人で歴史を変える」との文字を刻んだタオルをつくり、都大路へかけつけた。そしてあちこちで後輩たちに大声援を送った。この日のエース区間の1区を任された児玉は、その声援にも背中を押され、全国のエースたちと競り合う。常に先頭集団の前方で走り続け、トップに17秒差の5位でたすきをつないだ。
2区以降で全国の強豪の追い上げを受け、5区の河崎は14位でたすきを受けた。河崎は3年間ずっとけがに悩まされてきた。主将でありながら、都大路出場を決めた県大会も走れなかった。「どんなにキツくても、最後は力を振り絞ろう。都大路を走れなかった先輩たちの分も、最後は出しきろう」と心に決め、3kmを走り始めた。中盤に失速し、一つ順位を落とした。9分4秒で区間23位だった。
7区の吉村は16位でゴールまでの5kmへ駆けだした。「入部したときは一番のビリでした。でも地道に努力しようって決めました。一つ下にすごい後輩たちが入ってきて、都大路に行けるんじゃないかと思いました。同時に『相当頑張らないと自分が走れない』と思って、もっと努力しました。今日は後輩たちの記憶に残るような姿を見せよう、って」。努力、努力、努力で都大路にたどり着いた吉村は16位をキープ。両腕を控えめに広げてゴールした。
あふれ出す感謝の思い
レース後、大勢のOBや選手の保護者たちを前に、河崎が主将としてあいさつした。
「ことし1年、みなさんの応援があったから苦しい練習も乗りきれました。みなさんのおかげです」。河崎は感極まり、涙をふいた。「頑張ったよ」「よくやった」。OBや保護者から温かい言葉が飛ぶ。
「沿道の応援は、鎌学が一番目立ってたかな?」。また語り出した河崎の言葉がみんなをドッと沸かせた。「気持ちよかったし、うれしかったです。今年は2年生が中心のチームで、後輩たちは試合に出るたびにいい結果を出していきました。なのに僕はけがで練習ができなくて……。そんなとき、同じ3年生として練習を引っ張ってくれる吉村の姿を見て、何度も励まされたし、頑張ろうと思えました。この13人でここへ来られてよかったです。1人でも欠けてたら、ここには来られなかったと思います。この13人だから、ここに来られたと思います。来年は僕と吉村が抜けるだけで、戦力はほとんど変わりません。またここに戻ってきて、さらに大きくなった鎌倉学園を見せてほしいと思います」
河崎の立派なあいさつに、大きな大きな拍手が送られた。
鎌倉学園を指導して40年目の保田進監督は、大声で言った。「すばらしい生徒たちです。こいつら最高です。来年は2時間5分以内で走りたいと思います!」
そのあと、3年生のふたりに、別々に話を聞いた。大学での4years.について吉村は「陸上をやるかどうか、分かんないです。大学もまだ決めてないです」。河崎は「もちろん陸上を続けようと思います。箱根駅伝を走るのが一つの夢なので」と語った。
ふたりで頑張ってきた3年生。お互いに、伝えたい言葉を尋ねた。
吉村は10秒ほど考えてから、言った。「キャプテンとして1年間頑張ってきてくれました。僕はその後ろ姿を見て頑張りました。あいつにまかせっきりだったので、ありがとうって伝えたいです」
主将の河崎は、こう言った。「僕が走れなくて苦しいときは、あいつがチームを引っ張ってくれました。だからこうして最後までやってこられました。ありがとう、に尽きます」
ありがとう。都大路という最高の舞台で、ふたりの3年間が終わった。