筑波大を26年ぶり箱根駅伝出場に導いた、2人の選手がつなぐたすき
筑波大が、26年ぶりに箱根駅伝に帰ってきた。前回大会に関東学生連合チームとして出場した相馬崇史(3年、佐久長聖)は2度目の箱根路。だが、もう一人、筑波大には2度目の箱根を「走った」選手がいることをご存じだろうか。相馬の給水を務めた上迫彬岳(3年、鶴丸)、彼もまた2度目の箱根駅伝、2度目の大平台に挑んだ。
箱根出場の立役者
前回大会で関東学生連合チームの5区を任された相馬。そして、大平台での給水を務めたのが上迫だった。相馬はランナーの立場から、上迫は選手をサポートする立場から「箱根」を知った。
相馬は唯一の箱根経験者としてその経験をチームに伝える大きな役割を果たした。上迫は今年7月からプレイングマネジャーとしてチーム運営に奔走し、学生連合ではなく「筑波大」として2度目の箱根出場を決めた。
2度目の箱根挑戦となった今大会、筑波大は最下位に沈み、タイムとしても決して満足いく結果ではなかった。しかし、筑波大チームはどこか満足そうな表情を浮かべていた。そして、上迫と相馬はチームとして出場したことの意義をかみ締めつつ、既に次回大会を見据えていた。
関東学生連合チームとして出場した前回大会、そしてチームとしても個人としても結果が出ない時期を乗り越え、「筑波大」として出場するために全力を注いできた相馬と上迫には、3年間の知られざる物語があった。
佐久長聖の主将に「ビビっていた」
2人は大学入学まで、対照的な競技生活を送ってきた。相馬は駅伝の強豪校・佐久長聖高校出身。3年時には主将を務め、全国高校駅伝では6区区間2位の走りでチームを準優勝に導いた。対して上迫は鹿児島の進学校・県立鶴丸高校出身。高校時代の5000mのベストは16分29秒90で、県大会の予選止まりの選手だった。
そんな2人の陸上人生は、筑波大で交錯することになる。
上迫は「どうしても筑波大で箱根駅伝に出たい」という思いを持って、1年間の浪人生活ののち生命環境学群地球学類に合格。陸上競技部に入部し、念願かなって筑波大で箱根駅伝を目指すこととなった。
そこで出会ったのが相馬だった。初めは、常に世代トップレベルを走り続けてきた相馬に対して、上迫は「ビビってた」という。「佐久長聖のキャプテンになるほど速い選手に、16分半の自分が『競技に真剣でないからタイムが伸びないのではないか』と思われることが怖かった」と上迫は語る。
一方、相馬も上迫に対して特別な感情を抱いていた。初めは朝練にもついていけなかった上迫が、レベルの高いメニューを必死にこなそうとするなど、高い志を持って練習する姿に「強豪校出身でなくても、こんなに強い気持ちを持った選手がいるんだ」と、大きな衝撃を受けたという。
悔しさだけが残った1年生の箱根
入学直後は「相馬に話しかけた記憶がない」と上迫は笑う。2人にとっての転機となったのは1年生で迎えた予選会だった。
相馬は1年生ながらチームトップの走りを見せ、全体69位で関東学生連合チームに選出。事務手続きやメディア対応に追われる中、上迫が自らサポートを買って出た。
「相馬に話しかけるきっかけがほしかった」と上迫。自分自身が強くなるために相馬からさまざまなことを盗もうと思ったという。相馬も、初めは「やってくれるの?」と驚いたというが、上迫の箱根への思いを知っていたからこそ「少しでも近くで箱根を感じてほしい」という思いでサポートを託した。
相馬は、予選会から本戦までの練習では好調をキープしていた。しかし、その調子のよさがあだとなる。
1年生から箱根を走るチャンスに、つい練習をしなければと気持ちが先走った。「今考えたら完全にオーバーワークだった」と振り返る。無理がたたり、本戦直前に故障。箱根を走ることはできず、「すごく悔しかった」と語る。
箱根で受けた衝撃。「個」から「チーム」へ
そんな不完全燃焼に終わった大会から1年が過ぎ、2年生になった相馬は箱根に戻ってきた。チームは17位となり予選突破には及ばなかったが、相馬自身は昨年に引き続きチームトップの走りを見せ、2年連続で関東学生連合チームに選出された。
本戦5区での出走が決まったとき、大平台での給水を上迫に頼んだ。「サポートしてくれていた上迫に給水してもらったら、苦しいときでも力が出ると思った」。2人で臨んだ初めての箱根駅伝は、1時間14分45秒で区間13位相当と、健闘といえる結果に終わった。
しかし、結果とは裏腹に上迫の胸中は複雑だった。初めは関東学生連合チームでの出場でも、箱根に関われるならそれでいいと思っていた。しかし、給水をしてみて「学生連合チームは、どこのチームからも気にされていなかった。まるで『いない』かのような、強烈な疎外感があった」と語る。「箱根には、チームで出なければならないのだ」と強く感じた瞬間だった。もう一つ、上迫を突き動かしたのが「相馬に2度目の箱根を走らせたい」という思いだった。
規定により、一度関東学生連合チームで出場すると、複数回出走することはできない。そのため、相馬がもう一度箱根を走るためには、筑波大として出場しなければならなかった。「速くなるために一番努力している相馬に、何回でも箱根を走ってもらいたかった」。そのために、どうすれば自分がチームに貢献できるか、上迫は何度も考えた。
また相馬も、大会に臨む前と後では箱根に対する思いが変化していた。「昔は、箱根駅伝は自分の実力を発揮する一つの大会にすぎないと思っていた」というが、一人で出走した箱根を終え「チームで目指し、出場することに価値がある大会」として、チームでの出場を強く望むようになった。
箱根本戦後、冬にはけがも負った。チームも全日本大学駅伝の予選会出場を逃すなど「最悪な時期」を経験し、その中で「果たして一人で強くなれるのか?」と自問自答を重ねた。その時に「チームで戦う意識がないと、絶対に強くはなれない」と気づいた。
上迫が起こしたアクション、後押しした相馬
チームとして全力で箱根に挑戦したい、と2人は決意を固めたものの、それに反して当時のチームの状況は「箱根を目指すチームとはいえない」ものだった。
チームの調子は上がらず、6月には弘山勉駅伝監督から「練習に行かない」という形でチーム改革を促された。そんなとき、立ち上がったのが5月からプレイングマネージャーとして、自身も競技をしつつチームを支えていた上迫だった。監督の行動にも態度を見直さない選手たちに危機感を覚え、「チームが箱根を目指す上で足りていないところ」について、何枚ものスライドを作り、部員の前でプレゼンした。相馬と上迫は、1年生のころからチームの雰囲気に対して疑問を抱き、話し合うことがあったという。
「相馬は競技力の高くない自分の話もちゃんと聞いてくれていた。相馬がいたからアクションを起こせた」。これがきっかけとなり、「全てを犠牲にして箱根を目指すチーム」になるためのチーム改革が行われた。
新たに主将には大土手嵩(3年、小林)が、副主将には尾原健太(3年、富山)が就任。相馬は役職には就かず、改革を進める中の一人という立ち位置から、前回大会の経験を還元し続けた。
成し遂げた悲願
チーム改革は結実し、チームの雰囲気も徐々に変わっていった。予選会当日には「このチームで予選会に挑めたら、結果はもはやどうでもよかった」と上迫が語るほど、筑波大は実力も精神面も洗練されたチームになっていた。
筑波大は6位で予選会を突破し、26年ぶりの箱根駅伝出場を決めた。相馬は1時間4分44秒のタイムでチーム4位となり、予選突破に大きく貢献。「まさか(筑波大が)6位とは思ってなかった。苦労してきた分、出場できる喜びはすごく大きい」という言葉に、深い実感がこもっていた。チーム改革を成し遂げた上迫は、チームメイトから「(予選会突破は)上迫がいなかったらありえなかった」と声をかけられ、「みんなは、恩を何倍にもして返してくれた」と笑った。
2度目の箱根で得た大きなもの
チームとして迎えた箱根駅伝。相馬は昨年と同じく5区に出走したが、前回より1分近く遅れる1時間15分37秒というタイムに「やっちゃった」と悔しがった。練習では足に不調が出ることが時々あったが、直前は調子がよかったため「いけるかな、と賭けに出て」箱根を走ったという。しかし、箱根の山は手強かった。掲げていた目標とは程遠い自身の走りを、「ごまかしは通用しなかった」と振り返った。
相馬を大平台で迎えた上迫は、前を走る大学との差が40秒近くまで開いていることに「(相馬に)絶対に何かあったなと思った」と動揺したが、給水時には「明日走るメンバーにいい形でつないでくれ、頼んだ!」と声をかけ、2年連続の大平台で相馬を激励した。
チームとして出場した箱根は最下位という形で終わったが、相馬が「来年3年生が中心になってチームを強化していけば、もっと上にいけると思った」と話すと、上迫も「今年箱根で強いチームを知ったが、必死で練習すれば届かないわけではないと感じた」と呼応する。2人にとって、大きな手応えの残る大会となった。
最後は2人でたすきをつなぐために
来年は、現在3年生の相馬と上迫にとっては最後の箱根になる。相馬が「上迫と箱根を走りたい気持ちは今でも強い」と語ると、上迫は「自分が走って、相馬にたすきをつなぎたい」と応える。
上迫は、箱根予選会突破後のメディア対応等で多忙を極める中、12月22日に行われた松戸市記録会で15分12秒15の自己ベストをたたき出した。1年後、筑波のたすきをつなぐため、2人は全てを懸けて走り続ける。