大学陸上・駅伝

特集:第96回箱根駅伝

学法石川高・松田和宏監督 相澤晃、阿部弘輝らに授けた「スピード」「人のつながり」

2区で区間新を出した相澤(左)と7区で区間新を出した阿部(撮影・藤井みさ、松永早弥香)

学法石川高校(福島)の陸上部監督を務める松田和宏先生(45)は、日本の陸上界で育成手腕を高く評価されている一人だ。男子5000mの13分台は高校長距離ランナーの勲章となるが、学法石川からはこれまで7人の13分台ランナーが育った。1500mのインターハイ優勝の座を、毎年違う選手で3年間独占したこともある。

その松田先生の教え子たちが、今年の箱根駅伝で大活躍した。2区で相澤晃(東洋大4年)が史上初の1時間5分台で走り、7区でも阿部弘輝(明治大4年)が区間新をマークした。高校時代の何が、二人の学生最後の箱根駅伝での快走に結びついたのか。

相澤に伝えた「ラスト3km」の重要性

松田先生自身は箱根駅伝最多優勝回数を誇る中央大の出身。4年間2区を走り続け、3年生だった1996年大会では優勝メンバーの一員となった。

1年:区間4位・1時間9分53秒
2年:区間4位・1時間8分47秒
3年:区間2位・1時間8分29秒
4年:区間3位・1時間12分17秒

4年生のときは強い向かい風でタイムが伸びなかったが、4年間すべて区間4位以内と安定した成績を残し、名門中大のエースの役割を十分に果たした。教え子の相澤が2年生で2区を走ることになったとき、松田先生は「最後の3kmで差が生じるから」とアドバイスしたという。「そのためには、ラスト3kmまでに力を使い切らないようにすること。(権太坂など)中間走で力まないように、と言いました」

その年の相澤は1時間7分18秒の区間3位で走った。1区の西山和弥(当時1年)からトップで引き継いだ襷(たすき)を、3区にもトップでつないだ。だが区間賞は3秒差で逃している。15.2kmの権太坂の通過タイムではD・ニャイロ(山梨学大3年、現NTT西日本)を5秒、森田歩希(青学大3年、現GMOインターネットグループ)を15秒リードしていたが、終盤でその2人にタイムを上回られてしまった。松田先生にアドバイスされたようには走れなかったのだ。

鶴見中継所で走り出す前の相澤(撮影・安本夏望)

そして前回の4区(区間新)を経て、相澤は最終学年で2度目の2区に挑戦した。伊藤達彦(東京国際大4年)とデッドヒートを展開し、お互いに何度も仕掛け合った。

東洋大・相澤晃が2区で史上初の1時間5分台 東国大・伊藤達彦と競り合って大記録

勝負を決したのは、相澤の残り3kmからのスパートだった。今年はライバルとの競り合いにも力を使い果たさず、残り3kmを松田先生のアドバイス通りの走りができた。その結果、1時間6分を3秒切るタイムで走れたのである。

高校ではエースになれなかった相澤

箱根駅伝の2区は、95年大会で早稲田大3年だった渡辺康幸(現・住友電工監督)が初めて1時間6分台(1時間6分48秒)で走った。その大会で2年生だった松田先生は、約2分の差をつけられている。

当時の学生トップ選手のレベルは現在と変わらないくらいに高かったが、中間層のレベルはいまよりも低かった。松田先生が3年生のときに出した1時間8分29秒は区間2位だったが、今年の2区では区間16位になってしまう。2019年大会でも区間9位相当だ。それが1時間6分台なら、いまでも区間賞争いができる。

渡辺監督は「10000mで27分台の力がないと1時間6分台は出せない」と言い続けてきた。その後1時間6分台を出した99年大会の三代直樹(順天堂大4年、現・富士通コーチ)、09年大会のM・J・モグス(山梨学院大4年)、11年大会の村澤明伸(東海大2年、現・日清食品グループ)、そして19年大会の塩尻和也(順大4年、現・富士通)は、卒業後に出した三代も含めて全員が27分台ランナーである。

相澤の1時間5分台がいかに価値があるか、分かってもらえるだろう。

その相澤が、4年前は学法石川のエースではなかった。距離によって強さが違うが、エースは阿部で相澤は2~3番手だった。松田先生は「相澤が一番変わったところは精神面です」と語っている。

相澤と松田先生。高校時代の取り組みに加え、大学での精神面の成長が大活躍につながっているという(撮影・寺田辰朗)

今大会前、相澤は1時間6分30秒を目標としていた。1時間5分台までは考えていなかったが、「歴代の日本人学生トップ選手たちの記録を超えたい」と明言していた。

「高校のころは自信の持てない選手で、大きな大会になると力を出せなかった」と松田先生。「強気な発言などできない選手でしたが、東洋大で培った精神面の成長によって、いまは自信満々というか、高い目標を口にして、それに対し怯(ひる)まずに向かっていける選手になりましたね」

それだけの練習も、レース実績も積み重ねてきた。高校のころは体の線が細く、走りにも「ぶれがあった」という。その結果、ひざを痛めやすかった。東洋大では補強運動にも真剣に取り組み、3年生になったころには体つきもしっかりして、走りの軸もぶれなくなった。

学法石川で5000m13分台のスピードを身につけ、東洋大の4年間の取り組みが加わり、史上初の1時間5分台ランナーが誕生した。

阿部は「気持ちの強さ」で区間新

7区の阿部の区間新にも驚かされた。林奎介(青学大3年、現GMOインターネットグループ)が2年前に出した1時間2分16秒を36秒更新した。林の前の区間記録は、マラソン前日本記録保持者の設楽悠太(東洋大~現Honda)が持っていた。設楽は10000mの27分台を大学4年生でマークした選手。阿部の区間新もレベルの高い記録であることがわかる。

小田原中継所、笑顔で襷を受け取る阿部(撮影・佐伯航平)

「高校を卒業してから(区間2位はあっても)駅伝ではいい成績を残してこられませんでした。今回の箱根は4年間の集大成として、いい形で終わりたかった。松田先生には、それができましたと報告できます」

そう言った阿部だが、けが明けのレースだった。それにもかかわらず区間新まで出せたのは、何が要因だったのか。

明治大・阿部弘輝、苦しんだ先でつかんだ区間賞 相澤晃と一緒に五輪を目指す

2区で区間新を出した相澤からの刺激(二人は中学時代も同じクラブで走っていた)、明大で頑張ってきた4年分の思い、チームの3位争いなど、多くの要素が絡み合った結果の区間新だが、高校時代から松田先生に言われてきた言葉も力になった。「気持ちの強い選手が勝つんだ」

「どんな状態でも強い気持ちで走ろうと思って中継所に立ちました。どんなに苦しくなっても気持ちのこもった走りをして、最後は力を絞り出す。そして最後の箱根は区間賞を取って終わる。その気持ちが体を動かしました」

阿部と松田先生。阿部は心の強さによって結果を出した(撮影・寺田辰朗)

松田先生は「5000mの13分台は練習メニュー次第で出せるようになりますが、(大きな)試合は気持ちで8割くらいが決まる」と感じていた。学法石川の部訓である「克己心」の重要性を、選手たちに言って聞かせてきた。

学法石川のOB同士の並走もあった。東京国際大の7区は真船恭輔(4年)。4年前の全国高校駅伝は1区阿部、4区相澤、7区真船というメンバーだった。

阿部は7区の12km地点手前で真船に追いつくと、間もなく引き離した。「真船も僕に追いつかれないように(速いペースで)逃げていたので、かなりキツかったんですけど、追いついたときにちょっと楽になったんです。これならいける、と思いました」

高校3年間に苦楽をともにした仲間と、最後の箱根駅伝で並走できた。阿部自身は冷静な走りを心がけていたが、同級生との並走に、何らかの気持ちの高揚が働いたと見ていいだろう。

「スピードは若い年代でしか身につかない」

学法石川の特徴がスピードであることは長距離界の共通認識になっている。相澤、阿部とも区間新の実現にはメンタル面が大きく働いたが、松田先生も「ウチのスピード重視のトレーニングが生きている」と認めている。

4年前の全国高校駅伝メンバーには阿部、遠藤日向(現・住友電工)、相澤と3人の5000m13分台ランナーがいた。さらに1500mのインターハイ優勝者が、その年の田母神一喜(中大4年)、翌年の遠藤、2年後の半澤黎斗(早大2年)と3人も名を連ねていた。しかし優勝候補にも挙げられた都大路は7位に終わった。

早大6区の半澤黎斗(2年)と松田先生。相澤、阿部、真船、半澤、東京国際大8区の芳賀宏太郎(2年)、明大8区の櫛田佳希(1年)、法大1区の久納碧(2年)と、今年の箱根駅伝には学法石川高OB7人が出場した(撮影・寺田辰朗)

「スピード練習に特化していたためでしょう」と松田先生。その反省や、在籍する選手の適性を見てロード用の練習にも取り組み、3年後の18年は都大路で3位、昨年は5位と、駅伝でも好結果を出している。

4年前の最上級生たちが卒業時に残した言葉が、松田先生の印象に残っている。「それまで学法石川高のOBは卒業後に伸びないと言われていましたが、阿部や相澤たちの学年の選手は『自分たちが伸びて見返してやります』と言って卒業していきました」

7位に終わった全国高校駅伝から4年。学法石川で身につけたスピードに、二人の適性に合わせたトレーニングをそれぞれの大学で追求してきた結果、「ロードの相澤」「トラックの阿部」と言われるようになった。

昨年の日本選手権10000mで並走する阿部と相澤(撮影・藤井みさ)

相澤はトラックでも日本選手権10000m4位と好成績を残しているが、昨年7月のユニバーシアードではハーフマラソンで金メダル。阿部は10000mで銀メダルを獲得した。阿部は今回の箱根駅伝に出た選手の中で、10000mを27分台で走ったことのある唯一の日本人ランナーである。

松田先生がスピード練習を重視しているのは、自身が学生時代に渡辺や花田勝彦(早大、現GMOインターネットグループ監督)といった、高校時代からスピードのあった選手たちに苦戦したからだという。とくに渡辺には、全日本大学駅伝のアンカー(8区)でトップを走っていて抜かれたこともあった。「スピードは若い年代でしか、身につけられません。自分はスピードがそれほどなかったので、苦しみました。渡辺さんたちは、本当に強かったですからね」

渡辺監督と松田先生。学生時代の経験が松田先生の指導に活きている(撮影・寺田辰朗)

渡辺は10000mで、花田は10000mとマラソンで日本代表になるまで成長した。松田先生がスピードを重視するのは、世界で戦うことを強く意識しているからでもある。

学法石川や松田先生を介しての人のつながりも、同高OBたちの力になっている。東洋大の酒井俊幸監督は学法石川OBで、松田先生の前に同高を指導していた。東洋大に移って設楽啓太・悠太兄弟や、東京五輪マラソン代表の服部勇馬(現トヨタ自動車)らを育てている。設楽兄弟はともに学生時代に27分台を出した。服部は箱根駅伝2区で日本人選手では渡辺以来の2年連続区間賞をとったが、惜しいところで1時間6分台に届かなかった。

箱根駅伝の名将の1人に数えられる東洋大・酒井俊幸監督と松田先生。酒井監督は学法石川高OBで同高を指導していたが、自身の東洋大監督就任に際し、松田先生に後を託した。東京国際大の大志田秀次監督は松田先生の中大時代のコーチで、創価大の榎木和貴監督は中大時代の同期選手だった(撮影・寺田辰朗)

相澤は高校時代に松田先生のもとでスピードを磨き、酒井監督のもとで足りなかったメンタル、スタミナをつけた。そして箱根2区で1時間5分台と「渡辺超え」を果たし、箱根駅伝MVPの金栗四三杯を受けた。

「この賞をいただいたからには、箱根をステップに世界へ羽ばたきたい。まずは10000mで東京オリンピックを目指しますが、マラソンでも大迫(傑・ナイキ)さんや設楽さんら、世界でも通用する選手たちと競り合えるようになりたいです」

金栗四三杯受賞会見での相澤。世界への思いをきっぱりと語った(撮影・藤井みさ)

阿部は大学卒業後、渡辺が監督を務める住友電工に入社し、10000mで東京五輪を狙っていく。4年後のパリ五輪は、マラソンで目指す可能性もあるという。

種目はどうなるか分からないが、相澤と阿部は大学卒業後も世界に向かって「並走」していく。学法石川や松田先生を通した人のつながりが箱根駅伝の区間新を後押ししたように、二人が「並走」することで世界へのスピードが加速する。