もがき続けた大学時代、終わりよければすべてよし 明治大5年・鎌田英嗣(下)
明治大スケート部フィギュア部門5年生の鎌田英嗣(ひでつぐ、獨協)にとって、最後の晴れ舞台が迫る。彼は日本スケート連盟の強化選手に選ばれ、ジュニアグランプリ(GP)シリーズを経験したが、シニアでは思うような成績が残せず、もがき続けた。大学限りで競技を引退する鎌田のために2月20日、彼の「ホーム」であるシチズンプラザ(東京都新宿区)のリンクで、有志による引退エキシビション「HIDES ON ICE」(ヒデッツ・オン・アイス)が開かれる。そんな鎌田のスケート人生を振り返る連載の後編は、明治に入ってからの生きざまについて。
「まっすぐすぎたから失敗しちゃった」
2015年春、明治大に入った鎌田は迷路をさまようような状況にいた。前のシーズンは強化選手に選ばれ、ジュニアGPシリーズを経験したが、そのプレッシャーに悩まされていた。モチベーションが上がらず、練習に身が入らなくなった。
「スケートをやめたくてしょうがない状態にいっちゃいました。『自分がこのまま頑張っても、いい成績が出る保証はない。いろんなものを犠牲にして、自分は本当に幸せなのか?』と思ってしまったんです。まっすぐすぎたから失敗しちゃった。結局、自分自身を追いつめてたのかもしれないです」
家族と食事をしても、友だちと遊んでも、楽しくなくなった。「練習があるってことが頭に入っている限り、憂鬱(ゆううつ)でしかなくて。朝練の前の日の夜は寝たくなかった。寝たら朝が来ちゃうから。ずっと携帯を見てました」
それでも、朝になればリンクに向かった。だが、リンクに立つと涙がこぼれてきた。練習がままならず、川越コーチから「今日は帰りなさい」と言われ、15分ほどで切り上げたこともあった。試合はやってくる。練習不足で、いい結果が出るはずもない。「よくやったよ」というコーチの励ましの言葉も、心に突き刺さって痛かった。自分自身は「もっとできたのに」と思っていたからだ。
「答えがない」さまよい続けて見えてきた光
誰にも相談できなかった。「なまけているだけ、って言われるだろうし、スケートをやめてまで情熱を注げるものもないし。答えがなかった。自分は強化選手だというプライドもあった」
気持ちが沈んだまま迎えた1年生の夏、練習方法を変えることにした。質は問わず、滑りたいときに滑る。もう、つらくはなかった。「マイペースな練習はプレッシャーもないですし。それにリンクにいけば友だちがいたから」
試合が近づくにつれ、少しずつ気力が湧いてきた。そんな矢先だった。
全日本ジュニア選手権に出場し、浮上のきっかけをつかもうとしていた翌年1月、右の内くるぶしを骨折。治療とリハビリの生活で、3カ月間は氷に乗れなかった。2年生になった4月の終わり、ジャンプの練習を始めたその日に再び骨折。強化選手から外され、国際大会派遣もなくなった。
それでもなんとか前を向けたのは、仲間の存在があったからだ。子どものころから競い合ってきた同学年の梶田健登(23、明治大卒)や森望(かなた、同、同)、佐上凌(同、同)、宮田大地(同、法政大卒)に鈴木元気(同、学習院大卒)といった面々。食事にいったり、何げない会話をしたり、そんな日常が楽しかった。
リハビリ期間中に出会ったアスリートたちとの交流も貴重だった。味の素ナショナルトレーニングセンター(東京都北区)には、元サッカー日本代表DF内田篤人(鹿島アントラーズ)ら、各競技のトップ選手たちがいた。キツいトレーニングをともにする中で、彼らの強い気持ちにはいろいろと感じさせられた。
「また強化選手に戻りたい」と大学5年目へ
そして9月、リンクに戻った。東京選手権ではジャンプは十分跳べる状態ではなかったが、なんとか東日本選手権に駒を進め、12月の全日本選手権にも出場。自身最高となる19位に入った。
2年生の終わりころ、鎌田はある決断をしていた。4年で卒業はしない、と。再び実績を積み重ねて、大学5年目で強化選手に戻りたいという思いからだった。
3年生でも全日本選手権に出場した。国体やインカレもモチベーションにしながら試合に出続けた。とくに2018年の国体では、フリーで198.52点の高得点を出し、総合3位に入った。この時期の好調については、リンクの先輩で国際大会の出場経験もある板井郁也(ふみや、東洋大)の存在も大きかった。自身も精神面で悩みを抱えながら、鎌田の演技を動画撮影してくれたり、相談に乗ってくれたりした。
全部跳べば解決、東日本選手権の成功体験
4年生になると、梶田らが就職活動を続ける一方、鎌田はスケートに打ち込んだ。それは自分の誇りでもあった。
その年の東日本選手権ではショートプログラムで失敗し11位発進。全日本選手権出場が危ぶまれたが、フリーはすべてのジャンプで着氷して2位、総合5位で全日本選手権の切符を手にした。「一個一個、冷静に。全部跳べるジャンプなんだから、全部跳べばいいというのが解決策でした。周りから『誰の世界選手権よりも感動した』と言われて。僕の武勇伝の一つです」
引退試合でトリプルアクセル成功「終わりよければ」
ラストシーズンとなる大学5年目はけがに悩まされることもなく、最後となる全日本選手権に出場。今年の1月末、引退試合となる国体を迎えた。
この大会のためにとりわけ力を入れて練習しきたのがトリプルアクセル。絶好調だった高校時代に練習でよく跳んでいたジャンプだ。ただ、試合で成功させたことは1度もなかった。
SPはジャンプでミスが出て、49.74点で16位。だが、鎌田は冷静だった。思い出すのは、その前のシーズンの東日本選手権フリー。SPで失敗しても「一個一個きっちり、全部のジャンプを跳べば解決する」。あの経験を大一番で生かした。
フリーでは冒頭のトリプルアクセルをきれいに決めた。大歓声の中、ほぼノーミスの演技で118.24点の5位と巻き返し、167.98点の総合8位で大会を終えた。
「今シーズンは東日本で武勇伝はなかったんですけど、国体がハイライトでしたね。終わりよければすべてよし」。そう言って、はにかんだ。
飲食業界に就職、いずれはスケート関係にも
この春には飲食業界に就職する。グルメに興味があり、手料理もするほど食にはこだわりがある。
今後、スケートに関わる可能生があるのか尋ねると「将来、東京都スケート連盟に関われたらうれしいなと思ってます。 いま一番したいことは、一緒にやってきた後輩の相談に乗ってあげられるような人になりたい。僕がふみやくん(板井)にしてもらったように」
スケートとまっすぐに向き合い、打ち込んできた鎌田。卒業後はスケートからは離れるが、何年後か、リンクで彼の姿を見かける日がくるかもしれない。
20日、思い出のリンクで引退エキシビション
前述の通り、2月20日の午前9時15分~午前11時45分、鎌田が5歳から滑ってきたシチズンプラザ(東京都新宿区)のリンクで、有志による引退エキシビション『HIDES ON ICE』(ヒデッツ・オン・アイス)が開催される。
鎌田が演じてきた「禿山の一夜」など歴代ショートプログラムのメドレー、当日来場者の投票で決める人気ナンバー1のプログラムなどを披露する。梶田、森ら同じリンクで競い合ってきた仲間の演技、川越正大コーチによる振り付けレッスン公開やトークコーナーなども。入場は無料。
出演者:鎌田英嗣、森望(明治大学卒)、梶田健登(同)、石塚玲雄(早稲田大学)、國方勇樹(日本大学)、菅原生成(東洋大学)、板井郁也(同)、坂東凜(駒場学園高校)、鈴木楽人(同)
ヒデくんを泣かせるぞ
菅原生成の話
「ヒデくんに出会ったのは高校1年生のとき。東京に来て、一緒に滑ることができて毎日いろんなことを見て学んで、充実してました。メンタル面が弱いので、試合に向けてのアドバイスとか、あのジャンプはこう跳ぶんだよとか、スケートへの熱い思いを毎日毎日、言葉で伝えてもらいました。その意志を表現できるようにしていきたい。ヒデくんの意志を引き継ぐ男のひとりとして楽しんで滑りたいし、最後にヒデくんを泣かせられるように頑張りたいと思ってます」
ショーに参加できるのが誇り
森望の話
「ヒデくんとの出会いは覚えてないくらい。いつだったかな? スケート始めたころからヒデくんはシチズンにいたので、ずっと一緒に練習してました。いろんな歴史がありすぎて。真摯(しんし)に取り組むってこういうことだ、というのを見せてもらった。シチズンもなくなるし(リンクは来年の閉鎖が決まっている)、ヒデくんの引退と重なって、すごい思い出のショーになります。少しでもここに参加できることを、すごく誇りに思います。シチズンの思い出とヒデくんの思い出とともに、アイスショーを頑張っていきたいと思います」
ヒデくんの背中を見てきた
國方勇樹の話
(引退試合となった国体成年男子で鎌田とともに東京代表で出場)「自分は小学1年生から中学1年生までシチズンで一緒に練習させてもらって、ヒデくんの滑ってる背中を見ながら練習させてもらった。ラストの国体でも一緒に試合に出られた。ヒデくんのスケートに対する姿勢、私生活、もろもろ見習いたい部分がたくさんあります」