学生が6年ぶりの柔道日本一 東海大主将、王子谷剛志の快進撃 あの春を振り返る
本来、スポーツ真っ盛りの季節を迎えたが、新型コロナウイルスの感染拡大の影響が続く。1日でも早く球場や体育館にいつもの歓声が戻ってくれたら。学生アスリートたちが春に繰り広げた名勝負を振り返りながら、その日を待ちたい。
6年前の4月29日、日本武道館で東海大学柔道部主将が快進撃をみせた。体重無差別で日本一を決める全日本柔道選手権で、21歳の王子谷剛志(おうじたに・たけし)が学生として2008年の石井慧(当時、国士舘大学4年)以来6年ぶりに頂点に立った。
「優勝候補に挙がらず、悔しかった」
来年の東京オリンピックでも柔道会場となる日本武道館。王子谷は初優勝した後、「新聞に優勝候補として名前が挙がらなかったので、悔しかった」と振り返っている。東海大相模高(神奈川)時代から世界ジュニア選手権100kg超級を制した逸材は、国内最高峰の大会に2回目の出場だった。しかし、14年のこの大会で優勝候補に挙がっていたのは、2年前のロンドン五輪100kg超級代表の上川大樹(京葉ガス=所属はすべて当時)、2月のグランドスラム・パリ大会100kg超級を制していた七戸龍(九州電力)、前回準優勝の原沢久喜(日本大学4年)らだった。
ライバル原沢久喜に快勝 勢い増す
2回戦から登場した王子谷は、初戦を小外刈りで一本勝ちすると、3回戦で13年世界選手権73kg級王者の大野将平(旭化成)に優勢勝ち。これで、大会前に照準を絞っていたという原沢との準々決勝に勝ち上がった。原沢とは、同学年のライバルとしてしのぎを削ってきた。「あいつには去年の講道館杯の3位決定戦で指導一つの差で負けた。その借りを返したかった」。まず、すみ落としで技ありを奪い、攻め手を緩めず得意の大外刈りを決めた。この快勝で勢いを増した。
この大会を取材していた朝日新聞の竹園隆浩記者は「準決勝が1つのカギだった」と言う。学生時代に柔道で鍛え、国内で最も格式の高い大会を長年、現場で見守ってきた。準決勝、王子谷はわずか52秒で81kg級の永瀬貴規(筑波大3年)を退けた。これに対し、優勝候補筆頭の上川と西潟健太(旭化成)の対戦はもつれた。試合時間残り9秒となり、上川が送り足払いでようやく一本勝ち。5分51秒の熱戦だった。
監督からの作戦を忠実に実行 練習量に絶対の自信
王子谷は決勝を前に上水研一朗監督から作戦を授かった。「4分までは攻めたくても我慢だ。地力ではかなわないが、練習量、スタミナなら負けない。そこから一気に攻め込め」と。実はこの大会の東京予選では、上川に約10秒で一本負けしていた。逸材と期待されながら、国内外の大会で勝ちきれないパターンが続いていた。
王子谷の方が決勝へ臨む余力があった。竹園記者は言う。「学生のいいところが出た。普通にやれば、上川が強かった。王子谷もそう思っていたはず。失うものはない。作戦を決めたらそれに徹した。自分の稽古量を信じて。ただ、長引かせようと思うと相手は消耗しない。王子谷はちゃんとぶつかり合って、自ら力を出していき、上川を消耗させた。ただ、4分間、待っていたわけではなく、『隙があればいくぞ』みたいな感じだった。上川もどんどん消耗していった」
決めた得意の大外刈り 初体験の胴上げ
4分18秒、ついに巨漢の元世界王者を場外際で仕留めた。下がる上川に対し、得意の大外刈りで一本勝ち。柔道の神様が、決して器用ではない「けいこの虫」にほほ笑んだ。大外刈りで攻めきるタイプの王子谷は動きが直線的で硬い、といわれる。例えば野球のピッチャーが同じ直球を投げるにしても、踏むプレートの位置を左右にずらすなど変化をつけるが、王子谷の柔道は、いつも真正面から直線的に大外刈りをかけにいく感じだ。対する上川は元々、攻撃的な選手ではなかった。加えて疲労もあり、待ちの姿勢で返し技を狙っていた。
王子谷の大外刈りはかかれば、相手が大きくても一発でもっていく力があった。上川には既に、それを返すだけの力も残っていなかった。学生らしく愚直に攻め切った栄冠だった。東海大勢としては子どもの頃に憧れた井上康生・日本代表男子監督以来、11年ぶりの日本一だった。「信じられない。いい気分」。身長186cm、体重136kgが宙に舞う。同僚が初体験の胴上げで祝福してくれた。
3度の日本一 強烈な印象残す
旭化成に進んだ王子谷は17年のこの大会で2年連続3度目の優勝を飾った。東海大勢同士の決勝となり、ウルフ・アロン(当時、東海大4年)を下した。延長に入った熱戦は、2人の顔が激しくぶつかり合い、王子谷は唇を切って、道着に鮮血が散った。通算3度の優勝は井上監督らに並ぶ史上4位タイの記録だ。オリンピック代表に縁はないが、国内最高峰の大会で強烈な印象を残している。6年前の王子谷の優勝を最後に、大学生の全日本王者は、まだ、生まれていない。