徳本一善体制になって10年目 駿河台大は「組織力」で箱根駅伝初出場を狙う
「この1~2年で歯車がカチンと合ってきて、とくに今年はかつてないほど『組織力』が高まっています。学生からのフィードバックがめちゃくちゃ早いし、僕が何も言わなくても勝手に練習するんですよ」。駿河台大学の徳本一善監督(41)は自信をもってそう口にした。「箱根駅伝につれていってほしい」と請われ、駿河台大のコーチに就任したのが2011年のこと。指導して10年目を迎える今年、チームは「箱根駅伝予選会5位以内」を明確に見すえている。
青学・原監督も知る組織の強さを取り入れたい
徳本監督が「組織力」の強化を図ったのは5年前、自身が法政大学時代にコーチとしてお世話になっていた小金澤英樹さんをアドバイザリーコーチとして迎え入れたことに始まる。「箱根に出たことがない無名の大学に来て、なんとか指導してきたものの、もっとチームを強くするには根本的なところが足りないと思っていました。『組織力』だなって。原さん(青山学院大学・原晋監督)も中国電力にいて組織の強さを学んだ、と言っていたから気になっていたんです」
小金澤さんは現在、SMBC日興証券で働きながら、外部スタッフとして駿河台大で指導をしている。徳本監督は法政大を卒業した後も小金澤さんとの交流があり、駿河台大からまずはコーチとして打診があった時も、小金澤さんに相談していたという。小金澤さんは最初、「聞いたことのない大学でやるのは大変だし、もしかしたら自分のバリューを下げてしまうかもしれない。だったら名門大学から声がかかるのを待つのも一案じゃないか」と徳本監督にアドバイスをした。しかし徳本監督の覚悟を知り、最後は教え子の背中を押した。「こうして私も一緒に指導することになるなんて、その時は考えもしませんでしたよ」と小金澤さんは笑う。
「カラーが強烈な監督ありきなチームじゃいけない。だからお前がちょっと下がらないと駄目だよ」と小金澤さんはまず言い、選手に役割を与えることから始めた。監督から選手に伝えることと、選手が選手に伝えることでは、互いの印象は大きく変わる。
さらに各学年のリーダーに加え、実力別のA~Dグループ内のリーダーという、縦と横のユニット別に役割も設けた。以前であれば徳本監督が学生に指示をする一方だったが、今は目標に対するアプローチを学生が考えて実践し、それをすぐに徳本監督へフィードバックするという環境が整っている。「去年はまだごまかしている選手がいたけど、それがほぼなくなった。選手が選手に厳しい意見を言ったり、コーチ陣よりも早くリーダーたちが選手に気付きを与えてくれるようになったりしてて、僕が知らないことがほぼないですね」。以前であればちゃんと練習しているか気にかけなければいけなかったが、今は選手たちが率先して練習しているため、徳本監督は朝練に行かなくなったという。
チームの目玉は監督でもエースでもなく主将
昨年の箱根駅伝予選会、駿河台は前年18位から12位へと順位を上げた。10位で本戦出場をつかんだ中央大学との差は1分58秒。喜びよりも悔しさの方がチーム内には勝っていた。「去年は予選会通過を目標にしていたんですけど、主力選手の故障というアクシデントもあって届きませんでした。でも予選会5位を目指して挑んでいけば、多少アクシデントがあっても大きな問題にならないだろうし、本戦でシード圏内も狙えるチーム力がつくだろうと思ったんです」。そう話す石山大輝(4年、指宿商業)は、2年連続で主将を任された。
「キャプテンをしっかり考えないと駄目だ」。それは徳本監督が一番大事にしてきたこと。誰を選手のトップにおくか、それでチームはがらっと変わるという思いがあったからだ。2年生での箱根駅伝予選会が終わってすぐのタイミングで、「お前にはチームをまとめる素養があるから頑張ってほしい」と徳本監督に言われた時、石山には不安があった。先輩もいる60人近い大きなチームで、当時からエースの走りができたわけではない自分で務まるのか。
しかしチームのため、箱根駅伝に出場するために決心。「真面目さが僕の取り柄だから」と考え、選手の模範であれるように自分を律してきた。主将として2年目を迎えた石山に対し、徳本監督は「一番の目玉。スタッフと選手間の信頼は今年が一番しっかりしているし、石山でよかった」と評価している。
ケニアでコロナ禍に遭遇、スポーツができる幸せをかみしめ
石山や吉里駿(4年、大牟田)など主力選手の7人は今年2月1日、ケニアで合宿に取り組んだ。約2カ月間、長距離大国のケニアの選手と寝食をともに過ごして、どう揉まれ、どうモチベーションを上げてこられるか。合宿には徳本監督も帯同したが、練習は現地コーチに一任し、選手たちの意識の高さに期待した。「ケニアに来るぐらいなんで元々意識が高い連中だったし、僕が何も言わなくてもしっかりやっていましたよ」と徳本監督は振り返る。
しかし新型コロナウイルスの感染拡大を受け、状況は一変。アジア人に対する偏見に徳本監督たちも直面した。ケニア内での感染者が2人になるとロックダウン(都市の封鎖)の措置が取られ、日々、厳戒態勢が移り変わっていった。徳本監督たちも宿のテレビで情報を得ていたが、英語で発信される情報に難儀させられたという。
それでもケニアの警察チームに付いてもらって練習をしていたが、3月26日以降は外出禁止に。帰国予定だった3月29日を過ぎても状況は変わらなかった。4月になり、6人だけフライトが確保できたため、誰が先に帰るかミーティングをしようと集まった瞬間、4人以上が部屋に集まっていることを通報され、警察に任意同行を求められた。その後はホテルに移り、トレッドミルで各自が練習。2班に分かれて帰国し、徳本監督も4月19日に帰国した。2週間の自主隔離を経て、5月に駿河台大の寮へ戻った。「コロナというより人が怖かったです。普通にスポーツができるってことは平和なんだなと思いました」と徳本監督は言葉を漏らす。それでも練習自体は7~8割消化できたという。
徳本監督がケニアにいた間、チームのことは外部スタッフに任せ、毎日オンラインで連絡を取り合っていた。選手たちには寮に留まるように伝え、近くのコンビニにも立ち入りを禁止した。一部の選手とその家族からは帰省を強く要望されたため例外として認めたが、感染拡大防止の観点から、その選手には6月末現在、寮へ戻ることを禁止している。
練習自粛の期間中も練習メニューを出してはいたが、実際にやるかどうかは各自に任せた。「もう黙っててもやれるチームになっているんで。『少人数で山に走りに行きたい』と言えば、車で送迎するとかのサポート程度ですよ、僕がやったのは。練習なんてどこでもできる。『こういうことになったので練習できていませんでした、というのはただの言い訳だからね』とは選手に言っていましたが」と徳本監督。歴史ある箱根駅伝をまだ出場実績のない大学が目指すということはどういうことか。厳しい状況の中で、選手たちの決意はより深いものになった。
監督を超えられたら箱根が近づく
6月1日から全体での練習が再開され、6月20日には再開してから3回目となる10000mのタイムトライアルを実施した。この日、本来であれば全日本大学駅伝の関東地区選考会がある予定だった。28分台の記録をもつ吉里や河合拓巳(4年、豊橋工業)は本調子ではなかったものの、中堅にあたる選手の成長が著しく、数人が29分台で駆け抜けた。
練習ではほぼ毎回、徳本監督自身が引っ張り、この日の最初の1000mは2分56秒のペースだった。「まだちょっと読めないんですけど、練習の質はかなり上がっていますし、僕も引っ張りきれなくなっているぐらいです。前は最後まで引っ張れたんですけど。僕も衰えているのかもしれませんが(笑)」と徳本監督。今年1月のハイテクハーフマラソンで徳本監督は1時間5分5秒を記録。自分よりも速い選手が出てきたら箱根駅伝に近づけるという意識から、「僕には最低、勝たないと駄目だよ」と選手にたきつけている。そんな監督の言動で選手たちも本気になり、監督よりも前にいこうとする選手も出てきたという。
一から選手を鍛え上げて10年目を迎え、「組織の力ではほぼ他の大学に負ける気がしない」と徳本監督は言い切る。例年とは景色が違う今年、各大学がどんな取り組みをしているのか、気にならないと言えばうそになる。それでも自分たちがやりたいことは見えてきている。
「やることをやるだけ。箱根にいくかいかないかは別として、俺たちはやり切ってここにきたって言って、(箱根駅伝予選会の)スタートラインに立てると思う」
その言葉に迷いはない。