服部はオリンピックでは熱中症で苦しい走りになったが、その挑戦は後輩に勇気を与えた(撮影・日吉健吾)
相澤はオリンピックを経験し、さらなるスピードの必要性を実感した(撮影・池田良)
相澤は実業団に入ってからより設定タイムの速い練習を積み、20年12月に10000m日本新記録を更新し五輪代表に内定した(撮影・池田良)
大学と実業団の練習がいい意味でつながっている。MGC2位となり五輪代表をつかんだときの服部(撮影・佐伯航平)
相澤の4年時は「無敵」と言えるシーズンだった。写真は全日本大学駅伝3区(撮影・藤井みさ)
相澤は2年時の箱根駅伝では2区を走り区間3位。ここから学生トップランナーの仲間入りをし始めた(代表撮影)
服部は4年時の東京マラソンが初マラソン。中盤までトップ争いにからんだ(代表撮影)
大きなターニングポイントとなったと話す、熊日30kmロードレースでの優勝(撮影・朝日新聞社)