16年10月の箱根駅伝予選会で11位となり、87大会連続出場が途切れた(撮影・増田創至)
東京五輪を目指すところから切り替え、しっかりと走り込んだ成果が区間新につながった(代表撮影)
吉居が1年時12月の日本選手権には「100%合わせていた」と語る藤原監督(撮影・池田良)
このシード権獲得をステップに、新シーズンでは本気で優勝を狙いに行く(撮影・藤井みさ)
舟津(左)と田母神はチームを引っ張ったが、ともに最後の箱根駅伝は走れなかった(撮影・藤井みさ)
21年の箱根駅伝は「4年生が燃え尽きてしまった」という藤原監督。この時総合12位だった(撮影・藤井みさ)
19年は総合11位。チームとしてスキが多かったと振り返る(撮影・松嵜未来)