フィギュアスケート

同志社大大学院・木原万莉子 競技引退後は振付師に転身「天職じゃないかな」

競技引退後、振付師として活躍する同志社大学大学院の木原万莉子(競技写真以外すべて撮影・浅野有美)

フィギュアスケートにおいて重要な役割を担う振付師。グランプリ(GP)シリーズNHK杯など国際大会で活躍した、同志社大学大学院スポーツ健康科学研究科の木原万莉子(同志社)は、2018年の競技引退後に振付師に転身した。「天職かもしれない」とやりがいを語る木原に、振り付けの仕事や今後の目標について聞いた。

「2年間だけ頑張る」競技引退を決断

木原は滋賀県大津市出身。7歳の時にアイスショーを見たのがきっかけで、フィギュアスケートを始めた。同学年で平昌オリンピック4位の宮原知子らと切磋琢磨(せっさたくま)し、国際大会に出場する選手に成長した。しかし、中学1年時に「大腿(だいたい)骨頭すべり症」を発症し、競技から一時離れた。

手術後はリハビリに励み、約2年間のブランクをへて本格的に競技復帰した。2013、2014年の全日本選手権で8位入賞、2015年GPシリーズNHK杯では浅田真央さん、宮原知子さんと一緒に出場し10位と健闘した。

輝かしい成績とは裏腹に、この頃の木原は精神的に追い詰められていた。京都府内有数の進学校である同志社高校に通いながら、競技でトップレベルを目指すのは簡単ではなかった。平日は早朝に練習し、遅れて登校。早退して夕方からまた練習。帰宅後は深夜まで家庭教師をつけて勉強。大会が重なり、学校行事にも参加できなかった。

「生活がしんどかった。スケートから離れたくて仕方なかった」。学校にもリンクにも自分の居場所を見つけることができず、苦しんだ。

「先のことを決めておきたい性格」という木原は、「大学の2年間だけ頑張る」と心に決め、引退を決断した。両親にも背中を押してもらい、同志社大学に入学してまもなく、休学してカナダに渡った。

カナダでお世話になった振付師のジュリー・マルコットは憧れの存在だ

カナダでコーチたちに支えられた

環境を変えるために海外拠点を選んだ。実際、日本とは違う指導を受けることができた。メインコーチのブルーノ・マルコット以外に、4人のサブコーチがいて、「もっと元気だして」「もっと自信持って」と、毎日のように木原を励ましてくれた。「すごくネガティブになっていた私の気持ちを奮い立たせてくれました」と、当時を振り返る。

とくにかけがえのない存在だったのが、振付師のジュリー・マルコットだった。

週4、5日はリンクで顔を合わせ、プログラムをブラッシュアップした。情熱的な指導で、彼女と過ごす時間はとても楽しく、精神面にも支えてもらった。

「いつか振り付けをしてみたい」

引退の1年くらい前から、そんな気持ちが芽生えていた。

2017年1~2月にカザフスタンで開催されたユニバーシアード(現ユニバーシティゲームズ)で7位入賞を果たし、ラストとなった同年12月の全日本は、ジュリーが会場で見守る中で、総合15位に入った。翌年1月の国体も3位で、悔いなく大会を終えた。そのシーズンのショートプログラム(SP)「Creep」は特に印象に残っている。洋楽を使った斬新な振り付けは周りからも好評だった。

4月の京都フィギュアスケートフェスティバルでエキシビション演技を披露し、現役を引退した。

2017年12月、ラストの全日本選手権で観客に笑顔を見せた(撮影・朝日新聞社)

「もう戻れなくなるよ」と言われ……

引退後はスケートに関わらない予定だった。だが、ある一言がきっかけで気持ちが変わった。

お世話になった人たちにあいさつ回りをする中で、スケート用品店「小杉スケート」の田山裕士さんに「(将来)振り付けもしたいけど」と、こぼした。

すると、田山さんから「(スケートから)1回離れたらもう戻れなくなるよ」と諭された。

「今離れてしまったら、その道行けなくなると思って。その一言で振り付けの仕事をすぐ始めようと思いました」

木原は早速、名古屋にいる小塚幸子コーチのもとで勉強を始めた。小塚コーチが指導する竹内すい(大同大学)のフリー「ロミオとジュリエット」など、数人の振り付けを担当した。ジュリーにも動画を送ってアドバイスをもらった。

実際、自分が振り付けたプログラムを大会で見ると、うれしい気持ちより、「全然ダメだ」と感じることが多かった。「氷全体の使い方やジャンプ間のつなぎなど、もうちょっとこうすれば良かった、次はもっとこうしたい、と思いました」

インスタグラムなどに上がっている演技動画を見て、気になった振り付けは保存し、アイデアを蓄積している。

気になった動きは繰り返し映像を見て研究する。「例えばシェイリーン・ボーンの振り付けはすごく激しくてダイナミック、かつ、足のステップは繊細。私にはまだよく分からない領域です。彼女みたいな振り付けをいつかしたいなって思います。昨シーズンだと、樋口美穂子コーチが振り付けた河辺愛菜選手のSP『ビリー・アイリッシュメドレー』も独特で好きです」

表現の勉強として劇場にも足を運ぶ。劇団四季とブロードウェーミュージカルは数えきれないほど見たという。

「ひと味違うな、という振り付けに憧れますね。『おっ』と思ったプログラムの振付師を見たら木原万莉子だったというのを目指したいです」

選手との会話を大事にしながらプログラムを仕上げていく

女性アスリートの三主徴を研究

現在、スポーツ健康科学研究科修士2年で、女性アスリートの三主徴(利用可能エネルギー不足、運動性無月経、骨粗鬆症)について研究している。フィギュアスケート選手に協力してもらいながら、1シーズンの体の変化のデータ化を試みている。

「私は現役時代、体調管理や食事面、精神面の悩みが重なり、本当につらい思いをしました。そして、周りにも声を出せない人がたくさんいるのを目の当たりにしてきました。フィギュアスケートの論文も少なく、その深刻さがあまり表に出てきていない部分があると感じています」

木原によると、フィギュアスケート選手は体重が0.5kg増えるだけで、ジャンプの感覚が変わるという。「私もシーズンオフとインで体重が4kgも変わっていました。シーズンに入る頃に断食とかして無理やりやせるみたいな。そうすると体調面や精神面にも影響が出てきます」

そして一番の課題と考えているのが、選手や家族、指導者たちの、女性アスリートの身体に関する知識不足だ。

「自分が太ってるからジャンプを跳べないんだ、やせないと、と思ってダイエットするんです。でも知識を入れて、上手にやせる、やせなくても健康的に減量できたんじゃないかなと、今勉強しながら思います」

研究を通して、女性アスリートの健康管理面に関する課題解決に少しでもつながればと考えている。

昔から表現することが好きだった木原。今は振付師の道を邁進(まいしん)している

「スケートが楽しくなるような振り付けを」

振付師になって6年。小学生から大学生を中心に年間30~40人を担当している。これまでに手がけた作品数は100を超える。

「やりがいはすごく感じています。自分でも天職じゃないかなっていうぐらい」とほほえむ。

仕事の難しさを感じることもある。「選手によって得意不得意、好き嫌いがあります。その中でどれだけその選手の個性を伸ばすかというのは、本当に難しいと日々感じています」

木原が大事にしているのは、かつてジュリーがそうしてくれたように、選手と会話をしながらプログラムを仕上げていくことだ。コミュニケーションをとる中で心を開いてくれる選手もいる。

「『先生に振り付けをしてもらって本当に良かったです』『先生のおかげで点数が上がりました』と、言っていただけたときは、本当に嬉しいです。私も一人でも多くの方にそう思ってもらえるような振り付けを提供していきたいです。そして、スケートが楽しくなるような振り付けができたらいいな、というのが一番の目標です」

競技を引退し、セカンドキャリアで「天職」と思える道を見つけた木原。その目は輝いていた。

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