ラグビー 千葉から天理へ来た努力の男
ディフェンディングチャンピオンが実力を見せつけた。関西Aリーグの前半戦の注目カード、3連覇を狙う天理大と春から調子が良かった同志社大の一戦。序盤は同志社のペースで進むが、セットプレーとディフェンスで上回る天理大が徐々に流れをつかみ、前半20分以降は一方的な展開になった。終わってみれば前半3トライ、後半6トライの計9トライの天理大が59-0で大勝した。
花園に行けなかった悔しさから
天理大が同志社を完封するのは、同志社出身で天理大を率いる小松節夫監督が「記憶にない」と話した通り、関西Aリーグが1964年に現在の8チーム制になってから初めてのことだった。今年の春と夏、昨年度の大学選手権で準優勝した明治に勝った実力は本物だった。年々、悲願の大学日本一への距離を詰めてきた天理の強さが証明された。
その天理のスクラム、ラインアウトといったセットプレーの強さを支えるひとりが、左PRの加藤滉紫(こうし、4年、専大松戸)だ。身長172cm、体重99kgと、PRとしては決して恵まれた体ではない。それでも「スクラムは強い」と小松監督の信頼を得て、ようやく今年から1番を背負って先発出場を続けている。
加藤は天理大の150人を超す部員の中で、唯一の千葉県出身。奈良にある天理大は8割方、付属の天理高をはじめ近畿地方の高校出身者で固められており、関東出身選手すら珍しい。加藤は小学1年のとき、友だちに誘われて「松戸ラグビースクール」で競技を始めた。「小さいころから太ってて、ずっとFWでした」と笑う。中学では学校の駅伝部と掛け持ちでラグビーを続け、専大松戸高に進学。No.8で活躍したが、花園をかけた県予選決勝では流通経済大柏高に敗れて涙した。
花園に行けなかった悔しさもあり、加藤は「大学では強いチームでやりたい」と決心した。しかし、なぜ天理を選んだのか。かつて高校の先輩がひとりだけ進学していたこと、教職を取れる環境にあること、祖母が天理教徒で天理という土地に縁を感じていたこと。一番大きかったのは、レフリーも務める専大松戸の町田裕一監督から「体が小さくても使ってくれるのは天理大」と聞いていたこと。遠く故郷を離れ、天理で4年間を過ごすと決めた。
大学に入ったころは「自分は花園に出られなかった」という負い目とともに反骨心もあって頑張ったが、強豪の天理は無名の1回生が公式戦に出られるほど甘くなかった。1回生が終わるころ、「もうバックローでは試合に出られない。どうしたら試合に使ってもらえるのか」と考えた加藤は、PRへの転向を決める。すぐに「どうしたらスクラムが強くなるんですか」と明治出身の福田明久スクラムコーチに相談した。「肩車スクワットと基本姿勢をやれ」とのアドバイスを受けた。加藤はこれにすがる。来る日も来る日も、そのふたつをやり続けた。
打倒帝京へセットプレー強化
PRとして生きていくための努力の結果、加藤は3回生からリザーブとして関西Aリーグの試合に出場できるようになった。「チームから認められるようになり、少しずつ信頼を得ていきました」。トレーニングを重ね、栄養のことも考えて食べ、入学当初85kgだった体重は、100kg手前まで達した。
昨年も大学選手権の優勝候補の一角だった天理大は、関西Aリーグ終了から1カ月ほど経った初戦の準々決勝で東海大と対戦し、7-33。まさかの完敗だった。その経験から加藤は「関西Aリーグも楽じゃないですけど、終わったあとの1カ月を大事にして、どれだけレベルを上げられるかが鍵です」と前を見据える。
夏合宿中の8月23日、天理は大学選手権10連覇をうかがう帝京に12-14で負けた。この一戦が天理の選手たちの中に高いスタンダードを植え付けた。同志社戦を終えた加藤は「高いレベルでやれてますけど、まだまだ足りないです。帝京とはブレイクダウンに差がある」と、天理の現在地を冷静に語った。
自衛隊に務める加藤の父はロックユニット「B'z」のファン。とくに稲葉浩志(こうし)が好きで、息子に滉紫(こうし)と名付けた。「セットプレーが帝京に追いついていけば、勝てるという自信がついてくる」。千葉から天理へやってきた努力の男は「打倒帝京」を胸に、強いスクラムを追い求めていく。