強豪へ、駆け上がれ 大東大・青葉元監督
今年11月4日、全日本大学駅伝(日本学生陸上競技連合、朝日新聞社、テレビ朝日、メ~テレ主催)は第50回の節目を迎える。大会史の序盤に4連覇(第4~7回)を飾った大東大は出場42回で通算7度の優勝。ライトグリーンとオレンジのユニホームは、伊勢路に大きな足跡を残した。大会が始まる2シーズン前に強化を始めたばかりで、新興チーム強化の初期の成功例だろう。青年監督として就任し、育て上げた青葉昌幸・元監督(75)に、半世紀の道のりなどを聞いた。
無名の選手 探し育て初優勝
――大東大は第1回大会に出場しました。当時、箱根駅伝が終わった後の3月開催で、関東勢は出場を見送る大学が多かったのですが、なぜですか。
「新興チームでしたので、積極的にいろんなものにチャレンジしようとしていました。そこに全日本大学駅伝ができたので、飛びつきました。駅伝を強化し始めて2年目だった大学の監督に就任し、その翌シーズンのことです」
――全日本の第4回大会で初優勝。順調でしたね。
「いや、最初は大変でした。インターハイで優勝した選手に声をかけても、どんな大学ですか、と言われてしまう。足の筋力や形を見たり、顔が小さかったりする無名の選手を、自分の目で探して育てました。走るのが速い動物は顔が小さいじゃないですか。それが案外うまくいった。箱根の復路で優勝して、その年の全日本で優勝しました」
――初優勝の翌年度、後に箱根5区の山上りで4年連続区間賞となる大久保初男選手が入学。箱根で初優勝から2連覇、全日本4連覇と黄金期を迎えました。
「大久保が東北高校(宮城)3年の時、青森東京駅伝に出場したら、自分より速く坂を上っていく選手がいた。それが大東大の選手だったんです。大久保はほかの大学へ進む話があったのですが、それをきっかけに本人が来ることを決めたそうです。高校生に、こういう選手と練習したい、と思ってもらえたんですね」
勝つことで世界が変わった
――全日本で第22回大会までに7度優勝、箱根は総合優勝4度。常に上位争いをし、強豪の地位を固めました。
「勝つことで世界が変わりました。選手たちのモチベーションが高くなり、チームの雰囲気が変わりました。駅伝は、大学が創立50周年に向けてキャンパス内に明るい活気のあるニュースを、と、ラグビーとともに力を入れ始めたと聞いています」
――勝たなければ、という重圧はありましたか。
「まったくありませんでした。就任した時は25歳。そんな若いヤツが生意気なことは言えませんから。ただ、駅伝やラグビーが活躍して、受験者数が増えたと大学の方たちに喜んでもらったこともあります」
――最近は大学駅伝人気の高まりに少子化もあり、大学のPR、ブランド構築を狙って駅伝の強化をする大学もあるようです。その先駆けですね。
「大東大の場合は強くなって、その結果、大学の知名度アップにつながりました。短距離や跳躍などを含めた陸上競技部の長距離部門の練習の一環として取り組んできました。最近、長距離に特化した『駅伝部』ができていますが、それとは違いますね」
――半世紀を迎える全日本へのメッセージを。
「かつては福岡大や京産大が優勝していましたが、今は関東勢が上位を占めてしまい、『全日本』じゃない感じです。打倒関東で、特に地元東海地区の大学が優勝すれば一気に盛り上がりますよ。できないことはないので、本当に情熱を持ってやってほしいですね」
※本記事は朝日新聞2018月1月30日付朝刊より転載