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野球 東洋大の中川圭太、「最後のPL戦士」と呼ばれて

オリックスから7巡目で指名され、ガッツポーズする中川

「とりあえずホッとした」

10月25日のプロ野球ドラフト会議当日。東洋大主将で内野手の中川圭太(4年、PL学園)は、終始真剣な眼差しで中継モニターを見つめていた。

6巡目の指名が終わっても、自分の名前は呼ばれない。7巡目に入ると、指名を終える球団も出てきた。4年前と同じ「指名漏れ」が頭をよぎる。「お願いします!」。中川は心の中で何度も何度も叫んだ。

そしてついに、待ちわびていた言葉が耳に飛び込んできた。「第7巡選択希望選手 オリックス 中川圭太」。その瞬間、中川のいた選手控室の張り詰めた空気は一瞬にして緩み、中川の表情もほころんだ。「とりあえずホッとした」。実感のこもった第一声だった。一緒に指名を待っていた仲間には「信じて待ってくれてたので、本当に感謝です」と言った。そして「親や応援してくださってる方々、熱心に指導してくださった方々には本当に感謝の気持ちでいっぱいです」と続けた。

母校PL学園高の硬式野球部は、2016年夏の大阪大会敗退を最後に休部となった。中川はPLから最後にプロ入りする選手となる可能性があり、「最後のPL戦士」誕生か、と話題になってきた。その点については「上の世界でも、PL学園の名を消さないようにしたいです。復活することを願って、まずは自分がしっかりとやっていきたいです」と力強く語った。

まさかの監督不在・・・・・・

波瀾万丈の野球人生だ。

中川は小学1年から白球を追っている。中学3年のときには、第15回AAA世界野球選手権に日本代表の一員として出場し、3位の結果に貢献した。そして高校は、春夏の甲子園で計7度の優勝を誇る名門PLへ進む。早くも1年秋からレギュラーを獲得すると、秋の大阪大会5試合で4本塁打、14打点。一躍注目を集める存在となった。

しかし、中川が2年生になったばかりの春に部内の暴力事件が発覚。6か月の対外試合禁止処分が下った。当時の監督が辞任し、夏の大会にも出場できなくなった。野球をしたことのない校長が監督としてやってきた。中川は「想像もしてなかったです。監督がいないような状態でプレーすることに、不安もありました」と振り返る。

それでも、やるしかない。何度もチームメートと話し合いを重ね、新チーム発足時には部員全員の投票により、中川が主将になった。作戦をすべて考え、指示も自分たちで出し合う。実質的な監督不在の状況で、選手の交代など試合中の判断は中川が担った。4番として打線を引っ張った。経験のしたことのない事態の連続だったが、必死にプレーし続けた。高3夏の大阪大会。仲間たちと考え抜いた「1点を積み重ね、守る野球」を体現し、決勝まで駒を進めた。

決勝の相手は、その夏全国制覇をすることになる大阪桐蔭だった。1-9で敗れた。4番セカンド中川は3打数無安打、1失策。「甲子園には出られなかったですけど、流れや先を読んだ野球、考える力が身につきました。考えて野球をすることの意味が分かりました」と、収穫もあった。プロ志望届を出したが、ドラフトでの指名はなかった。周囲の人に東洋大を勧められた。「環境がよくて、レベルの高い野球をしてるって聞きました」。自分を磨こう、と東洋大進学を決めた。

1年生からスタメンに名を連ね、4年間公式戦に出場し続けた中川 (撮影 松嵜未来)

背中で引っ張る主将の覚悟

首脳陣の期待を一身に背負い、大学でも1年生からスタメンに名を連ねた。公式戦デビューは19歳の誕生日だった4月12日。「インコースをどん詰まりして、バントみたいなセカンドゴロでした」と、初打席を鮮明に覚えている。中川が「一番緊張感があったシーズンだった」と振り返ったのは1年秋。エース原樹理(現ヤクルト)を擁した東洋大は2部で優勝を果たすと、入れ替え戦も勝利し、7季ぶりに1部へ復帰した。

2年生になり、1部復帰後の2シーズンはともに最終週まで優勝争いに絡むも、あと一歩で頂点を逃してきた。悔しさを胸に戦った3年目のシーズン、春には初戦の中大に2連敗するも、怒涛の8連勝でついに12シーズンぶり17度目の1部優勝。高橋昭雄監督の最後のシーズンとなった秋も頂点に輝いた。

4年生になり、主将に指名された。そして杉本泰彦新監督のもと、春は3連覇を達成。だが、夏の取材では「なんとか引っ張っていきたいという気持ちではやってるんですけど……。なかなか難しいというか、できないことが多いです」と明かした。中川は自他共に認める口下手で、背中でチームを引っ張るタイプの主将。インタビューやテレビ取材では流暢な受け答えを見せても、「ミーティングなんかでも何を話したらいいのか分からなくなって、うまく伝えられないことが多いです」と語る。だが、常にチームをどうしたらまとめられるか、引っ張っていけるかを考えているのが伝わってきた。いつでも全力で主将の役割をまっとうしていた。そして何より、この4年間公式戦へ出場し続けてきたことで、さまざまなタイプのピッチャーと対戦でき、引き出しが増えた。中川の売りである勝負強いバッティングに、磨きがかかった。

「プロで野球することが目標ではない」。中川が常に言ってきた言葉である。指名後の会見では「打率、打点にこだわって、プロでも勝負強いバッティングを見せたい」と意気込んだ。「最後のPL戦士」が、やっと夢をかなえるためのスタートラインに立った。

「プロでも勝負強いバッティングを見せたい」と語った中川

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