早大・小島和哉、仲間とつかんだ野球人生最高の試合
2018年10月29日。小島和哉(おじま、4年、浦和学院)が率いる早大野球部の一年は、笑顔と涙で幕を閉じた。9回表、敗北寸前まで追い込まれた状況からの逆転劇。奇跡のようにも聞こえるが、そのシナリオは小島と仲間が歩んだ一年をたたえる必然だったと思う。
リーグ戦最下位だったチームを鼓舞
昨秋、早大は70年ぶりのリーグ戦最下位という屈辱を味わった。再建に向け主将を任されたのが、小島だった。昨秋は自身も好結果を残せず、一度は主将就任の打診を断ったが、勝利への執念が募る不安を上回った。「チームを勝たせたい。悪い雰囲気を変えるんだ」。強い決意を胸に一年が始まった。
まず誓ったのは、同期の仲間との協力だ。主力は下級生中心になることが予想されていたが、4年生主体のチームを作り上げるため、改革に手をつけた。初めに部の組織図を作成し、一人ひとりの役割を可視化。その上で練習方針やメニューを決める。投手と野手では練習メニューが異なるため、小島一人ですべてを見るのは難しい。そこで「3人でキャプテン」という意識の下、岸本朋也(4年、関大北陽)、黒岩駿(4年、長野日大)の副将2人を全面的に信頼。野手の練習は任せながらも、連携は密に取り合った。また、小島自身もスタッフの力を借りながら投手陣を先導。後輩にも率先して声をかけ、一体感のあるチームを目指した。
努力は徐々に実を結ぶ。春季リーグ戦では苦戦が続いたが、慶大2回戦を境に状況が変わる。1回戦の敗戦後、小島が連投を志願したのだ。決死の登板に、チームメートが奮起。2回戦は大勝、3回戦は1-0で延長戦を制し、勝ち点を奪った。自信を手に迎えた夏。小島は大学日本代表の遠征でチームを離れたが、ほかの4年生を中心に鍛錬を重ねた。勝負の秋。開幕カードこそ落としたが、負ければ終わりの状況を何度も切り抜け、優勝の可能性を残して早慶戦を迎えた。
10月中旬。大一番を前に心境を尋ねた。「キャプテンという変な重荷は背負ってないんです」。当初は就任の打診を断るほど、不安の大きかった役割だ。しかし、「岸本と黒岩がいてくれたから、キャプテンをできてると思います」。仲間とともに戦ってきた小島に、もう重圧はなかった。だからこそ、最後は自らの投球でチームを優勝に導きたい。シナリオは完ぺきなはずだった。
けがをおして最後の舞台へ
アクシデントは突如訪れた。1回戦の試合前に右足首をねんざ。痛みを押して先発するも、7回3失点で敗戦投手になり、優勝の夢ははかなく散った。「本当に申し訳ない気持ちしかない」。そのひとことを残し、帰りのバスに乗り込んだ。翌日は歩くのもままならないほど。後輩たちにマウンドを託し、ベンチでもり立て役に徹した。試合は一度勝ち越されたものの、6回に5点を挙げて逆転勝利。早慶戦での勝ち点奪取の道は残された。
運命の3回戦。登板できる程度には回復したが、先発ができるまでには至らなかった。西垣雅矢(1年、報徳学園)に大役を委ね、救援に向けて準備した。ほかの投手陣のケアも欠かさない。4回には登板直前の増田圭佑(4年、江戸川取手)にブルペンで声をかけ、今シーズン初のマウンドへ送り出した。自身の出番が訪れたのは、2点ビハインドの6回。万全ではなかったが、2回無失点で切り抜けた。
チームは8回に1点を返し、1点差で9回表を迎える。小島はベンチの最前列にいた。先頭打者はこの日1番に抜てきされた黒岩。打球はセンターの頭を越し、二塁打に。小島は真っ先にこぶしを突き上げた。その後1死二、三塁とすると、加藤雅樹(3年、早稲田実)の犠牲フライで同点。ナインが歓喜に沸く中、小島は冷静だった。
同点のホームインを見届けるとブルペンへ移動。登板を待つ今西拓弥(2年、広陵)に声をかけ、ベンチへ戻ってきたときだった。5番岸本の打球がショートのグラブをはじく。二塁走者が生還し、勝ち越しに成功した。その瞬間、小島もベンチを飛び出してガッツポーズ。ベンチでしばらく下を向いたあと、そっと涙をぬぐった。9回裏は今西が3人でぴしゃり。小島ワセダのラストゲームは、涙と笑顔の逆転劇で幕を閉じた。
主将としてチームをけん引し続けた小島。主務として支えた高橋朋玄(4年、磐城)は、早慶戦前の取材に、こう答えてくれていた。「小島は偉大なエースであり、チームを背負い、結果を出し続ける偉大な主将です。個人としてもチームとしても、最高のかたちで大学野球生活をまっとうしてほしい」
優勝はできなかった。大一番を前に負ったけがは、悔やんでも悔みきれなかっただろう。それでも、最後まで勝利のためにブルペンとベンチを往復する小島の姿、それに応えるように躍動した選手たちの姿は、この一年の早大野球部を象徴していた。仲間とつかんだ最後の勝利。小島はこう言いきった。「野球人生の中で最高の試合でした」