東海大前主将の湊谷、マラソンともう一つの夢へ
2月17日に開催された熊日30キロロードレースで、2018-19年に東海大の主将を務めた湊谷春紀(みなとや、4年、秋田工)が3位に入った。1時間30分0秒のタイムに、東海大の両角速(もろずみ・はやし)監督は「箱根の初優勝から慌ただしい時間が続くなかで、よく頑張った」と称賛していた。
マラソンにつながるレース
優勝した駒澤大4年の片西景(昭和第一学園)とは26秒差だった。片西と2位の吉田圭太(青山学院大2年、世羅)に先を越されたことには素直に「悔しい」と口にしたが、「今後につながるいい材料になったレースでした」と言ったように、ある程度の満足感はある。
レース前に口にしていた目標は1km3分ペースで押すこと。理想のペースで走れた。両角監督は箱根駅伝の前から湊谷に対し「(熊日30キロは)今後マラソンを走るために、ハーフ以上の距離を走る大事なレース」と話していたという。それだけに湊谷は「学生気分を抜いて、実業団の選手に胸を借りるつもりで走りました」と気合いを入れて臨んだ。実業団の選手に勝てた事実は、ひとつの自信になっただろう。
今春からは実業団の横浜DeNAランニングクラブに所属して本格的により長い距離に挑戦する。「もう一度基礎からつくり直して、これから走るすべての種目において自己ベストを更新したいと思ってます」。いま湊谷の口から出てくる言葉には、強さがある。DeNAは昨年10月に駅伝からの撤退を発表。「マラソンに集中できる環境だと思ってます」と、湊谷に迷いはない。
苦しかった4年間
東海大では最後の箱根駅伝で初優勝を果たし、有終の美を飾った。だが湊谷自身、この4年間の走りは決して満足できるものではなかった。秋田工業高から東海大に進学した湊谷は、早くも1年生で学生三大駅伝を経験したが、初めての箱根では区間16位に沈んだ。そして2年のときに出場したのは出雲のみ。けがと長いリハビリに悩まされた。
3年の10月にあった札幌ハーフで優勝し、11月の全日本でも区間2位。ただ主将として迎えた昨年の全日本では青山学院大4年の森田歩希(ほまれ、竜ヶ崎第一)との主将対決に完敗した。7区のトップでたすきを受けた湊谷だったが、11秒後に駆けだした森田に抜かれ、1分58秒もの差をつけてアンカーにつながれた。青学に学生駅伝2冠目を許した。最後の箱根では9区で区間2位の快走をみせて初の総合優勝に貢献したが、「チームメイトが力を貸してくれた優勝」と、あくまでも謙虚だ。
「大学の4年間は本当に苦しかったです。結果もなかなか出せなくて、けがも多くて、思うようにいかないことが多かった」。主将として走った最後の1年も葛藤があった。「キャプテンはチームに言葉をかける機会が多い立場ですけど、結果を出してない人間の言葉は浸透しない。みんなに言葉が届かないんじゃないか……」と思っていた。しかし、そんなことはなかったのではないか。口数はそう多くはないが、落ち着いたトーンで静かに語る湊谷の言葉には、実直さがあふれている。
次期主将の館澤亨次(3年、埼玉栄)にかけたという言葉にも、湊谷のキャラクターがにじみ出ている。「館澤の世代は力があって頼もしいけど、その下の世代にはまだくすぶってる選手も多いから、面倒をちゃんとみて、しっかり導いてほしい」
大学時代の苦しさを持って実業団の世界に入るだけに「長い距離、ロードにはこだわります」と、さらなる長距離にかける思いには並々ならぬものがある。そして将来走りきったと思えたら、もう一つの夢の実現へも向かいたいと考えている。次世代の子どもたちに、自分が陸上競技から教わり、受け取ってきたものを伝えることだ。大学の教育実習で母校・秋田工業高を訪れたときに生徒からも先生からも夢をもらった。「実習生として本当にお世話になって。自分も先生になって生徒に教えたり新しい先生を育てたりすることは、本当に素敵だなと思ってます」
ひとりのランナーの4years.は、マラソンへ、そしてその先へと続いていく。