関学アメフト部の集まる「とんきん」こと東京庵 「むしてい、はんから、しるぬき」
関西学院大学上ケ原キャンパス(兵庫県西宮市)の学生会館新館1階に「東京庵」はある。正式には「とうきょうあん」だが、学生からは「とんきん」と親しまれ、大学職員や関係者も含めた大勢の胃袋を満たしてきた。お昼どきには店の外に長い列ができるほどだ。12月1日に甲子園ボウル出場をかけて立命館大との西日本代表決定戦に臨むアメリカンフットボール部ファイターズの選手たちの姿も、必ず毎日そこにある。
関学の中にある最古の店?
「いらっしゃい!」。店に入ると、ホールを担当する3代目店主の中口みどりさんが笑顔で出迎えてくれる。義理の母にあたり「女将(おかみ)さん」と呼ばれる2代目の中口淳子さんと従業員5人の総勢7人で営む。みどりさんは「よくとり上げてもらうのよ」と言って、古い新聞の切り抜きを取り出し、とんきんの歴史を教えてくれた。はっきりとした創業年は不明だが、関学が原田の森(現・王子公園)にあったころまでさかのぼる。関学の前にあった「東京庵」というお店を買い取り、そのままの店名で創業。1929年に関学が上ヶ原へ引っ越したのと同時に、関学の中に移転した。1978年に大学内で発生した火災により東京庵も焼失。それを機に学外の西宮市上ヶ原六番町に移転した。その店舗はいまも営業していて「そとんきん」と呼ばれている。学生会館新館が完成した1984年に学内での営業を再開。東京庵は関学内にある最古の店といえる。
うどん、そば、どんぶりは、創業当初から守り続けているメニューだ。みどりさんは「こないだ、ホームカミングデー(同窓会総会)で、ご年配の卒業生が懐かしんで食べてくださってましたよ」と話す。主力メニューは定食で、定番は15種類。定食はメインにライス、味噌汁、漬物がついて545〜850円(価格はすべて税込)と良心的な価格設定だ。一番人気は「からねぎ定食」(710円)。「からあげ定食」(690円)にネギソースを加えた。唐揚げをそのまま食べてもおいしいが、ネギソースが加わると、さらに食欲がそそられる。ライスにネギソースが染み込んだ唐揚げをバウンドさせて食べる。これが、たまらなくおいしい。
少しでも安く、の優しさで注文バリエーションは無数
小鉢は8種類あり、すべて75円。「きんぴらごぼう」や「ひじき」「ピリ辛こんにゃく」が人気だ。女将さんのお姉さんのお手製で、まさに家庭の味。期間限定メニューもあり、夏は「冷しゃぶサラダ」や「キーマカレー」に「冷麺」。冬は「すき焼き定食」や「キムチスープ(うどん、そばを入れてもよし)」といったメニューを提供している。定食メニューでつくるお弁当もあり、昼休みに部のミーティングがある体育会学生たちが買っていく。
注文の仕方が独特で、初めての人は戸惑うかもしれない。たとえば「むしてい、はんから、しるぬき、しばづけ」。呪文のような言葉が店内では飛びかっている。「むしてい」とは「蒸し鶏定食」(570円)のこと。「はんから」の「から」は辛さのレベルではない。お店の看板メニューである唐揚げのことだ。「半から」(160円)と頼めば、通常6個の唐揚げを3個にして出してくれる。同じように「1から」(54円)「2から」(108円)の注文も唐揚げ1個、2個という意味だ。「しるぬき」(30円引き)は定食の味噌汁抜きのことで、「しるたま」(75円増し)なら味噌汁玉子入り。「しばづけ」はイメージしやすいだろうか。定食に添えてある漬物は通常はたくあんだが、しば漬けに変更できるのだ。さらには「生姜(しょうが)焼き1枚」(105円)や「冷しゃぶ1枚」(35円)といった注文もできる。ここまで融通のきく店も珍しい。みどりさんに、そのあたりを聞いてみた。
「うちは、レジも古くからのものを使ってるし、注文の取り方も紙に手書き。何もかもアナログです。それには、お客さんのいろんなニーズに応えたいという思いがあります。学生さんが限られた手持ちのお金で、ちょっとでも安くなるように『汁抜き』ができる。栄養バランスを考えられるように、小鉢をつけられるようにもしています。あとは、体育会の子たちからのリクエストが多くて、応えていったら勝手に増えていったのよ(笑)」
京大が台頭してくると、ファイターズのために夜中のお参り
みどりさんは体育会学生の顔と名前を覚え、選手たちとの何気ない会話を大事にしている。お会計のちょっとした時間にひとこと。「今週の試合、頑張って」「残念やったね」。この言葉が学生アスリートの励みになる。「選手やスタッフ、立場はそれぞれ違うかもしれないけど、自分の持ち場で元気に活躍してほしい。気持ちはお母さんです」
1941年創部のアメフト部ファイターズとは、長らくつながりがある。店内には学生たちが4回生のシーズンを終えたあと、その代ごとに記した寄せ書きが飾られ、ファイターズが甲子園ボウルで優勝したときの新聞記事が張ってあるコーナーもある。古い写真パネルの中には小野宏ディレクターがQB(クオーターバック)だった1981年の写真もあった。「女将さん」の淳子さんは、ファイターズの歩みを間近で見てきた人であり、これまで支えてきた。「昔、京大が強い時代があったの。それで甲山(かぶとやま、甲山大師と呼ばれる神呪寺)へ夜11時や12時ごろに階段を上げってお参りしてたんよ。人影があると思ったら、堀ちゃんも来ててねぇ」と懐かしんだ。「堀ちゃん」とは現在ディフェンスのLB(ラインバッカー)とDL(ディフェンスライン)担当の堀口直親コーチ(87年卒、現在は大学職員)のことだ。淳子さんもいまは足腰が弱ったこともあり、お参りには行けていない。だが、毎年欠かさないのが立命戦前のバナナの差し入れ。ちょうど取材に行った11月頭にバナナの注文をしていた。
決まって「豚生姜焼き定食」の“鳥内君”
淳子さんは、今シーズン限りで退任を表明している鳥内秀晃監督(61)のことも学生時代からよく知っている。「鳥内君? そらもう、やんちゃな子やったね〜」と、笑顔で言った。学生時代はあまり東京庵に来ることはなかったそうだが、いまは週に2、3回ほど食べに来る。いつも決まって食べるのが「豚生姜焼き定食」(750円)。この日も鳥内監督は午前11時すぎにやって来た。席に着くと新聞を手に取り、じっくり目を通した。この日は、お決まりの「豚生姜焼き定食」ではなく、初めてオーダーするという「焼肉定食」(840円)。監督のお皿には、通常の焼肉定食にはないおかずが添えられていた。淳子さんに聞くと「鳥内君は特別。だし巻き半分、大好きなコロッケと、それに小鉢。あとは玉子入りの味噌汁」と教えてくれた。鳥内監督は「40年の付き合いになるんかな。サービスや言うて、ようさんつけてくる。選手ちゃうのに……」とボヤきつつ、しっかり平らげて監督室に戻っていった。
40年の付き合いともなると、言わなくても分かることがある。淳子さんは言う。「写真を持ってきてくれたり、イヤーブックを持ってきてくれたり。彼なりに気にかけてくれるところがあるんやねぇ」。1992年の監督就任から28年目。今シーズンで監督を勇退する「鳥内君」の思いやりを感じている。「いつも通り立命に勝って、甲子園に出て優勝してくれることが一番ええんちゃう? 長いことやってきたけど、勝つことを宿命づけられたチームの監督はしんどいと思うわ。勝つことが選手もうれしいし、鳥内君も喜ぶやろなぁ」
いつの時代も東京庵のあったかい料理は、関学に関わるみんなの力の源だった。2019年最大の決戦に臨むファイターズの部員たちにとっても活力だ。勝負師の鳥内監督にとっては、ホッと一息つける場所でもあった。東京庵は、これからも関学に寄り添っていく。