「軽食・喫茶 クラレット」は筑波大出身者が「ただいま」と言える場所
「軽食・喫茶 CLARET(クラレット)」は筑波大学の真ん中にある。キャンパスの南地区と中地区の境となる平塚通りに面していて、宮下友邦(ともくに)さん(81)と民子(たみこ)さん(79)の夫婦で営んでいる。「軽食って言ってるけどさ、思いっきり“重食”よね」と店名にツッコむ民子さんの笑顔が、いい。
業界の超有名人も“○○ちゃん”と呼ぶ仲
知り合いの筑波大の学生に「クラレットって知ってる?」と尋ねてみた。すると「あの蹴球部の?」という言葉が返ってきた。確かに昭和53(1978)年創業早々に訪れた“一期生”は、現在、日本サッカー協会会長を務める田嶋幸三さんら筑波大蹴球部の学生が多かったそうだが、「蹴球部だけじゃないよ。えこひいきしたくない。い~っぱい来てくれるんだから」と民子さん。
「例えば」と言って出てくる名前が、まあすごい。「陸上の尾縣貢(おがた・みつぎ)さんって分かる? “みつぎちゃん”って呼ぶ仲でね、一緒にゴルフに行っては教えてあげたものよ」。筑波大時代から十種競技の国内トップ選手として活躍していた尾縣さんも、クラレットに通った一人。現在は日本陸連の専務理事であり、JOC常務理事兼選手強化本部長として東京オリンピックの総監督を担っている。また、尾縣さんは筑波大陸上部の部長でもあり、副部長の大山圭悟さん、監督の谷川聡さんもクラレットの常連だ。
さらに「この前、早田ひなちゃんが来てくれて、『写真撮ってもらえますか?』って声かけてくれたのよ」とも。卓球の全日本選手権女子シングルスで初優勝したばかりの早田を指導する石田大輔コーチも、筑波大時代にクラレットに足繁く通っていた。学生時代には「頑張っても頑張っても、大事なときにいい結果が出ない」と愚痴をこぼすこともあったという。そんなとき、民子さんは「いままで宝を積んできたんだよ。必ず運がくるから頑張ろう!」と励まして送り出した。指導者になった“大ちゃん”の活躍はもちろん、クラレットの二人にとって、この上ない喜びだ。
こんなエピソードもある。平昌オリンピックのスピードスケート女子500m金メダリスト小平奈緒のコーチとして知られている結城匡啓(まさひろ)さんも、筑波大時代、クラレットの常連だった。結城さんが学生だったある夏、地元の北海道で自転車トレーニングを敢行。それを聞いた友邦さんは、「着いたらちゃんと連絡しなさい」と結城さんに言い、おにぎりや鶏の唐揚げなどを詰めたお弁当とともに、公衆電話用にたくさんの10円玉を手渡した。筑波大に戻ってきた結城さんが「重くてしんどかった」と打ち明けると、友邦さんは「あれが重いってことはトレーニングをサボってる証拠だ!」とダメ出ししたそうだ。
そんな二人を「筑波の親」と呼んでいる人もいる。北京オリンピックの競泳男子400mメドレーリレーの銅メダリストで、現在はスポーツキャスターの宮下純一さん。筑波大時代は2日に1度は来ていたため、3日間来ないと「純ちゃんどうしたのかな。遠征かな」と話していたそうだ。二人が「小井土ちゃんにはよく叱ったものよ」と話すのは、現在の蹴球部監督である小井土正亮監督のことだ。
さまざまな業界の第一線で活躍されている方々も、二人からすると「いまも元気にしているか気になる“○○”ちゃん」になってしまう。「本当にみんな仲がよかった。いまも顔を出してくれるのが本当にうれしいし、それが一番の楽しみ。頑張っちゃおうかなって思えるんですよ」と、民子さんはほほんだ。
元バーテンダーが奮起し、大学しかなかった筑波に来た
場所柄、お客さんは筑波大の学生ばかり。そもそもクラレットの創業も、筑波大の学生との偶然の出会いがきっかけだった。
コックとして腕を振るう友邦さんはその昔、ホテルのバーテンダーだった。そのときに知り合った一人に「フジヤマのトビウオ」と呼ばれた世界的なスイマー古橋廣之進さん(故人)がいた。古橋さんが東京都内に「とびうお杉並スイミングクラブ」をつくるにあたり、「手伝ってほしい」と声をかけられた。スイミングクラブの近くに飲食店を出してほしいとのお願いだった。
これもチャンスだと考えた友邦さんはバーテンダーをやめ、民子さんとともに軽食・喫茶の店を開いた。「スイミングクラブに通う人だけじゃなくて、近くの警察署の人なんかもいっぱい来てくれて大変だったのよ」。民子さんが懐かしそうに当時を振り返る。
ある日、お店からも近い都立豊多摩高校に教育実習で訪れていた筑波大の学生が来店。何度も来るうちに二人と話をするようになった。「大学の近くで店をやってくれないですか?」。彼の言葉が気になった。当時は昭和48(1973)年に筑波大が開学してまだ数年だったこともあり、友邦さんも民子さんも「筑波大って?」という状態。興味を持って調べてみたら、前もって買っていた土地の目の前にある大学だった。当時は二人とも30歳代半ば。これから借金をしてもちゃんと返せるのか、という不安はあった。まずは健康診断。異常がないのを確認すると、覚悟を決めた。杉並のお店は別の人に任せて筑波に移り住んだ。
いまでこそ、筑波大のそばには大きな道路もあり、飲食店からカフェ、コンビニといった店が立ち並ぶが、当時は見渡す限りに茶色い大地が広がっていた。「雨が降った日なんか、みんなどろんこ。東京から来た人なんて『ここはどこの砂漠か』って言ってたぐらい」と民子さん。店は昭和53年に創業。クラレットという店名は友邦さんがバーテンダー時代によく提供していた「クラレットワイン」からきている。「5文字がいいと思ったんだよ。書きやすく、見やすく、分かりやすい」。そう言って、友邦さんはうなずいた。
手作りにこだわり、懐にも優しい
「せっかくだから食べていったらどうですか?」と友邦さん。こちらとしては、そのためにお腹を空かせてきたわけだ。「ぜひ!」とお願いした。
メニューは「お重の部」「お弁当の部」「定食の部」に分けて記されている。学生たちが好んで食べるのが「お重の部」。豚肉の天ぷらをはじめ、いろんな天ぷらをのせたボリューム満点の「肉天重」が540円(価格はすべて税込み)という安さ。「お重」と言われるとイメージが湧きづらいかもしれないが、要するに丼だ。「丼だっていいんだけど、器が丼じゃないから、やっぱりお重なのよ」と民子さん。ライス大盛りは100円(お弁当の部のみ70円)。ただ白米が増えるだけではなく、しっかり底まで染みこむように自家製タレの量も増やしてくれる。
今回いただいたのは「定食の部」の「ハンバーグ定食」(750円)だ。「作るよ」。友邦さんはそう言うとキリッとキャップをかぶり、民子さんと一緒にキッチンへ。友邦さんがハンバーグを焼くそばで、民子さんが野菜を盛る。キャベツの千切りは「ふわっと」ではなく、ギュッギュッと力を入れて山にする。ニンジンとキュウリ、パセリ、リンゴにサッと炒めたパスタ。そして大きなハンバーグがドン! “主役”の上でチーズがたらりと溶ける。
「ちょっとライスは減らしてみたわよ」と民子さん。それでもキャベツに負けず劣らずの山が鎮座ましましている。味噌汁は時期によって具が変わる。このときは白菜と油揚げだった。添えられた漬けものも、「白菜と大根」といった具合に2品を基本にしている。
ハンバーグはもちろん、ソースもドレッシングも漬けものも、すべて手作りというのが二人のこだわり。「安心して、おなかいっぱい食べてほしい」という親心だ。肉汁たっぷりのハンバーグは一切れが大きく、甘いタレでますますごはんが進む。具だくさんの味噌汁がなんともあったかい。
元学生たちも帰ってこられる場所を
実は最初は喫茶だけのつもりだったそうだ。「始めてから1週間で料理も出すようになっちゃったのよね」と民子さん。前述の通り、創業当時は周りに何もなかった。店を訪れた人から「何か作ってくれませんか?」と言われ、作っていたらまた別の人から声をかけられ、結果として、メニューに加わることになった。
メニューは創業当時からほぼ変えず、学生目線で考えられたおいしくてお腹いっぱいになるメニューばかり。その一方で値段は時代によって変えており、ときには値下げすることもあった。「学生の懐事情に合わせて、彼らが食べられる金額でやってるんですよ」と友邦さん。さらに民子さんは「いままでいろんな先輩たちが来てくれてお店を助けてくれたから、そのお礼の気持ちも込めてなのよ」と教えてくれた。
20年ぐらい前までは昼も営業していたが、現在は夜6時~10時だけの営業で、土曜日は定休日。「あんまり忙しいと困る。体がついていかない」と友邦さん。それでも42年間、お店を守り続けてきた。「いまの学生さんに言ってしまうとおかしいけどね」と前置きをして、友邦さんはこんな話をしてくれた。
「ここ(筑波)に4~6年いるんだから、1軒や2軒は知り合いの店をつくっておかないと。チェーン店はすぐ変わってしまうかもしれないけど、ウチみたいなお店だと簡単に動けない。大きくなって結婚して家族ができたときなんかに『俺が行ってた大学』って紹介したとして、立ち寄れるお店がないって寂しいじゃないですか」
確かにクラレットの常連は現役の学生たちが大半ではあるが、「懐かしい!」と言って帰ってくる人たちも多い。ときには当時の仲間と昔話に花を咲かせ過ぎてしまい、「家に帰れなくなるといけないから、もう帰りなさい」と声をかけることもあるそうだ。「ね~」と言い合いながら思い出を語る二人の表情は、やっぱり笑顔だった。
夏には二人で作る「しそジュース」(単品300円/食事と一緒なら100円)がメニューに加わる。「これは絶対にお勧め。手作りだから」と民子さん。「また夏に来ますね」と言うと「その前にも来たらいいわ」
クラレットは、そこはかとなくあったかい。