大学野球

名古屋大初のプロ・中日ドラゴンズ松田亘哲 後輩たちへ「松田を超えろ!」

名大は名古屋経済大との入れ替え戦を勝ちきり、松田たち4年生は引退した(すべて撮影・松永早弥香)

高校時代はバレー部、国立の名古屋大生、最速148kmのサウスポー、そしてメガネ。「キャラが渋滞してますよね」と自分で言って笑う松田亘哲(ひろあき、4年、江南)は、10月のプロ野球ドラフト会議で地元中日ドラゴンズから育成選手としての指名を受けた。入団会見も終わり、年が明ければ入寮、新人合同自主トレと、プロとして歩み始める。名大初のプロ野球選手となった松田にインタビューした。(取材は11月16日)

左で最速148kmの名大・松田亘哲、高校はバレー部だった男がプロを目指す
中日の育成1位 名大・松田亘哲の記者会見を見守った闘病中の仲間

指名後は「勝って当たり前」のプレッシャー

名大硬式野球部員が行きつけの「台湾料理 味味 名古屋大学店」に、松田と訪れた。大学から歩いて数分。この日も学生っぽいお客さんがひっきりなしに来ていた。いつもは朝練後に野球部の仲間たちと来るため、夜は松田も初めてだったようだ。よくオーダーするのは「昼ラーメンセット」(税込550円~)。しょうゆやとんこつ、塩、台湾などのラーメンにもう1品、2品を加えたセットで、「ザ・中華です。量があって安くてうまいです」と松田。100円程度プラスにはなるが、ほぼ同じメニューの「夜ラーメンセット」もある。さて取材だ。

名大そばの「台湾料理 味味 名古屋大学店」にて。松田の一学年上の先輩たちが通い始め、いまも練習後にはみんなで来るそうだ

――10月17日は、振り返るとどんな一日でしたか?

松田:ドラフト前は普段通りでした。朝だって起きたらもう両親はいなかったし、いつも通り学校に行きました。ドラフトのパブリックビューイングのときも、選手の名前が呼ばれていくのをどこか視聴者目線で見てましたし。もちろん、待ってたんですけどね(笑)。

――そして自分の名前が呼ばれました。ご両親は家で中継を見ていらっしゃったようですが、お父さんが号泣されたとか。帰ってからどんな話をしましたか?

松田:家に帰ったのは日付が変わったころだったんですけど、母はもう寝てました(笑)。肝がすわってるっていうか、いつも変わらない。すごいっすよ。でも父は眠れなかったようで、録画してあったドラフトのニュースを一緒に見てました。正直、どんな話をしたのかは覚えてないです。

ドラフト会議後の記者会見で、松田は緊張のあまり言葉が飛んでしまった

――ドラフト会議の3日後には、愛知淑徳大との3部リーグ優勝決定戦がありました。延長10回タイブレークの末に勝ちましたが、試合中に号泣してしまったようで。あのときはどんな思いでしたか?

松田:単純に準備不足でした。いつもは練習でうまくいかなくても、試合では修正できるタイプなんですけど、あのときは全然力を出せませんでした。指名を受けたあとだったんで、周りからすれば「勝って当たり前」と思ってたでしょうから、「うわ、ここで負けたらやばいな」って。いつも勝っててたまに負けるというような相手だったんですけど、負けたらここで引退って考えたら、ものすごいプレッシャーで……。苦しい場面でずっと一緒にやってきた小林(研貴、4年、松本深志)がホームランを打ってくれて。ホッとしたら泣いてしまいました。最近、涙もろいんです。

――そして名古屋経済大との入れ替え戦を2勝1敗で勝ちきり、2部昇格をつかみました。4年生になってからはずっと3部でしたけど、2部で勝負できていたらどうだったと思います?

松田:いや、分かんないっす。プロにいけたから2部でも通用するっていうのは傲慢だと思うんですよ。そりゃ2部でやりたかったですよ。でもある意味、3部でこれだけ気持ちよく投げられたから、プロの道が開けたのかもしれない。3部だったからいまがあるという可能性だってあります。これまで名大が2部で戦ってたのは、僕が1年の秋、2年の秋、3年の春で、僕自身は2年の秋の途中から先発として出させてもらってました。そのシーズンは先輩と僕とでなんとか2勝を挙げて残留できたんですけど、正直、手応えは全然なかったです。秋に2部に上がるのは最近ではなかったので、長い冬の間にどれだけやって春に戦えるかですね。

「松田効果」で新入部員増に期待

松田:唐揚げおいしいっすよ。いります?

――未来のプロ野球選手から唐揚げを奪うってのは……。

松田:いやいや、いいっすよ。逆に、いましかできないっす(笑)。こういうお店の唐揚げっていいですよね。

唐揚げが好きな松田が選んだのは「夜ラーメンセット」(とんこつラーメン+唐揚げ・ご飯・小鉢で税込780円)

――もう野球部は引退したんですよね? 

松田:入れ替え戦が終わって、11月頭に引退しました。僕は以前と変わらず筋トレやランニングなどの個人練習をやってて、たまに部の練習にも参加してます。でもやっぱり同期がいないってさみしいっす。野球部のみんなと練習するのって楽しいじゃないですか。それがなくなったのはさみしいですね。うちの部はマネージャーまで入れて40人で、そのうち4年生が14人でした。だから新入部員に期待してます。部員が多いに越したことはないし、できる練習も増えます。自分が注目されたことで、それが名大野球部のアピールに少しでもなってたらいいんですけど。

――春のシーズンへ向けて、後輩たちにエールを送って下さい。

松田:やっぱりこの冬の頑張りだと思います。来シーズンはいまの1年生がメインのピッチャーになるんですけど、僕がやってるのをそばで見てて、「教えてください」と声をかけてくるような子たちでした。彼らはきっと「松田を超えるぞ」というぐらいでいると思うんで、それでいいっす。「松田を超えろ!」です。

野球が好きで、やりきるだけだった

松田:僕たちがいつも野球部のジャージで来るからなんでしょうけど、お店の方がこっそりフライドポテトやゴマ団子とかをサービスしてくれるんです。ありがたいっす。

――今日のネクタイは、あのドラフト会議の会見のときにも着けてましたよね?

松田:これ、名大のネクタイなんですよ。「会見に出るんだからつけときなさい」って、服部匠監督がくれました。監督からはこの前、メガネもプレゼントしてもらいました。僕が「予備のメガネは持ってない」って言ったからだと思います。ドラゴンズ仕様で、縁が青なんです。でもメインのメガネはいままで通りの黒縁です。

松田は高校時代、バレー部でリベロだった。「リベロのポーズもらえますか? 」とお願いしたら「オフショットってやつですか? 」と大笑い

――あとは無事卒業するだけだと思うんですけど、卒論はどうですか?

松田:死にそうになりながらやってます(笑)。野球ばっかりやってたら、こんなことになりました……。卒論に着手したのも引退してからです。単位もあと三つ残ってるから五つ授業をとってます。二つは保険です。家じゃ勉強しないんで、ほぼ毎日学校に来てます。卒論は「ナチスドイツの雇用創出政策」がテーマなんですけど、毎日毎日本を読んでは、もう死にたいって(苦笑)。自分がためてしまってたことなんで仕方ないんですけど……。やります。はい、やります。

――頑張ってください。その先に夢に見たプロ野球の世界が待ってますから。

松田:あざっす。

――もし野球を選ばなかったら、将来どうしていたと思いますか?

松田:分からないです。僕の中で別の選択肢なんてなかったので。野球をやめたら、ってのも分からないです。そのときになったら考えます。でも、ドラフトで指名されなかったら独立リーグにいこうと思ってました。それでまたプロを目指そうって。3年生のときに周りのみんなが就活を始めて、今年の夏ぐらいにはどこかしら決まってて、自分だけ何もない。夏前はまだプロのスカウトの方も来てなかったし、これで本当にいけるんだろうかっていう不安はありましたよ。でもそれって、みんなが夏前に決まって僕が10月になるってだけだよな、って。僕は野球が好きで、その道をやりきるだけだと思ってました。

この名大野球部の仲間たちと戦い、松田はプロへの道を切り開いた