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特集:東京オリンピック・パラリンピック

200mバタフライの日大・長谷川涼香 踏まれても立ち上がる強さを武器に五輪へ!

昨年4月の日本選手権で長谷川は200バタフライで優勝。今年の日本選手権は東京オリンピックに続く勝負の舞台となる(撮影・諫山卓弥)

長谷川涼香(すずか、東京ドーム/日大2年、淑徳巣鴨)は強い。誰よりも強い意志を持ち、誰よりも強い志を掲げ、誰よりも強くオリンピックという夢の舞台で結果を出したいと願っている。この強さを表すには、2017年の世界選手権(ハンガリー・ブダペスト)までさかのぼらなければならない。

バタフライの早稲田大・牧野紘子 何があっても東京五輪はあきらめない

高3で初めて世界大会の決勝進出

その年の4月、日本選手権の200mバタフライで、長谷川は自己ベストまであと0秒29にまで迫る2分6秒29の好タイムで初優勝を果たし、意気揚々と世界選手権に乗り込んだ。この種目で決勝には残ったが、タイムは2分7秒43。長谷川にしてみれば平凡な記録での6位だった。長谷川はレース後、ミックスゾーンでこう口にした。

「去年のリオデジャネイロオリンピックでは決勝に進めなくて、でも今回は決勝の舞台で戦えましたし、全力を出しきった感じはあります。そういう意味では去年よりはスッキリとして終われました。初めての世界大会での決勝は、今後につながるレースになったと思います」

あふれんばかりに涙をためながらも、冷静に。途中、嗚咽(おえつ)が漏れそうになるのを必死で深呼吸をしながら抑え、記者の質問に誠実に答えていく。その姿からは、「スッキリした」という言葉の裏に、もっと世界のトップで戦いたかった、という気持ちが見え隠れする。

何より、当時はまだ高校3年生。悔しいという気持ちを抑えずに涙を流してもいい状況なのにも関わらず、記者の質問に嫌な顔一つせず答える長谷川の姿に、アスリートとしての強さを見せつけられた。

期待を一身に背負い、リオに向かった

長谷川が頭角を現し始めたのは小学6年生のとき。全国JOCジュニアオリンピックカップ春季大会の100mバタフライで、初優勝を果たした。中学3年生のときには、200mバタフライで2分7秒89の中学記録を樹立。順調にバタフライのトップスイマーとしての階段を上り続けてきた。

長谷川の大きな転機になったのは高校2年生のとき。16年4月だった。リオデジャネイロオリンピックの代表権をかけた日本選手権で、2分6秒92という好タイムを出し、2位でリオへの切符を手にした。その後、オリンピック本番直前に出場した東京都の国体予選で、2分6秒00の高校新記録を樹立。このタイムは15年の世界選手権2位相当だっただけに、一気にメダル候補に名乗りを上げた。

しかし現実は厳しい。オリンピック本番では、自己ベストに遠く及ばない2分7秒33のタイムで準決勝敗退。世界大会で好結果を残す難しさを体感した。

リオデジャネイロオリンピックで戦ったとき、長谷川はまだ高校2年生だった(撮影・朝日新聞社)

その悔しさを晴らすべく、翌年の世界選手権に臨んだ。記録こそベストには届かなかったが、決勝進出という目標は達成。それでも、自己ベストを出せばメダル争いに加われたという状況に、悔しさを隠しきれなかった。

再び父に教わり、ラストの強さ取り戻した

18年になると、同年代で同じクラブで切磋琢磨(せっさたくま)する牧野紘子(早稲田大2年、東大教育学部附属)や、持田早智(ルネサンス/日本大2年、千葉商科大附)らに負ける姿をよく見かけるようになった。同種目のオリンピックメダリストである中西悠子さんや星奈津美さんと同じように、ラスト50mでの強さが武器だったが、そのラストで逆転されるレース展開が続く。

自分でもどうしたらいいのか分からない中、一つ大きな決断を下した。小学生まで指導を受けていた父の滋さんに師事することにした。父との二人三脚に「家では父ですけど、プールでは長谷川コーチ」と、甘えはまったくない。むしろ、滋コーチには絶対的な信頼を寄せる。

長谷川親子がスランプ脱出のために取り組んだのは、50mごとのラップタイムをそろえること。とくに、武器だった後半の強さを取り戻すことだった。スピード化が進む世界と戦うために、長谷川はリオデジャネイロオリンピック後、前半の100mを1分00秒台で入ることを自分に課していた。だが、100mの自己ベストが57秒、56秒台を持っている世界のトップ選手たちとは違い、長谷川の100mのベストは58秒38。ほかの選手たちは100mのベストから2秒以上落としても1分00秒だが、長谷川の場合は2秒もない。つまり、かなり無理をして前半の100mから攻めていたのである。

その意識をなくすことから始めて、徐々にラスト50mの強さを取り戻していった。さらに、前半の100mを気負わずに泳げるようになったことで、無理して1分00秒台を狙っていた泳ぎから、力を残した状態でも1分00秒台で泳げるようになっていった。少しずつ自信を取り戻した長谷川は、昨年の日本選手権で17年以来となる優勝を果たし、笑顔を見せた。

同期の牧野(右)は同い年で切磋琢磨を続ける仲だ(中央が長谷川、昨年の日本選手権200mバタフライの表彰式にて、撮影・諫山卓弥)

ところが同年、韓国・光州であった世界選手権では、準決勝で2分9秒22というタイムで全体の10位。2年前は進めた決勝の舞台にすら立てなかった。

「予選よりも泳ぎは修正できたと思うんですけど……。悔しいですね。予選の泳ぎがダメでしたね。予選の泳ぎがその日の基本になってしまうので、予選が遅かったらダメ。最近は予選で泳ぎが崩れることはなかったんですけど、今回はそれが原因ですね」

悔しさはあっても、しっかりと自分の状況を客観視して分析する。2年前、涙が流れるのをこらえながら話していた長谷川の姿は、もうなかった。

勝負の日本選手権へ、課題は「耐える能力」

自分が一番いい結果を出したいのは、オリンピックという舞台。決勝に進める力を持っていたにも関わらず、力を出しきれなかったあの舞台だ。今度こそオリンピックで納得のいく結果を出すことが、長谷川にとっての目標であり、果たすべきこと。1月、Kosuke Kitajima Cupに出場した長谷川は、東京オリンピックの代表選考会である4月の日本選手権に向けた課題を口にした。

「世界で戦うために、いまの自分に足りないのはキツいところで耐える能力。ただ泳ぎ込むだけじゃなくて、バタフライでの泳ぎ込みが必要。もう一度取り組みを見直してみます」

父・滋さんとともに、いまはただ、東京オリンピックだけを見すえている(撮影・内田光)

どんな結果を突きつけられても、長谷川は常に次を見すえてやってきた。東京オリンピックまで残された時間は多くはない。だが、長谷川は踏まれてなお強くなる麦のように、つらくても、キツくても、どんなときも前を向いて泳いでいく。その強さは必ず、大事な場面で彼女の力になる。

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