水泳

特集:いざ、東京オリンピック・パラリンピック

バタフライの早稲田大・牧野紘子 何があっても東京五輪はあきらめない

7月の世界選手権女子100mバタフライで、牧野は準決勝敗退に終わった(撮影・杉本康弘)

彼女が見ているのは、目の前の結果ではない。オリンピックという、一度は夢破れた大舞台だけ。この舞台に立つことだけを考えて、いまも、これからも泳ぎ続ける。それ以外のことは、何も彼女の心を揺さぶることはないのだろう。牧野紘子(東京ドーム、早稲田大2年、東京大学教育学部附属)の話を聞いていると、不思議とそう感じる。

200m個人メドレーの中大・大本里佳 東京五輪を見すえて耐え、手にした強さ

失意の世界選手権「自分の力不足」

7月に韓国・光州で開催されたFINA世界選手権で、牧野は100mと200mのバタフライに出場した。100mでは準決勝で敗れたが、58秒33の自己ベストをマーク。調子がいいと思われたが、続くメインの200mは予選で2分9秒88、準決勝でも2分9秒60で敗退となった。

「前半の50は予選と同じくらいで、そこからは50のラップタイムを32秒台でまとめようと思ったんですけど、全部ちょっとずつ遅くなってしまって。最後もバテてしまいました。正直、会場に入ってから泳ぎがしっくりきてませんでした。100は短距離だから何とかごまかせたと思うんですけど、200はごまかせないぞ、と思って準備はしてきました。それでも、うまく泳げませんでした」

もっと悔しさを感じなければ、次につながらないのではないか。もっと何か課題を自分で見つけなければ、この世界選手権のレースが次に生きないのではないか。どこか淡々とした様子で取材に応じる牧野の様子に違和感があったが、次の言葉で納得がいった。

「順位もタイムも、ただ単に自分が遅いだけなので。なんだろうな。悔しいというよりも、自分の力不足なんだと思います」

ここまであっさりと自分の力不足を認める選手も珍しい。牧野は世界選手権がダメだったことを振り返るよりも、さっさと自分が力不足であることを認めた。この結果を受けて、これから先の自分がどう行動すればいいか。力不足というのであれば、選ぶ道はトレーニングしかない。“私は先のことしか考えない。それが東京オリンピックにつながるのだから”。そういう意志を感じた。

逃したリオ五輪、輝いた同世代の仲間たち

牧野は小学生のときから全国的に名をはせた選手のひとりだ。小学6年生のとき、全国JOCジュニアオリンピックカップ夏季大会の200m個人メドレーで2分17秒02の日本学童新記録を樹立(現在も日本学童記録)。翌年、文武両道を目指して中高一貫の東京大学教育学部附属中等教育学校に進学し、中1で全国中学校大会の200mと400mの個人メドレーを制覇した。

だが、2年生で記録が伸び悩んだ。そこで一念発起し、幼少期から通っていた東京スイミングセンターから東京ドームに練習拠点を移した。そのクラブには、同い年でいまも切磋琢磨(せっさたくま)を続けるバタフライのライバル、長谷川涼香(東京ドーム、日大2年、淑徳巣鴨)が所属していた。

6月の日本選手権女子200mバタフライでは、長谷川(中央)に続いて牧野(左)は2位だった(撮影・諫山卓弥)

長谷川とともに練習する日々は、牧野にとって新鮮だった。以前はずっと自分が練習するクラスの中で一番速い状態だったため、同じレベルの選手と毎日練習できることは刺激的だったのだろう。一気に泳ぎのキレを取り戻し、中3のときには400m個人メドレーで4分41秒92の日本中学新記録を出した。高1になった2015年、インターハイの200m個人メドレーで2位に入り、400mは4分41秒46で優勝した。

順調に記録を伸ばしていた16年、牧野はリオデジャネイロオリンピックにつながる日本選手権に臨んだ。しかし結果は400m個人メドレーで4位、200mは8位。リオ行きの切符を逃した。その結果への悔しさはもちろんあったが、それ以上に牧野を悔しいと思わせたのは、同級生の長谷川や持田早智(ルネサンス、日大2年、千葉商科大学附属)、さらに1学年下の今井月(るな、東洋大1年、豊川)、池江璃花子(ルネサンス、日大1年、淑徳巣鴨)ら、年齢の近い高校生たちがリオ行きを決めたことだった。

2020年こそ、仲間とともに五輪で戦う

彼女たちと一緒に世界で戦いたい。
それは、夢破れた牧野が再び立ち上がるには、十分な理由だった。

同世代の選手たちが世界を相手に活躍する中、牧野はじっくり国内で力をつけた。同年夏のインターハイでは2分11秒16の自己ベストで200m個人メドレーを、400m個人メドレーも4分40秒19で優勝して2冠を達成した。翌17年の1月には、400m個人メドレーで4分36秒61の日本高校新記録を樹立。いまも学童(小学生)、中学、高校とそれぞれの世代で牧野の記録が残っている。

それだけ順調だった個人メドレーだったが、17年4月の日本選手権では400mで7位とふるわず。しかしながら、チームメイトの長谷川とともに出場した200mバタフライで2分7秒15の好タイムで2位に食い込んだ。個人メドレーではなくバタフライで、初めて世界選手権(ハンガリー・ブダペスト)の代表に選ばれた。

2017年の世界選手権で初めて、牧野は日本代表に選ばれた(撮影・池田良)

順調に階段を上っていた牧野に、またも試練が訪れる。18年シーズンが始まる直前に腰痛を発症。ほとんど練習ができない状態にまで追い込まれてしまった。様子を見ながら泳ぎを調整したが、この年は代表に入れず、またもリオのときと同じ悔しさを味わってしまう。

「1度代表に入ったのに、去年は代表に入れなくて本当に悔しかった。腰の故障もありましたけど、やれることはやってきました。とくに上半身の強化に取り組んでました」

そう話した牧野はもともとキックをうまく使って進むタイプだったが、そこに強化した上半身がバランスよく合わさって、100mバタフライで58秒39の自己ベストをマーク。19年の日本選手権で優勝を果たし、メドレーリレーメンバーとして代表復帰も成し遂げた。また200mバタフライも5月末のジャパンオープンで派遣標準記録を突破し、個人種目での日本代表の権利を勝ち取った。

どんな困難があっても自分のやるべきことを見極め、やれることをコツコツと取り組んでいく。その先に何が待っているかは分からないが、いまやらないと必ず悔しい思いをしてしまう。牧野はそれが分かっているからこそ、努力を惜しまない。
仲間とともに、今度こそオリンピックで戦う夢をかなえるために。

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