立命館大・山田さくら 最後の全日本選手権でフリー進出、最後まで「笑顔」で
東京・代々木競技場の青いフェンスは、全日本フィギュアスケート選手権の代名詞。全スケーターの目標とするその青い世界で、昨年12月、山田さくら(4年、大阪学芸)は現役ラストの演技を披露した。過去2度、全日本選手権に出場するもフリースケーティングには進めなかった。現役最後のプレッシャーからか、試合前には「フリーにいけるか心配。いままでいけてなかったから……」と不安な気持ちを打ち明けた。
「自分もあんな演技がしたい」
さかのぼること14年前。全日本選手権の舞台に立つ、当時15歳の浅田真央さんの演技に感銘を受け、山田はフィギュアスケートの道を志した。「衣装がきれいで、すごくキラキラして輝いてました。私も真央ちゃんみたいに滑りたい」。フィギュアスケートがしたいと、すぐに母親に懇願し、スケート教室に通い始める。中学、高校とフィギュア部のない学校へ進学し、学業とスケートの両立を乗り越えた。
大学は、現在スケート部でフィギュア部門を指導している田村拓監督の勧めもあり、立命館大へ。田村監督はもともと、山田を指導していたコーチのアシスタントだった。その意味でも、立命館大はフィギュアスケートに集中しやすい環境であった。
「このチームを強くしたい」
入部した当初、山田はスケートと学業の両立に苦しんだ。しかし「1回生のときから立命のスケート部を強くしたいという気持ちは持ってました」と山田。信念は揺るがなかった。地道に努力を重ね、個人としては選手権出場や数多くのタイトルを獲得。団体ではチームの絶対的存在として貢献してきた。
昨年11月に迎えた西日本選手権は、全日本選手権の出場権を争う大事な戦いだった。山田は完璧な演技を披露し、見事3位に輝き選手権の切符を手にした。その演技後、リンク上で涙を流した。現役最後の大舞台に道をつなげられた。「本番はもっと構成を上げ、勝てる演技をしたい」。山田の視線はすでに、最後の舞台へと向いていた。
「このチャンスを逃したら終わり」
前述の通り、山田は過去に2度、全日本選手権に出場し、ともにショートプログラム落ちを経験している。今年で競技人生にピリオドを打つと決断していた。だからこそ「この曲で演技するのは最後になるかもしれない」と何度も思ったという。「このチャンスを逃したら終わりなんだ……。もっと頑張らないといけないっていう気持ちが芽生えました。とにかく『やらな!』というイメージ」。いままでに経験したことのない感情が、彼女を奮い立たせた。
大西勝敬コーチと試行錯誤を積み重ね、練習に励んだ。大西コーチは大学入学時に出会ってから、ずっと山田を指導している。「普段は優しく、ジャンプに失敗して悩んでいるときも声をかけてくれて、すぐに気づいたことを伝えてくれる」と、山田も大西コーチの存在を頼りにしている。
5年ぶり3度目となる全日本選手権。代々木のリンクは超満員の観客で埋まった。ショートプログラムはそれほど緊張しなかった。だがフリーへの思いから少し堅さが出てしまい、1本目のジャンプで転倒。そこからは彼女の持ち味である修正力の高さで立て直し、演技をまとめた。演技後は悔しさを露わにするも、20位で自身初のフリー進出をつかんだ。
「フリーに出られることは素直にうれしいけど、すぐに気持ちを切り替えて臨むようにします」。出場が目標ではない。“完全燃焼”こそが、彼女の目標だった。
「笑顔でね」
フリーは1番滑走。「1番を引きそうって思うと、やっぱり引いちゃうんですよね」と山田は笑いながら言った。リンクへ向かうとき、大西コーチからのひと声が頭から離れなかった。「普段は「頑張ってこい」などシンプルな言葉をかけてくれる。しかし今回は「笑顔でね」。山田にとってこの言葉が、いつもとどこか違う感覚だったという。「演技中ずっとあの言葉が脳裏から離れなかった。演技では『笑顔』を貫き通せたかなと思う」。恩師の励ましは魔法の言葉だった。
現役最後の演技を終え、山田は「久しぶりの全日本ということもあって少し緊張したけど、試合自体はとても楽しかった。やっぱり他の試合とは景色や世界観がまったく違ってました」と振り返った。
大西コーチから最後に造花のさくらを手渡されたときは、「ただただびっくり。すごくかっこよかった」とコメント。4年間、この先生についてもらえてよかった。そう感じる瞬間でもあった。
大学生活も残りわずか。山田が入学した当時は、大学からスケートを始める学生は少なかった。しかしいまでは、多くの学生が立命館大でスケートデビューをしている。「自分たちが入ったときはとても少なかったから、素直にうれしい」と山田は言う。後輩たちへの期待も高く、「1回生のときから初級合格している人も数多く出てきてます。後悔しないよう、最後にやりきったと思えるように、頑張ってほしい」と後輩たちへエールを送った。
「仲間の大切さ」
立命館大での4年間は彼女にとって大きな財産となった。「初めは団体で動くことが苦手でした。でも『全日本を見た』と言ってくれる人もいてとてもうれしかったし、団体で記録を残したときは特にうれしかった」。仲間の大切さがスケートへの原動力となったに違いない。
今後は指導者の道を志す。現在も後輩たちに指導しながら、自分の練習に励んでいる。「振り付けなどイチから考えるのは大変だけど、教えるのはとても好き。自分が気づいた点はすぐに伝えるようにしてます」。自分もいつか、大西先生のような全日本選手権に出場する選手を育成したいと考えている。彼女の教え子が“青い世界”で華麗に舞う。そんな日は、そう遠くないかもしれない。