大学陸上・駅伝

特集:第96回箱根駅伝

中央学院大・武川流以名 元球児が本気で走り始めて9カ月後、箱根駅伝6区で快走

小田原中継所に駆け込んでくると、必死の形相で襷を渡した(撮影・佐伯航平 )

今年の箱根駅伝で、異色のランナーが山下りでデビューした。中央学院大の1年生、武川流以名(ぶかわ・るいな)だ。高校時代は野球部で、陸上における記録は一切なし。自ら中央学院の門を叩き、競技歴わずか9カ月で、6区の1年生新記録をたたき出した。私は高校時代の彼を少しだけ取材していた。もちろん野球に関するインタビューだった。 

小1から野球、小2のマラソン大会で高学年に勝つ

愛知県新城市で生まれ育った武川は、小学1年生で野球を始めた。「鳳来中央少年野球クラブ」では、社会人野球出身の監督の下、ハイレベルな野球を学んだという。走塁やランダウンプレーの練習が好きだった。苦しくても、走ることは誰にも負けなかった。長距離は飛び抜けて速く、小学2年生のマラソン大会で、高学年の子たちよりも先にゴールを駆け抜けた。 

高3のときはセンターを守り、トップバッターだった(撮影・栗山司)

中学はボーイズリーグの「新城ベアーズ」でプレーした。一方で3年生のとき、学校の駅伝チームのメンバーに選ばれた。大会で走ると、地元の駅伝強豪高から「陸上でウチに来ないか?」と誘われた。 

だが、武川は首を縦には振らなかった。「せっかくここまで野球をやってきたし、高校までは続けようと思いました」。入学したのは静岡の島田樟誠だった。甲子園出場こそないが、生駒基樹監督の熱い指導の下、毎年好チームに仕上がってくる私立の新興勢力だ。 

1年生の秋から内野手のレギュラーをつかんだ武川。2年秋から主将を務めた。陸上への興味が湧いてきたのは、そのころだった。 

高校時代から山下りは得意だった!?(撮影・栗山司)

箱根駅伝を走りたい!

2年生の正月の箱根駅伝。テレビの中のランナーたちに、目が釘付けとなった。

「これ、走りたい!」

それまでは漠然と考えていた進路の方向性が、この日で一気に固まった。 

私が彼と向き合ったのは、彼にとって最後となる夏の静岡大会に向けての取材だった。主将である武川に、現状のチームの課題、夏の大会への意気込みを一通り聞いた。そして最後に「武川君はこの先も野球を続けるの?」と尋ねると、まったく想定外の答えが返ってきた。

「僕、箱根駅伝で走りたいんです……」 

この質問をしたのには理由がある。大学で勝負できる選手だと感じていたからだ。もともとは内野手だったが、春から俊足を生かすために外野に転向すると、才能が開花していた。それでも武川の意志は固かった。生駒監督も「長い距離を走ることに関しては群を抜いてます」。実際に校内のマラソン大会で3年連続優勝。しかも毎年、新記録を打ち立てていた。

 野球部を引退すると陸上クラブへ

無謀とも思える高校球児の箱根駅伝挑戦。本人の背中を押したのは父の哉巳(ちかみ、48)さんだった。「周りからどう思われたのかはわかりません。ただ、自分がやりたいんだったら絶対にやった方がいい」と、全面的にバックアップ。そこには息子に対する信頼もあった。「流以名は小さいころから、自分を持ってる子でした。それに、目標に向かってどうしたらそこにたどり着けるかを常に考えている子なので、間違いないと思ってました」と振り返る。 

夏の静岡大会は2回戦で負けた。秋から武川は野球部の寮を離れ、愛知県豊橋市の陸上クラブに通った。当時の週3、4回の練習がのちのち生きてきたと本人は語る。「中学生の速い選手と練習しました。自分は全然実力がなかったので、ちょうどいいレベルで基礎を積み上げられました」 

哉巳さんは「走る機会を与えてあげたい」と、地元だけでなく、関東の大会にもエントリーさせ、経験を積ませた。問題は進路だった。箱根駅伝の本戦に出場するようなチームが、実績のまったくない選手を受け入れることは滅多にない。 

たまたま、中央学院大に島田樟誠からの指定校推薦枠があるのを知った。哉巳さんがツテをたどって駅伝部の関係者に連絡をとると、「基準さえクリアしてくれれば入部は認めます」とのことだった。しかも川崎勇二監督は「無名選手の育成に定評がある」という情報もつかんだ。父と子の心は決まった。 

まずは仮入部、早々と4月に入部基準クリア

入学が決まり、「仮入部」という形でスタートした。当然、周りは陸上経験者だけだったが、萎縮することはなかった。「入部してすぐは、監督から『いきなり全部のメニューをやるのは無理だから』って、朝練習は参加しませんでした。距離を減らしてもらって、やっとついていけるくらいだったので」 

入部の基準は12月までに5000m1510秒以内で走ること。武川は4月の記録会であっさりとクリアして入部を認められた。そして、夏合宿に参加するころには、ほぼすべての練習をやりきれるようになった。10月の出雲駅伝と11月の全日本駅伝にはメンバー入りしたが、出場はかなわなかった。それでも現地で三大駅伝の雰囲気を感じられた。 

箱根で三大駅伝デビュー、緊張もせず

そして迎えた箱根駅伝。武川は「山下り」の資質を見込まれて6区にエントリーされ、最終的には13日の当日に出場が決まった。「9月までずっと走りっぱなしだったので、10月、11月は調子を落としてました。12月に入ってようやく思うように走れるようになり、最後の調整合宿で調子が上がってきた感じでした」 

本格的に走り始めてわずか10カ月目の大舞台で奮闘した(撮影・栗山司)

12位で芦ノ湖をスタートすると、焦らず自分のペースを保った。「2秒差で先にスタートした東洋大の今西(駿介)さんが、いいペースでいくのは分かってました。監督から『最初の1kmの登りで変に追いつこうとして速いペースで入り過ぎると、せっかく下りのメインの区間なのに、そこで力を出せなくなってしまう』と言われていたので、無理することなく落ち着いて入っていきました」 

下りで一気に力を発揮した武川は9位に順位を上げ、小田原中継所で襷(たすき)を渡した。区間5位の58分25秒。1年生の6区歴代最高記録だった。 

「中央学院大はスピード練習をガンガンやるのではなく、少しゆっくり目のペースを徐々に積み重ねていく感じなんです。それが自分のような素人には合ってたと思います」 

それにしても高校まで本格的な陸上競技経験がなく、独特のプレッシャーがかかる箱根駅伝で快走してみせた。メンタル面の強さも、いきなり活躍できた要因だ。武川はさらりと、こう言う。「僕、昔から野球でも緊張したことがなくて。今回もわりと普通に走れました」 

久々に再会した武川からは、自信と充実感が伝わってきた(撮影・栗山司)

予選会を突破し、6区の区間新を目指す

中央学院は5年連続で獲得していた箱根駅伝のシード権を逃した。今年は予選会からの出場になる。武川はまずはトラックでタイムを伸ばし、10月の予選会に臨む青写真を描く。

「もういちど6区を走って、次は区間新を狙ってみたいです。その先は1区にあこがれているので、目標にしていきます」

箱根駅伝が終わった直後、久しぶりに会った顔は自信に満ちあふれていた。 

もし、高校から野球ではなく、陸上をやっていたら? そんな質問を投げかけると「そこで満足して、走ることはやめてたかもしれません」と、正直に話した。

異色のランナーはいま、新たなスタートラインに立ったばかりだ。