帝京大・小森稜太 学生ラストランの東京マラソンから始まる新たな挑戦
東京マラソン2020 男子
3月1日@都庁前スタート、東京駅前をフィニッシュとする42.195km
41位 小森稜太(帝京大4年)2時間12分18秒
東京マラソンは最後の箱根駅伝を終えた大学4年生が、マラソンランナーとしての最初の一歩を踏み出す場にもなっている。その中で帝京大は、3年生も含めた5人がエリートランナーとしてエントリーしていた。「一昔前の実業団がやっているような練習をいまの大学生はやってます。箱根駅伝のシードをとるような大学の選手なら、2時間10~15分の間でけっこう走ると思う。別に驚くことじゃない」と中野孝行監督。けがなどの理由で当日は3人の出走となったが、41位で学生2位だった小森稜太(4年、いなべ総合学園)にとって、今大会は現在地と今後の課題を知るきっかけとなった。
34km過ぎから失速「弱いところが出てしまった」
小森は初マラソンとなるレース前、「2時間11分台、1km3分切りのペース」を目標に掲げていた。しかしレースは想定よりも速いペースで進む。「今後のためにも、ついていけるところまで頑張ろう」と切り替え、海外招待選手に続く第2集団の中で勝負に出た。同じ集団の中には土方英和(國學院大4年、埼玉栄)の姿。「学生としてやっぱり勝ちたい」と思いながら、日本学生記録(2時間8分12秒)を上回るペースに挑む気持ちを強くした。
何度も波を感じながらも、30kmまではきつさを我慢しながらペースを刻む。しかし34km地点から踏ん張りが利かなくなり、土方の背中が遠のいた。それでも40km地点までは33位をキープしていたが、最後は苦しさに顔をゆがませてゴール。41位、記録は2時間12分18秒だった。「34km過ぎから練習不足を実感しました。マラソン練習がそこまで十分できてなかったので、そういうところで自分の弱いところが出てしまったのかな」と小森。目標を達成できなかった悔しさはあったが、高速レースに食らいつく、積極的なレースを見せた。
ラストイヤーは箱根駅伝と東京マラソンを見すえて
小森は高校生のときから「大学生のうちに1回はマラソンを走りたい」と思い、帝京大に進んだ。同級生の岩佐壱誠(いっせい、徳島科学技術)は2年生のときの東京マラソンでマラソンデビューし、2時間14分の好タイムを記録した。岩佐のマラソンに対する姿勢に刺激され、小森もまたマラソンへの思いを強くしていった。
今大会への出場を決めたのは昨年8月。チームが箱根駅伝に向けて走り込む一方で、小森はその先にある東京マラソンも目指して練習に打ち込んだ。迎えた箱根駅伝、小森は9区区間5位で走り抜け、帝京大は過去最高タイの4位だった。
そこからの2カ月間は東京マラソンに向け、40km走や30km走など、距離を踏んで調整してきた。マラソンをメインにしている実業団選手に比べると、まだまだ走り込みが不足しているという思いはあったが、この約2カ月の練習を通じて「2時間11分台は出るんじゃないか」という手応えを感じていた。結果は2時間12分18秒。学生トップだった土方が2時間9分50秒で“サブテン”(2時間10分切り)をなし遂げたことを思うと、後半の失速が悔やまれた。
今大会は東京オリンピックの最後の切符をかけたレースだったこともあり、国内トップアスリートが勢ぞろいした。小森自身、エントリーの時点で名前負けを感じてしまっていたが、「将来的には勝負していかないといけない相手だから」と気持ちを強く持って臨んだという。初マラソンを終え、「まだ自分は世界と勝負できるところにいない」と実感。まずはサブテン達成を目標に、マラソンを走る心と体をつくる。
高校生が帝京にあこがれる走りを見せたい
小森自身、今大会は自分の夢につながる一歩という思いとともに、「帝京大学」のユニフォームで走るラストレースとしての思いもあった。
「マラソンではありますけど、ここで帝京がいい走りをしたら、高校生とかが『帝京で強くなりたい』という思いをもって入ってきてくれるといいなって。そういう意味でも自分たちがしっかり走れば、将来、帝京はもっと強くなると思うので、いい走りをしようと思ってました」
1、2年生のときはけがが相次ぎ、思うように走れないときもあった。それでもこの4年間を振り返り、「大学生活に悔いは一切ない。次のステージに向かう上で、いい学生時代だったのかな」と言いきった。
大学卒業後はNTNに進む。マラソンで勝負できるよう、ここから新たな挑戦を始める。